第30話 渋谷のホテルで-初H-

 ブラウスを脱がし、スカートを脱がし、靴下も脱がせたあと、愛凛は指輪もネックレスもピアスもすべて外して、下着だけの姿になった。

 そのあと、彼女の手で、俺もさらさらと脱がされてしまう。


 俺はそわそわした。


「俺、シャワー浴びてくるよ。昨日の夜に入っただけだから」

「そんなのいい。このままがいい」

「でも、におうよ……」

「においがいいの。愛してるから」


 (愛してる……)


 とは、なんと甘美な響きだろう。

 俺は鼻息も荒く、叫ぶように返した。


「俺も、愛してる。愛凛のこと」


 愛凛は俺の言葉を意外そうな表情で受け止めたが、すぐに恥ずかしそうな、ただ一方でうれしそうな笑顔を見せた。

 彼女はそのまま、俺をベッドへといざなった。


「最初は、一通り私がするから。リラックスして、全部任せて、差し出して」

「うん……分かった」

「未来は、いじめっJKにいじめられたいんだもんね」


 そのあと、一通りのことが進んだ。


 いよいよという時、愛凛は互いに痛みのないよう、避妊具の上にたっぷりとローションを塗りながら最後の確認をした。


「初体験、ほんとに私でいい?」

「うん。好きだから、後悔はしないよ」

「私も怖いから、ゆっくりするね」


 その瞬間、俺は思わず目を閉じ、歯を食いしばって息を止めた。

 愛凛は、俺のそういう反応が好ましく思えるらしい。


「カワイイ。その顔すっごくカワイイよ。好き」


 俺はただ、熱烈なキスと、それから愛凛が動くたびにバチバチと電撃が走るようにして伝わる快感に没入していった。

 しかしそれも、あっけないほどの早さで終わってしまう。


「気持ちよかった?」

「うん……気持ちよかったどころじゃないかも」

「全部やるから、寝てていいよ」


 初体験は、俺がなにもしないままに終わった。

 しばし放心しているうちに、後始末を終えた愛凛が腕のなかにもぐり込んでくる。


 ようやく分かった。


 愛凛は、ツンデレらしい。


 腕枕におさまって、ほのかに上気した顔を向けてくる。

 愛さずにはいられない。


「未来」

「ん?」

「どうだった?」

「うん……うまく言えないけど、すごくよかった。もちろん体も気持ちいいんだけど、なんか、それ以上に心が満たされるっていうか、幸せな気持ちになった」

「うれしい」

「愛凛は? 痛くなかった?」

「うん、全然痛くなかったし、私もおんなじ、幸せだよ。前は、こんな気持ちにはなれなかった」

「愛が伝わってこない?」

「そう。私のこと、道具としてしか見てなかったんだと思う。優しさも、愛情も、幸せも、なにもなかった」

「愛凛が幸せな気持ちになれないなら、そんなセックス、意味ないじゃん」


 ぼそりと、ただ思ったことを口にしただけだったが、愛凛には特別な感情の動きを与えたらしかった。

 目を丸くしている。


「どうしたの?」

「ううん……そうだよね、お互い幸せになれないセックスなんて意味ないし、お互い幸せになれるから、するんだもんね」


 愛凛はしばらく、自分のその言葉をゆっくりと噛みしめ、親しむように、沈黙の時間をつくった。

 伏せたまつ毛が、時折、思い出したように動いている。


 静かに彼女の髪をなでる。ただそれだけで、これまで感じたことのないようないとおしさがこみ上げてくる。彼女も同じ気持ちでいると、俺はそう信じたかった。


 そのあと、愛凛はふと気づいたように、


「ね、なにかしたいことあったら言って。できないこともあるけど、今日は全部、私の言うことかなえてもらってるから」

「じゃあ……」


 したいこと、などと言ったら、それは星の数ほどある。こちとら、夜な夜なエロ系の映像作品を見て勉強している身だ。欲求には事欠かない。


 が、口から出たのはそういうたぐいのものではなかった。


「一緒に、お風呂入りたい」

「あははっ、カワイイじゃん。じゃあお湯かしてくるね」


 愛凛ははだかのまま背を向け、ヘアゴムで髪を後ろにくくり上げた。


 その背中が、本当に美しい。

 過去、数えきれないほど多くの画家や彫刻家が、女の体にあこがれを持ち、執念深く作品に昇華させようとしたことだろうが、そうした人類の叡智えいちを結集させようとも、目の前にある愛凛の生身なまみの体、例えば筋肉の張り、肌のみずみずしさ、ヒップの丸み、腰のくびれといった現実の美しさ、とうとさにはまるでかなわないだろう。

 俺は、愛凛のそうした信じられないような美しさにおぼれる思いがした。


 互いの全身をくまなく丁寧に洗ったあとでジャグジーバスに入ると、愛凛は楽しそうにはしゃいだ。くすぐったくて、気持ちがいい、と言う。浴槽が放つ光が虹のように変化し、広く暗い浴室をぼんやりと妖しく彩っている。

 どちらからともなく、抱き合い、そのまま唇の感覚がなくなるまでキスをした。


 そのあと、互いの体をいて浴室を出ると、突然、愛凛が狂ったように笑い始めた。


「ん、なに?」


 俺は困惑したが、愛凛はかまわずベッドの上を転げ回って笑っている。頭がおかしくなったのかと思ったが、どうも俺の姿を見て笑っているらしい。

 俺、別に変じゃないだろ。


 ようやく落ち着いてきたが、愛凛は涙を流し、真っ赤な顔をくしゃくしゃにしている。


「なんで笑ってんの?」

「だって、おかしいから……!」

「だから、なにがおかしいの?」

「だってさ、だって……」


 ヒィィ、と愛凛はまた腹を抱え、ダンゴムシのように丸まってしばらく笑い続けた。

 理由の分からない俺は不思議でしょうがない。


「そろそろ教えてよ……」

「鏡の前に行って見てごらん、自分の格好。バスタオル、なんで胸まで上げてんの。ワンピースみたいじゃん」


 言う通りにすると、俺もすぐに吹き出した。要するに俺は愛凛がそうしたのと同じように、無意識で胸が隠れるようにバスタオルを巻いていたのだが、それがおかしかったらしい。

 俺はすぐ、バスタオルを下腹部まで下げた。


「普段、タオル巻いたりしないからさ」

「唇とんがらせちゃって。カワイイじゃん」

「別に唇とんがらせてないよ」

「そういうカワイイとこが好きだから、ふてくされないの。こっち来て」

「……うん」

「まだできそう?」

「……うん、たぶん」

「お風呂でもずっと元気だったよね。時間たくさんあるから、いっぱいイチャイチャしよ」

「う、うん」

「今度は、未来からして」


 俺には、彼女の言うことの意味が分かる。

 髪をなで、口づけをし、彼女を抱きしめながらゆっくりバスタオルをほどいてゆく。

 素肌と素肌で触れ合い、抱き合うと、再び、息が苦しくなるほどのいとおしさが胸に満ちた。


 愛凛が、泣いている。


 まだ、先ほどの俺の格好がおかしいのだろうか。

 それとも、お父さんの死を思い出したからだろうか。

 そうではなく、俺の愛情が伝わってきたことで、なにかを感じたのだろうか。


 もしそうだとしたら、俺はもう彼女が悲しみやさびしさを感じないように、精一杯、愛したい。

 自分が全身全霊を傾け、彼女に愛をささげることで、彼女の救いになるのなら。


 俺はずいぶん不慣れに、それでもひたむきに、そして精一杯、愛を伝えた。


「愛凛、愛してる」


 言葉にするたびに、彼女はさまざまな表情を見せた。笑ったり、泣いたり、うっとりしたり、苦しそうな表情を浮かべることもあった。

 どれだけ愛しても、愛し足りない、愛を伝えきれない。


 そんな気さえする、時間だった。

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