新しい地の夢
ネビュラとの戦いから一月後、アヴァロン王城の図書館。セイレンは古びた地図と向き合っていた。
夜明け前の薄暗がりの中、ろうそくの灯りだけが書物の山を照らしている。彼の前には、アヴァロン王国とイシュタラ帝国の国境を記した古地図が広げられ、その周りには様々な資料が積み上げられていた。歴史書、地理書、民俗学の研究書。そして、両国の交易に関する記録の数々。
「まだ起きていたのね」
静寂を破る声に、セイレンは顔を上げた。アリシアが、銀髪を靡かせながら本棚の間から姿を現す。彼女は図書館の薄暗がりの中でも、不思議な存在感を放っていた。
「アリシア、こんな遅くまでどうしたの?」
「それはこちらの台詞よ」
アリシアは優雅に椅子を引き、セイレンの向かいに座る。
「人族の王様が、こんな時間まで古い地図を眺めているなんて」
「ああ、これはね...」
セイレンは少し躊躇いながら、地図の上の一点を指さした。
「ここに、新しい街を作れないかと考えていたんだ」
「新しい街?」
アリシアの細い眉が、わずかに持ち上がる。
「そう。人族と魔族が、共に暮らせる場所を」
セイレンの青い瞳が、静かな情熱を湛えて輝く。
「僕たちがネビュラと戦って気づいたことがある。人族と魔族は、もっと違う形で関われるはずだって」
アリシアは黙って地図を見つめた。セイレンが指さした場所は、両国の国境線上に位置する、なだらかな丘陵地帯。人族の農地と魔族の鉱脈が交わる場所だった。
「随分と大胆な考えね」
彼女の声は冷静さを保っていたが、その紫の瞳には小さな興味の光が宿っていた。
「でも、そんなの可能だと思う?私たちは何百年も争ってきたのよ」
「だからこそ」
セイレンは熱を帯びた声で答えた。
「その長い対立の歴史に、新しい一歩を記したい。君と僕なら、きっとできるはずだ」
「また、そうやって...」
アリシアは溜め息をつく。
「安易な理想論を語るのね」
「理想論かもしれない」
セイレンは静かに微笑んだ。
「でも、僕たちは既に不可能を可能にしたじゃないか。人族の魔術と魔族の呪詛を一つに結び付けることだって、誰も想像できなかったはずなのに」
その言葉に、アリシアは一瞬言葉を失う。確かに、彼らの呪魔法の存在は、両者の力が調和し得ることの証明だった。
「どんな街を作るつもり?」
彼女は、少し興味を示すように身を乗り出した。
セイレンの表情が明るくなる。
「まずは交易所から始めたい。人族の農産物と魔族の鉱物資源を、自由に取引できる場所を作る。そこで互いの文化に触れ、少しずつ理解を深めていけたら...」
彼は一枚の羊皮紙を取り出し、構想を説明し始めた。市場、学校、共同の研究施設。そして、両者の建築様式を融合させた新しい街並み。その言葉の端々には、若き王らしい情熱と、同時に現実を見据えた冷静さが感じられた。
アリシアは黙って聞いていたが、次第に彼女の表情が柔らかくなっていく。
「新しい街には、相応しい名前が必要だ」
セイレンは古い地図に目を落としながら言った。
「名前?」
アリシアは少し興味を示して身を乗り出す。
「どんな名を付けるつもり?」
「エデンヤード」
セイレンは静かに、しかし確信を持って答えた。
「エデン...ヤード?」
アリシアは首を傾げる。
「どういう意味なの?」
「エデンは楽園の意味」
セイレンは優しく微笑む。
「そして、ヤードには『庭』という意味がある。人族と魔族が共に暮らす楽園の庭...それが、この街に相応しい名前だと思うんだ」
「ふん、又もや理想主義的な名前を」
アリシアは顔を背けながら言ったが、その声には密かな賛同が滲んでいた。
「でも...悪くはないわ」
「なかなか考えているじゃない」
彼女は少し感心したように続けた。
「でも、統治の仕組みはどうするの?私たちの力を合わせたように、人族と魔族の知恵も合わせる必要があるはずよ」
「ああ、その点についても考えがある」
セイレンは新たな羊皮紙を広げた。そこには、複雑な組織図が描かれていた。
「中央評議会を設置したい。人族と魔族の代表が同数で参加し、重要事項を決定する。そして、その上に君と僕による共同統治制を」
「共同統治?」
アリシアの声が少し上擦る。
「私と...あなたが?」
「そうだよ」
セイレンは頷く。
「僕は王位を退き、君も魔王の座を降りる。そして、新たにエデンヤードの共同領主として、対等な立場で街を治めていく」
アリシアは黙って考え込んだ。確かに、それは理想的な形かもしれない。しかし...。
「通貨は?」
彼女は現実的な問題を指摘する。
「人族のコインと魔族の魔力結晶、どちらを使うの?」
「新しい通貨制度を作ろう」
セイレンは準備していた図版を示す。
「金貨をルミナス、銀貨をシルフ、銅貨をテラ。人族の鋳造技術と魔族の魔力結晶を組み合わせて作る、エデンヤード独自の通貨だ」
その提案に、アリシアは目を見開いた。セイレンの構想は、彼女の予想以上に具体的で現実的だった。
「私にも、少し考えさせて」
最後に彼女はそう言って、静かに立ち上がった。その背中には、迷いと期待が交錯しているように見えた。
***
広場の中央評議会から、歓声が上がった。エデンヤード設立の決議が、満場一致で可決されたのだ。
「これより、アヴァロン・レイン王国とイシュタラ・ノクターナ帝国の間に、新たなる土地エデンヤードを設立することを宣言する」
セイレンの力強い声が響く。
「我ら両国は、この地にて人族と魔族の新たなる絆を築かんことを誓う」
アリシアも凛とした声で続けた。
評議会の面々が、次々と誓約書に署名していく。人族の代表たちは青い魔術の光で、魔族の代表たちは紫の呪詛の光で、それぞれ誓約に魔力の裏付けを加えていった。
マリア・グレイストーン、新たに任命された中央評議会の書記官が、厳かに文書を読み上げる。彼女は人族と魔族の血を引く混血であり、まさにエデンヤードが目指す未来の象徴のような存在だった。
「エデンヤード基本条約第一条」
彼女の清らかな声が、評議会場に響く。
「この地は永遠に人族と魔族の共生の地たるべく、セイレン・アイヴァーンとアリシア・ノクトゥルナの共同統治の下に置かれる」
署名と魔力の儀式が終わると、建設の準備が直ちに始まった。人族の石工たちと魔族の結晶職人たちが、新しい建築様式について熱心に語り合う。農夫たちと鉱夫たちが、市場の設計図を覗き込んでいる。
夕暮れ時、エデンヤード建設予定地を訪れた二人は、丘の上に立っていた。
「ここが、私たちの街になるのね」
アリシアが、目の前に広がる大地を見渡す。
「人族と魔族が、新しい歴史を紡ぐ場所」
「うん」
セイレンは静かに頷いた。
「君と一緒に、ここから始めよう。きっと素晴らしい物語になるはずだ」
二人の背後では、既に最初の建物の建設が始まっていた。人族の石工が積み上げた壁に、魔族の職人が魔力結晶をはめ込んでいく。その作業は時に戸惑いを見せながらも、確実に前に進んでいた。
マリアが、建設の進捗を記した文書を二人に差し出す。
「第一期工事として、行政庁舎と市場、そして共同住宅の建設が始まりました」
彼女の表情には、誇らしげな光が宿っていた。
夕陽が沈み、最初の星が空に瞬き始める。二人の影が重なって伸び、やがて夜の闇に溶けていく。しかし、彼らの心に灯った小さな希望の光は、決して消えることはなかった。
それは、新しい夜明けを予感させる、確かな光だった。
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