エデンヤード

風見 悠馬

永遠の刻


夕陽が白亜の城壁を紅に染める。その崩れかけた城塞の上で、セイレンとアリシアは天を覆う漆黒の巨体と対峙していた。


瓦礫の間から立ち上る塵が夕空を覆い、アヴァロン王国特有の穏やかな風景を一変させていた。なだらかな丘陵と肥沃な大地に連なる緑は灰色に塗りつぶされ、かつての美しい城下町の姿は跡形もない。


「貴様らの術など、我には通じぬ」


ギガントの声が轟く。巨大な装甲に覆われたその体は、人族の魔術も魔族の呪詛も跳ね返していた。一歩進むたびに大地が震え、城壁の石が崩れ落ちる。


セイレンは剣を翳し、大気中の魔力を集めていく。青い光の帯が空気を切り裂き、魔法陣を描く。それは人族が長年磨き上げてきた柔軟な力、魔術の発現だった。


対してアリシアは、大地に根差した強固な力を呼び覚ます。彼女の指先から広がる紫の魔法陣は、魔族の誇る呪詛の結晶であった。しかし、どちらの力もギガントには届かない。


「アリシア!もう一度、力を合わせよう!」


セイレンの声が、瓦礫の舞う風を裂いて響く。アリシアは彼の呼びかけに頷き、目を閉じた。彼女の心の中で、セイレンとの絆が深まっていくのを感じる。それは不思議な感覚だった。かつてイシュタラの険しい山岳地帯で呪詛を練り上げ、人族への怒りを糧としてきた自分が、今は人族の王と心を一つにしようとしている。


「セイレン、私たちが今まで習得した全ての力を使い尽くしても、このギガントには勝てない」

アリシアの声には強い決意が込められていた。

「でも、私たちの心のつながりは、この世界でもっとも強い力だわ!」


アリシアの言葉に、セイレンは深くうなずいた。二人の心が完全に一体化する瞬間、周囲の空気が震え始めた。大地から湧き上がる魔力と、天から降り注ぐ魔力が、二人を中心に渦を巻いていく。それは人族の魔術と魔族の呪詛が融合する、新たなる力の胎動だった。


「私たちの力を解き放て、アリシア!」


アリシアは口元を引き締め、呪詛を詠唱し始めた。彼女の銀髪が風にたなびき、身体から放たれる紫の光が闇を切り裂いていく。セイレンもまた、青い光を纏いながら魔術の詠唱を始めた。


二つの力が交差する瞬間、世界が一瞬静寂に包まれた。


「ノクターナ・レイン・アヴァロン・ストライク!!!」


二人の叫びとともに放たれた呪魔法は、まるで新しい夜明けのように輝きを放った。その光は、ギガントの漆黒の装甲を貫き、巨体を砕いていく。


爆発的な光が収まると、そこにはもはやギガントの姿はなかった。


***


「ノクターナ・レイン・アヴァロン・ストライクなど、何と恥ずかしい名を付けたものか」


戦いの余韻が残る廃墟の中、魔王アリシア・ノクトゥルナは呆れた顔をして言い放った。その姿は、最強の呪詛力を持つ魔族の女王にふさわしい威厳を放っていた。美しく輝く銀髪と細い瞳には強い意志が宿り、白い肌と洗練された顔立ちからは気品が溢れていた。華奢な体型でありながら、その佇まいには比類なき力強さが感じられた。


「それは私が選んだ、この戦いに相応しい名前だ。それに、あの瞬間、君も心から喜んでいたではないか」

若き王セイレン・アイヴァーンが、皮肉めいた微笑みを浮かべながら答える。透き通るような青い瞳と、短く整った黒髪が特徴的な彼の姿からは、人族の王としての威厳と、若さゆえの爽やかさが同居していた。


「致し方なく受け入れただけよ。あのような状況で、まともな判断などできるはずもなかった」

アリシアは腕を組み、視線を逸らした。その仕草には、魔王としての威厳の中にもどこか愛らしさが垣間見えた。


「私の命名の才に不満でもあるのか?」

セイレンは意図的に挑発するような口調で言った。

「しかし、この名には深い意味が込められているのだぞ」


「意味?」

アリシアは首をかしげた。その仕草は、魔王の威厳とは不釣り合いな幼さを醸していた。


「そうだ。『ノクターナ・レイン』は君の帝国名と名に由来し、『アヴァロン・ストライク』は我が王国の名を冠している。つまり、この呪魔法の名は、魔族と人族の力が一つとなった証なのだ」

セイレンは自信に満ちた口調で説明した。彼は魔法陣を描いた手を上げ、その指先から青白い光を放った。夕暮れの空に、かすかな虹が架かる。


「ふん、理屈をつけて取り繕うとは。さすがは人族の王、言葉巧みなことよ」

アリシアは苦笑を浮かべながら言った。だが、その声音には嫌悪の色が見えない。

「認めざるを得ないが、確かに私たちの協力は、ネビュラを退けることを可能にした。あなたの魔術の力は、確かに見事だったわ」


その言葉は、ほとんど囁くように発せられた。アリシアの紫の瞳には、かつて人族に向けていた憎悪の色は見えない。代わりに、そこには新たな感情の光が宿っているようだった。


夕陽が沈み、星々が瞬き始める空の下で、二人の姿が重なる。月光に照らされた廃墟の中、人族と魔族、かつての敵同士が肩を並べて立っていた。その光景は、新しい時代の幕開けを予感させるものだった。


***


長き年月にわたり、人族と魔族は互いに争いを続けてきた。アヴァロン・レイン王国の騎士たちは、なだらかな丘陵地帯に築かれた城塞から幾度となく出陣し、イシュタラ・ノクターナ帝国の魔族たちは、深い渓谷と険しい山々から呪詛の力を携えて攻め寄せた。


古の時代より、魔族は強大な呪詛力を以て人族を圧倒し、人族もまた独自の魔術力を身につけ、抗い続けた。血で血を洗うその戦いは、数百年もの歳月を費やし、時には王国や帝国の存亡すら危ぶまれるほどの激しさを見せた。


緑なす平原と白亜の城郭を誇るアヴァロン・レイン王国と、漆黒の岩山と深紅の魔窟が連なるイシュタラ・ノクターナ帝国。互いの領土の境には、幾多の戦場が広がり、そこには数えきれぬほどの戦士たちの魂が眠っていた。


そして、果てしなき争いの最中、広大な宇宙の彼方より、謎の勢力ネビュラが出現した。漆黒の装甲に身を包んだその軍勢は、人族の築いた城塞も、魔族の据えた要塞も、等しく蹂躙していった。


人族は大気の力を操る魔術で抗い、魔族は大地の力を宿した呪詛で立ち向かった。しかし、いかなる術も敵を退けることは叶わなかった。ネビュラは人族の魔術にも、魔族の呪詛にも、等しく抵抗力を持っていたのである。


かかる危機の中、アヴァロン・レイン王国の若き王、セイレン・アイヴァーンと、イシュタラ・ノクターナ帝国の魔王、アリシア・ノクトゥルナは運命的な出会いを果たす。


「よくぞ来たな、人族の王よ。我はアリシア・ノクトゥルナ。この世界を統べる者なり」


白亜の城塞に設けられた会議場で、セイレンがアリシアに初めて対峙したのは、今から五年前のことであった。


当時、人族と魔族の間には一時的な休戦協定が結ばれ、外交会議が開かれることとなっていた。アヴァロンの国王として、セイレンは魔族の代表と対面することとなったのだ。会議場に足を踏み入れた時、彼の目に飛び込んできたのは、銀髪に紫の瞳を持つ気高き女性の姿であった。彼女は魔族の最高権力者にして、イシュタラ・ノクターナ帝国の皇帝であった。


壁に掛けられた松明の炎が銀髪を照らし出し、その姿は人族の世界には存在しない美しさを放っていた。セイレンは彼女の美しさと威厳に圧倒されながらも、一国の王として相応しい態度を崩さなかった。


「我はセイレン・アイヴァーン。アヴァロン・レイン王国の王にして、この国を守護する者なり。貴女との会見を望んでおりました」


「ほう、望んでいた、と」

アリシアの冷たい微笑みが会議場に響く。

「人族の王が魔族に何を望むというのだ。我が民を脅かし、我が地を奪わんとした者たちの王が」


「そう言わずに聞いていただきたい。今、この世界には人族も魔族も関係ない脅威が存在する。ネビュラという名の、異星より来たる者たちだ。彼らは魔術も呪詛も通用しない力を持ち、我々の世界を蹂躙せんとしている」


「それが何だというのだ?」

アリシアは高みから見下ろすような眼差しを向けた。

「我は人族を討つことのみを考える。ネビュラなど、我が眼中にはない」


セイレンは冷静な態度を保ちながら、なおも説得を試みた。

「それではいけません。ネビュラは人族も魔族も区別することなく攻撃を仕掛けてくる。我々が争っている間にも、彼らはどんどんと勢力を拡大している。このままでは、やがてこの世界は彼らのものとなってしまう」


「笑止な。この世界を統べるのは我なり」

アリシアは凜とした声で言い放った。

「我が望まぬことが起こるはずがない。何者も我が支配に逆らうことは許されぬ」


セイレンは一瞬、呆れたような表情を浮かべたが、すぐに真摯な眼差しを向け直した。

「貴女は確かに強い。己の力を深く信じておられる。されど、それのみでは足りぬのです。この世界には貴女の力をも凌駕する者が存在するやもしれず、貴女の力を認めぬ者が現れるやもしれぬ」


「ほう」

アリシアの紫の瞳が鋭く光った。

「我が力を認めぬ者、それはそなたのことか」


「否」

セイレンは静かに首を振った。

「我は貴女の力を深く認めております。だからこそ、協力をお願いしたい。ネビュラという共通の敵が現れた今、人族と魔族が争っている場合ではないのです」


「協力だと?」

アリシアの声が冷たく会議場に響き渡る。

「笑わせるな。人族は常に我らを蔑み、虐げてきた。我は人族を根絶やしにせんと誓った身。そなたと手を携えることなど、あり得ぬ」


そう言って、アリシアは手にした杖を高く掲げた。たちまち、彼女の周りに暗紫色の魔法陣が浮かび上がる。大地の力を引き出す呪詛の輝きが、会議場の空気を震わせた。


「見るがよい。我が呪詛の力が、いかに凄まじきものかを」


アリシアの杖から放たれた漆黒の光線が、セイレンめがけて襲いかかる。しかし、セイレンは一歩も退かなかった。彼もまた、剣を天に掲げ、青白い魔法陣を描き出した。大気中の魔力を操る魔術の光が、会議場を照らし出す。


「ならば、我も示しましょう。我が魔術の力が、どれほど優れているかを」


セイレンの剣から放たれた蒼輝の光線が、アリシアの漆黒の光線と激突する。二つの力がぶつかり合う衝撃は、会議場の空気を震わせ、壁に掲げられた松明を揺らめかせた。


「止めよ! このままでは両者とも命を落とすぞ!」

会議場に居合わせた者たちが叫ぶ。しかし、セイレンとアリシアの耳には、もはやその声は届かない。二人は互いの瞳を見据えたまま、全ての力を注ぎ込んでいく。


「人族の術など、我が呪詛の前には塵に等しい」

アリシアの杖から、さらなる闇の力が迸る。それは大地の深奥より呼び覚まされた、魔族の古より伝わる力であった。


「魔族の呪詛も、我が魔術の前では影に過ぎぬ」

セイレンの剣を伝い、より強い光が放たれる。人族が世代を重ねて洗練させてきた、大気を操る力が結集される。


両者の力は拮抗し、青と紫の光線は虚空に螺旋を描く。そのとき、不思議な現象が起こった。二つの力が交差する一点に、誰も見たことのない虹色の輝きが宿ったのである。


「これは一体……」


「なぜ……」


二人は驚きの声を漏らす。その光は次第に大きくなり、やがて二人の力を包み込んでいった。そして、その瞬間、強烈な衝撃波が放たれた。


「うおおおっ!」


「きゃあああっ!」


セイレンとアリシアは光に弾き飛ばされ、会議場の壁に叩きつけられる。剣と杖は手から離れ、宙を舞って床に落ちた。会議場の壁や天井が軋む音が響き渡る中、二人は苦しげに呻いた。


「アリシア! アリシア!」

意識が朧げになる中、アリシアは誰かが自分の名を呼ぶのを聞いていた。


「大丈夫か? アリシア」

目を開けると、そこには心配そうな表情を浮かべるセイレンの顔があった。彼は自らのマントを裂き、アリシアの傷に当てようとしていた。


「な、何をする!」

アリシアはセイレンの行動に驚いて、彼を突き飛ばした。

「我は汝の敵なるぞ。我に手を差し伸べるとは、何を企んでおる」


「何も企んではおりませぬ。ただ、貴女を案じているだけです」

セイレンは苦笑を浮かべながら答えた。

「私は貴女と戦うことを望んではおりません。むしろ、貴女と手を携えることを望んでおります。あの不思議な光の意味を、共に探ってみませんか」


「我と手を携えると?」

アリシアは疑いの眼差しを向けた。

「人族が魔族に協力を求めるなど、そのような戯言を誰が信じようか」


「これは戯言などではありません」

セイレンはアリシアの目をまっすぐに見つめ返した。

「私たちは敵同士かもしれませぬが、同じ目的を持っているはずです。ネビュラという脅威から、この世界を守るという目的を」


セイレンはゆっくりと立ち上がり、アリシアに手を差し伸べた。

「私たちはそれぞれに強大な力を持っています。しかし、それだけでは不十分なのです。私たちは互いを補完し合わねばなりません。先ほどの光をご覧になりましたか? あれは魔術と呪詛が交わった時にのみ生まれる、新たな力の兆しかもしれません」


アリシアはセイレンの言葉に迷いを感じていた。彼は本当に自分との協力を望んでいるのだろうか? それとも、これは人族の常として、魔族を欺くための策略なのだろうか?


彼女は慎重にセイレンの瞳を見つめた。そこに映る青い光は、澄み切っていた。嘘偽りや欺瞞の色は微塵も感じられない。彼は真摯な思いを持って、自分に手を差し伸べているように見えた。


「お前は、本気でそのように言うのか?」

アリシアの声には、これまでの高慢さが薄れ、かすかな期待が混じっていた。


「無論です」

セイレンは穏やかな微笑みを浮かべた。

「私は貴女を信じております。貴女の力を、貴女の意志を、そして貴女という存在そのものを。貴女も私を信じていただけませんか?」


「我を信じる?」

アリシアは困惑の色を隠せなかった。

「汝は人族、我は魔族。生まれながらにして相容れぬ存在。それにもかかわらず、なぜ我を信じると言えるのだ?」


「貴女の力を見たからです」

セイレンは静かに、しかし力強く語り始めた。

「貴女の呪詛力は、我が魔術力と同じく強大です。それは決して偶然ではない。貴女もまた、この世界に対して強い想いを持っておられる。ネビュラを倒し、この地を守ろうとする意志を」


セイレンの言葉には、確信と情熱が込められていた。アリシアはその言葉を心の中で反芻した。彼女は自分の心の中に、小さな揺らぎを感じていた。


長年、彼女は人族を憎んできた。人族が魔族に与えた苦痛と屈辱を忘れることはなかった。魔族の領土を侵そうとした人族の行為を許すつもりもなかった。人族を滅ぼすことこそが、魔族の正義であると信じていた。


されど、目の前のセイレンは違っていた。彼は魔族に敵意を向けず、蔑みの眼差しも向けなかった。むしろ、魔族への理解と尊重を示していた。そして何より、自分に対して深い敬意と信頼を寄せていた。


アリシアは再びセイレンの瞳を覗き込んだ。澄み切った青の中には、真摯な思いが満ちていた。


「我は……」

アリシアはゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

「我は……汝を信じようと思う」


その声は小さかったが、確かな決意が込められていた。

「汝の言の通り、我もまたネビュラを打ち倒したいと願う。この世界を護りたいと願う。故に、我は汝と力を合わせよう。今この時に限り」


アリシアはそう言って、おずおずとセイレンに手を差し出した。

「汝の魔術と我が呪詛を合わせ、ネビュラに立ち向かおう」


「感謝いたします、アリシア。私もまた、貴女を信じます。今だけではなく、これからも」

セイレンはアリシアの手を優しく包み込んだ。その手の温もりは、力強く、また安らかであった。


「貴女の呪詛力は、我が魔術力と等しく素晴らしい。そして、貴女は私と同じように、この世界を深く愛しておられる」


アリシアはセイレンの瞳を見返した。その青い瞳には、深い情熱が燃えていた。不思議なことに、彼女の心は静かな安らぎに満たされていた。


その瞬間、二人の手が触れ合う場所から、かすかな光が漏れ出た。それは先ほどの虹色の光と同質の、神秘的な輝きを持っていた。まるで、二人の誓いを祝福するかのように。


その光は、新たな力の誕生を、そして新たな時代の幕開けを告げるものであった。人族と魔族が手を取り合い、共に歩み始める――その最初の一歩を、二人は確かに踏み出したのである。

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