第11話 イエンウィアの昼食

「ああ~、やっと分ったわ。デーツなのね!」


 呼吸が上手く出来ていなかったみたいで、イエンウィアは肩でぜえぜえと息をしながら、「何が!?」と訊いてきました。


「塩とバターで炒めた卵。蜂蜜パンに、煮込んだイチジクでしょ。それからデーツで風味づけしたビールね!」


 どう? 正解でしょ?


 私は得意満面に笑いました。


 私が羅列した料理名が自分の昼食だったことに気付くと、イエンウィアは再び柱にもたれかかって思いきり脱力しました。……脱力というよりは、ぐったり、の方が表現としては合っているかしら。


「今日は来ないと思って油断した……」


 失礼にも、悔しそうにそう呟いてくれましたわ。

 お馬鹿さんよね。私がイエンウィアと会える機会を逃すはずがないではありませんか。


「私と結婚した夢を見ていたんでしょう? 夫婦なら口づけくらい軽いものじゃないの」


 冗談めかして言った私に、イエンウィアはイライラしていました。


「毎日毎日あなたが凝りもせずこんなことしてくるからでしょうが」


 こんなことしてくるから何だと言うのでしょうね。夢を見たのはイエンウィアですもの。責任転嫁をされても困りますわ。


「ええ。おかげで貴方が本当は嫌がっていないと知れて私は大収穫よ」


 意地悪で言った私の言葉が図星だったのね。彼は顔を赤らめると掌で顔を覆って俯いてしまったわ。


「あなたの好みの味も知れた事だし、本当に今日はいい日だわ。プタハ神に感謝しないと」


「今度からは普通に言葉で訊いてくれ」


 イエンウィアは掌で顔を覆って俯いたまま言いました。そのせいか、少し声がくぐもっていたわね。


 ええそうよ。やっぱりイエンウィアからも同じ事を言われていたの。

 その時も、私、ジェトさんに答えた時と同じような受けこたえをしたと思いますわ。ジェトさんのような面白い皮肉は、その時のイエンウィアの口からは出なかったけれどね。


「意外だわ。あなた甘党だったのね」


 イエンウィアの隣に座りなおした私は、甘い味ばかりした唇を思い出していました。イエンウィアは体型がすらっとしているから、甘いものはそれほど好まないんじゃないかしらと予想していましたの。


 イエンウィアは「そうじゃなく――」と言って、掌から顔を上げて私に向きました。


「私ではなく、私の上司が甘党なんだ」


「……え?」


 先程自分がやった行為のお陰で、とてつもない誤解をしてしまった私は、信じられない面もちでイエンウィアを見つめました。

 この人の守備範囲、そんなに広いのかしら?  と変な想像までしてしまいましたわ。


「今、おぞましい想像をしなかったか?」


 私の思考を読んだかのように、イエンウィアが顔を引きつらせました。

 そうそう、正に今、皆さんがなさっているようなお顔ね。


「今日は上司が食べきれなかったものを食べただけだ。内容は、ほぼあなたが言った通り」


 流石に甘いものばかりで参ったが。


 そう言ったイエンウィアは甘味ばかりの昼食を思い出したのか、疲れたように「ふう」と息を吐きました。


 やはり彼は、甘味はあまり好きでなかったのかもしれませんね。私は甘いものが好きですが、それでもご飯が殆ど甘味だと辛いですもの。


 それならおあつらえ向きのがありますわ、と私は持ってきたお弁当をイエンウィアに差し出しました。


「父と弟のついでよ。お口直しにどうぞ」

 

 ついでなのはむしろ父と弟の方だったのだけれど、そこはまあ、伏せておくのが粋ですわよね。


 喜んでくれると思ったのだけれど、イエンウィアはお弁当を受け取ってはくれましたが、困り顔でこう言いました。


「どうぞと言われても。もう昼食は済ませたのだから、こんなに食べられない」


 意外だったわ。だって、若い男の方はたいていよく食べるものだと思っていたので。


「弟はいくらでも食べられるわよ」


 弟はむしろ、底なしなのです。今でもそうよ。気の毒に、お嫁さんは毎日大変そうだわ。


 弟を引き合いに出されて、イエンウィアは苦笑いを浮かべました。


「私は多分、君の弟よりずっと年上だ。もうそんなに食事は必要ないんだよ」


 そういえば父も弟ほどは食べないわね、と私は父の食事量を思い出しました。ずっとうちに仕えてくれている老境の召使いなんかは、小鳥がついばむほどしか口にしないし。やはり、年齢とともに必要な食事量が変わるのは、男性も女性も同じなのですね。


「あなた、おいくつ?」


 話のついでに訊ねました。


 今更な質問と思われるかもしれませんが、私にとって、イエンウィアの年齢はさして重要ではなかったのです。年齢が判明した所でイエンウィアに対する気持ちは変わりませんもの。十五才だろうと五十才だろうと、別にかまわなかったわ。まあ、見た目から三十は超えていないだろうと予想はしていましたが。


 イエンウィアは少し考えるそぶりを見せると、こう答えました。


「さて……二十五か、二十六か……。はっきりとは私も分らないので」


 仲良くなりかけた頃に、フイ最高司祭に道端で拾われた事を彼から聞いていた私は、彼の答えに納得しました。物心つくまえに親と分れていたのなら、自分の本当の年齢を知らなくても不思議ではありませんものね。


「そうなのね」


 仕方が無いので、私はイエンウィアからお弁当を返してもらうと、広げて自分で食べ始めました。そのままにしておいても腐るだけですから。


 実を言うと、私はそれなりに空腹だったの。お昼を食べ損ねた上に、王宮から神殿まで走って来たのだから。

 確かに食べてもらえなくて残念ではありましたが、別に、悲しいとかそういった感情はありませんでした。無理に食べてもらって、お腹を壊させてしまう方が嫌だもの。


 喉の渇きもおぼえたので、「飲み物くださる?」と頼もうとしたところで、イエンウィアが横からすっと手を伸ばして、ガチョウ肉を塩と香草で味付けして油で揚げたものをつまんで、口に入れました。

 もぐもぐと咀嚼して飲み込んだイエンウィアは、


「少しだけならまだ食べられるので」


 と言って、今度は根野菜の炒めたものを食べてくれました。


 神官は、食べていい物に制限があるでしょう? 魚は駄目だとか、にんにくは駄目だとか。

 物知りのメリトに禁忌を教えてもらいながら一生懸命考えて作った料理だったから、食べてもらえて本当に嬉しかったわ。


「どう? 胃袋は掴まれて?」


 美味しいと言ってくれるかしら、とワクワクしながら訊いた私に、イエンウィアは「掴まれると言うか――」とやや瞼を落としてから、こう続けました。


 はちきれそうだ。


 そうとう満腹だったのね。たとえ二口でも食べてくれたのだから、私は十分満足だったわ。


 私がきちんと食べるし、また作って来るから無理をしないよう伝えると、イエンウィアはすまなそうに笑って頷いて、私にお茶を持ってきてくれました。


 イエンウィアがあのに向けるような笑顔は私には到底無理だったけれど、私は彼の取り繕わない色んな表情を引き出せるようになっていたわ。


 私たちにもう少し時間があれば、何度も夢でみたような家族になれていたのかもしれないわね。



 話が一区切りついたところで、ジェトがこそっとフイに話しかけた。


「いい感じじゃねえか。マジでこれで友達止まりだったわけ?」


 フイは当時を思い出しながら、


「あやつは頑固だったでのう」


 とジェトに答える。


 今ではすっかり普通の司祭になったフイだが、イエンウィアが健在だった当時は思考が溢れて独り言になって出て来るほどに脳みそを回転させていたため、常に糖質不足だった。

 だが体が欲する量の割に胃袋に入れられるのはほんのわずかで、時に自分の食べ残しをイエンウィアに処理させていた事を、今更ながらフイは申し訳なく思った。


「おべんとう……」


 乙女が夢見るような表情で頬を染めたライラが、両手を胸の前で握って呟く。

 

 何を考えているのか簡単に想像できたアーデスは、主人の腹を守るためにも、「まずは料理を習おうな、ライラ」と、心を鬼にして夢見る乙女に水をさした。


 イエンウィアの同僚だった神官二人は、半年ほど前に、急にイエンウィアの食事量が極端に減った事を思い出していた。

 あまりに食べなくなったので、病気なのかと心配したほどだ。

 食べない割に痩せてこなかったのが不思議だったのだが――


「こういう事だったのか」


「弁当食うんじゃ、そりゃ減らすわなぁ」


 そして恋人募集中の二人は揃って、


「「いいなぁ……」」


 と合唱した。



 それから私とイエンウィアのお昼休みは、ただの談笑からお弁当をつまみながらのお喋りに変わりました。話の内容と言えば、これまでと大して変わらないものばかりだったし、相変わらずイエンウィアの態度は頑なだったけれど。それでも、私の料理を食べてもらっているだけで、数段飛ばしに仲良くなった気がしたわ。時にはパンと果物だけの簡単なものしか用意できない日もあったし、正直、毎日お弁当を用意するのは大変だったけれど、作りがいは十分にありました。


 勿論、怪しまれないように父にも弟にも毎日お弁当を運びましたのよ。二人とも、充実したお昼ごはんに喜んでいました。


 でもねえ。まさか、お昼ごはんを運んでいる私を見た宰相が、息子の嫁に私を、と申し出て来る事になるとは思わなかったわ。


 家に帰ると、父がこれまで見た中で最高の笑顔で私を抱きしめました。そして、「でかした! 宰相の家と縁が出来るぞ!」と両の拳を高々と掲げました。


 話によると、その宰相はなかなかの美食家らしいのですが、私が持ってきたお弁当を摘まんで、その味に舌鼓をうったとか。

 そして、「是非とも息子の嫁に!」と仰ったらしいのです。


 お行儀の悪い宰相の胃袋を掴みたかったわけじゃなかったのに。ほんと世の中、思ったようにはいかないものですわね。


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