第七章 私は草色神官に絶縁宣言をされた
第14話 またしても、謁見の間にて
翌日、朝食の席で外出禁止令は解かれました。
私の外出を許可した話の続きに、父は縁談のお相手について私に語って聞かせました。
宰相は下エジプトを管理するパセル。私の夫となる予定の息子は、その四男だということでした。
父はその四男坊の話はそれ以上せず、パセルがいかに素晴らしい方であるかを熱弁しました。
正直、舅になる方の話題はあまり頭に入ってきませんでした。イエンウィアの答えに全てがかかっていると思うと落ち着かず、前の晩から殆ど眠れていませんでしたから。
まるで裁判の判決を待っている囚人の気分でしたわ。
「今日の弁当はなんだろうな」
登城する父と弟にお弁当を手渡すと、弟はまだぶすっとした顔をしていましたが、父はうきうきとした足取りで出勤してゆきました。また宰相におかずを摘まんでもらえるのでは、などと考えていたのかもしれませんね。残念ながらその日のお弁当は、ゴマの入ったパンとチーズだけでしたけれど。
神殿に行くのは午後だけれど、いてもたってもいられなくなった私は、家の仕事そっちのけで朝のうちにプタハ大神殿に行きましたの。
前のように、神様にお伺いをたててみようか、とね。
とにかく、誰かに胸の内を聞いてほしかったのですわ。
拝謁の間に入った私は、薄暗い部屋で一人、跪きました。
そして、決意と今後の行く末を問うてみたのです。
「父が、縁談を持ってまいりました。お相手は下エジプト宰相様の四男センネフェルだそうです。ですが私には心に想う方が他におります。この神殿の最高司祭補佐役イエンウィアです。私は今日、イエンウィアに縁談の話を打ち明けた上で、再度求婚するつもりです。もし、イエンウィアが結婚の申し出を断れば、私は宰相の家に嫁ぐしかありません」
そこまで一気に話してから、私はため息を一つついて暗い天井を見上げました。
正面の壁の上の方に、四角い穴が見えました。その向こうには神官がいて、私の話を聞いてくれているはずなのですが、暗いし穴も小さいので、やはり姿は見えませんでした。
「私は一体どうなるのでしょう。私の未来は、イエンウィアに繋がっているのでしょうか……」
私自身、これまでうんざりするほど自分に問いかけた質問でしたわ。
けれど多分今日で、この問いも消えて無くなるのね、と思うと……お祭りだか何だか分らないけれど、大きな何かが終わりを迎えるような、そんな心境になりました。
「その者は結局、想い人を頭から消し去る事ができなかった。諦める他に道はない」
「またあなたなの!?」
暗い穴から聞こえてきた声に、私は思わず叫んでしまいました。
なんてことかしらね。またもやイエンウィアが当番の時に拝謁の間に入ってしまうなんて。これじゃあいつものお喋りと大して変わらないじゃない? お供物を無駄にしたような気がしましたわ。
「偶然だ。私も驚いている」
四角い穴がそう言いました。
私と四角い穴は、同時に大きなため息をついたわ。
まったく、昼過ぎまであったはずの執行猶予が、ぷっつりと消えて無くなってしまうなんてね。その時の私は、イエンウィアの返答が辛いのか、執行猶予が無くなった事が辛いのか、分らなくなりました。
もう帰ろうかしら。
そんな考えが頭をかすめた時、四角い穴が「どうぞ。お話し下さい」と話の続きを促したのです。
何を話せと言うのでしょうね。私の望みはもう、四角い穴の声に断ち切られてしまったというのに。
けれどその時、でも―― と、私の頭の中に別の思考がふと浮かんできたのです。
私はこれまで散々頑張って、イエンウィアは私と夫婦になる夢までみるようになっていたのです。もう少し粘ってみようと思いました。ここであっさり引き下がるのは、私らしくないではありませんか。
キキも言っていたものね。最後まであがけば、いずれどこかの岸にたどり着くと。
私はお腹の前でぎゅっと手を握って、四角い穴を見上げました。
「でも彼は、私を大切に思ってくれています。彼があくまでそれを友情と言い張るなら、私はかまいません。時間はかかるかもしれないけれど、その方への想いは、私が断ち切らせてみせます」
我ながら実に頼もしい口説き文句だったと思いますけれど。四角い穴は何も言葉を返してきませんでした。話せと言ったのはあちらなのにね。
「どんな形でもいい。イエンウィアの傍で生きたいのです」
神様に話している体だけれど、これはもう、殆どイエンウィアへの懇願だったわね。
四角い穴はやっぱり黙ったままでしたわ。多分、返答に困っていたのだと思うけれど、そこはちゃんと、仕事をして頂かなくてはね。
「プタハ神様。何かお返事をくださいませ」
私は四角い穴に答えを要求すると、続けて言いました。
「イエンウィアが想う方を忘れられないから私と結婚できないと言うなら、私だってそうではありませんか。彼は許されて、何故私にはそれが許されないのです!」
不等を訴えた私に、四角い穴はようやっと返事をしましたわ。
「あなたには家族があり、課せられた役割もある。それを放棄してはならない」
「その役割に振り回された私の母はずっと後悔していました! 母は死ぬ前に私に言いました。自分が納得した相手と結婚しろ、と」
軍司令官の六女だった母は、貴族娘の例に漏れず、親が探してくる相手との婚姻を待っていました。けれど待てど暮せど両親のお眼鏡にかなう嫁ぎ先に恵まれず、結婚適齢期を大きく過ぎてしまったの。
母の父――つまり私の祖父は、仕方なくその時最も家柄が良かった男性との縁組を選んだといいます。それが、私の父でした。
母は言われるま結婚したのに、挙句、実家から見切られました。
父は母に感じた負い目を隠せず、その反動からか、時に癇癪を起こしては周囲に辛くあたっていました。父の癇癪が治まったのは、母が死んでからですのよ。
「両親は政略婚の犠牲者よ」
昔の辛い記憶を思い出して、私は吐き捨てるようにそう言いました。
こんな話、神様相手にさえするつもりはなかったのですけれど、何故かしら。あの部屋は不思議ね。心の壁が取り除かれて、奥底にある気持ちを口にしやすくなるのです。
「自分の幸せを他人任せにしてはいけない」
四角い穴が、落ち着いた声で私を叱りました。
「どんな状況でも、幸福を見出すことはできる。それができるのは自分でしかない。貴方を幸せにできるのは貴方自身だ。そう思わないか?」
問いかけてきたその声は、神の代弁者というよりは、イエンウィア本人からの言葉でしたわ。
そしてイエンウィアは、こう続けたのです。
「センネフェルはまだ若いが、いい人間だ。きっと貴方を大切にするだろう」
その言葉に、私は驚きました。
確かにこのプタハ大神殿はメンフィス最大の規模を誇っているし、前庭までは広く門戸を開けているから、センネフェルの顔を見た事くらいはあるかもしれないけれど、まさか人となりまで知っているとは思わなかったの。
「宰相の息子をご存知なの?」
四角い穴から「ああ、知っている」という返答とともに、何かが動く気配がしました。
「イエンウィア? もしもし?」
それから何も音がしなくなって。私は不思議に思いながら四角い穴を見上げていました。
そうしたら後ろの扉が勝手に開いたのです。
「では行こうか」
イエンウィアが私の手を取って、拝謁の間を出ました。
「ど、どこへ?」
目を白黒させている私に、イエンウィアは「宰相の農地だ。多分センネフェルは、今そこにいるだろう」と、驚くべき行き先を口にしました。
会いに行けと言うの!? と仰天している私に、イエンウィアは「遠目から見るだけでもいい」と言いました。
「貴方が政略婚を恐れるのは、相手を知らないからだ。それに関してなら、私も手助けできる」
彼の指摘は的確でした。確かに相手を知れば、私の恐れは軽減されるでしょう。でもね、それをイエンウィアに手伝ってもらうなんて複雑だったわ。
仕事は放っておいていいのかと訊ねると、イエンウィアは他の神官に任せてきたと言いました。本当、ぬかりのないことよね。
それで私は、初めてイエンウィアと神殿の外に出たのです。
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