第五章 私は草色神官と夢の中で夫婦になった

第9話 レクミラの夢

 イエンウィアが求婚を受け入れてくれる夢をよく見ました。

 私の手を引きぎゅっと抱きしめ「愛している」と言ってくれて、父も弟も私と彼の幸せを涙して喜び、皆で仲良く暮らすの。当たり前に口づけて、夜は可愛い子供の到来を待ちわびながら同じベッドで寄り添って眠るのです。


 笑っちゃうくらい都合のよい夢よね。でもその夢の中の私は、今死んでもいいと思えるくらい幸せだったのよ。


 夢から覚めると、勿論私は一人。隣に愛しい人がいるわけがありません。

 素敵な夢から目覚めるたび、現実との差異に舌打ちしたくなる衝動に駆られました。もちろん、そんなはしたない事をしたらイアル野にいらっしゃるお母様がお嘆きになるので、心の中だけに留めておきましたが。


 でもね、頭が冴えて夢と現実の境目がはっきりしてくると、また頑張ろうって闘志が湧いて来ていたの。

 さて今日はどうやってあの頑固者を懐柔してやろうかしら、ってね。

 どう? 私、なかなか気骨があるでしょう?


 私はお料理の腕にもそれなりに自信があるのですよ。

 その日の朝、私はお掃除中に、年配の召使からとても役に立つ情報を得たのです。

 意中の男性がいるなら、美味しい手料理を食べさせて胃袋を掴みなさい、とね。


 ――ああそうだった。我が家ではね、貴族の娘と言えど、家事はきちんと覚えるのが決まりだったのです。お母様の方針だったのだけれど、私は料理に関しては、主に召使たちからその方法を学びました。料理上手な人ばかりだったから、とても勉強になったわ。

 それでね、私はメリト――その年配の召使の名前なのですが、彼女の教えを実行に移す事にしましたの。


 その日は、父も弟もお弁当を持って行かなかったから、私が午前中に作って届ける予定でした。だから、イエンウィアの分も作って、持って行こうと思ったわ。

 いつもは大体、パンに肉やお野菜を挟んだものを用意するのだけど、その日のお料理には、流石に熱が入りました。あらかじめ味の好みを聞いておけばよかったと、ちょっと後悔してもいました。


 父と弟が務める王宮の書記室にお弁当を届けてから、私は残り一つの包みを持って、神殿に急ぎました。 

 調理に時間がかかった上に王宮に寄っていたものだから、完全に遅刻でした。

 あー……いえ、遅刻というか……別に会う約束をしていたわけではないのだから遅刻も何もないのですけれど、習慣になっていた事だし、イエンウィアも待って下さっているはずだと疑っていなかったのです。


 息を切らせて奥庭に辿り着くと、そこでは食事を終えた動物達が数匹帰らずに日陰で昼寝をしていました。

 そしてイエンウィアも、いつもの場所で、柱にもたれかかって眠っていたのです。


 イエンウィアが剣を習得しているというのは聞いていたので、きっと気配にも敏感だろうと考えた私は、出来る限り音を出さぬよう細心の注意を払って近づきました。


 私の姿を見つけると、犬が一匹寄ってきましたが、私はその犬にも「しっ」と人差し指を口に当てて声を出さないよう頼みました。


 息を殺しながら、何とかイエンウィアの正面までたどり着くと、イエンウィアの寝顔を見ることができました。

 彼の寝顔はとても安らかでした。私が夢で見ていた彼の寝顔よりも、幾分若く感じましたわ。


 ずっと眺めていたいとも思ったけれど、同時に、私、これは絶好のチャンスだということにも気付きましたの。何かしないと勿体ないと。これは、健気な私にプタハ神が与えて下さった好機だと確信しました。


 おそらく勝負は一回のみ。何かしたら起きてしまうことは分っていたので、私は、やりたい事の優先順位を決めました。

 それで、一番上に出てきたのが、イエンウィアの好みの味を知る事だったの。この時間ならイエンウィアはもうお昼を食べ終えているはずだし、唇を舐めてみたらメニューを知れるだろうと考えたのです。

 最悪、細かい判別はできなくても、辛いか甘いかしょっぱいか、それだけでも分れば儲けものだと思いました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る