第四章 私の自慢の胸は草色神官に拒まれた
第7話 想い人の存在
翌日、私は神殿の門前でイエンウィアを見つけました。彼は客人らしい方達と話していました。
そこには一人の女性が……まだギリギリ女の子と言ってもいい方だったけれど、御客人の中にいらっしゃって、イエンウィアはその方と、楽しそうに……本当に楽しそうに、話していたわ。
私もずっとイエンウィアと笑ったり冗談を言い合ったりしてきたけれど、この人あんな風に笑うのね、と……。とても驚きました。
★
イエンウィアの想い人が話に登場した所で、アーデスが慌ててライラの耳を塞いだ。
当然、耳を塞がれたライラは「なにすんのよ!」と暴れる。
レクミラは「大丈夫よ」と、首から頭が離れそうなくらいライラに顎を押し上げられているアーデスに声をかけた。
「本人が特定できるような事は絶対に喋らないから」
しかし、レクミラの天然ボケをこの短時間で嫌と言うほど味わったアーデスは、「そうは言ってもなぁ」と渋る。
友達思いの男に、レクミラは穏やかに微笑んだ。
「今更気付いたところで、彼女が苦しむだけだもの。そんな事、誰も望まないでしょ?」
それに、ずっとその姿勢でいるつもり?
仰る通り。幾ら戦歴豊富な傭兵と言えど、両手を塞がれた状態で、現役エジプト軍人であるライラをいつまでも押さえこんでいる事はできない。
これまでのやり取りでレクミラの悪くない人間性を分っていたアーデスは、その言葉を信じる事にした。
ライラは両耳を解放されると、「いきなりなんなのよもう」と、強く押さえ付けられて違和感が残る両耳をゴシゴシと擦る。
「女の子にはあまりふさわしくない話題だったから、お友達が気を利かして下さったのよ」
「……はあ。そうなんですか」
耳を塞いだ言い分けとしてはお粗末すぎたが、意外にもライラはあっさりと納得した。
レクミラはなるほど、と思った。
このライラという娘は、驚くほど人の言葉を額面通りに受け取るのだ。だからライラは、イエンウィアの秘めた想いにも気付かずに済んだのだろう。
多感な少女時代を、軍隊という特殊な環境で過ごしたライラには、ひたすら肉体を鍛錬し、上官の命令に従い、敵を殺す。これが全てであり、他者の言葉の裏を読む必要はなかったのである。カエムワセトの従者を兼任するようになってからは、多少はそういった殺伐とした環境から抜け出せたものの、やはり思春期に積んだ経験の影響は大きかった。
イエンウィアがライラに想いを告げなかった理由は、レクミラが初めにライラを見た時にあっさりと発覚した。
★
私はイエンウィアと御客人の様子を遠くから眺めていました。
「そう。あの
私はイエンウィアの想い人を前にして、当たり前ですが、少なからずの嫉妬心に駆られました。
けれど、イエンウィアが拝謁の間で言っていた通り、その娘の心が別の人にあるのは遠目からでもよく分りました。
ある人から片時も目を離そうとしないその
想いを告げた所で、イエンウィアに勝ち目がないのは私の目から見ても明らかでした。その
イエンウィアはその
辛そうな顔一つ見せず。
御客人達がいたので、私は別の出入り口から神殿内に入り、いつものように奥庭に集まって来た動物達と一緒にイエンウィアを待っていました。
この頃には、動物達も随分私に気を許してくれるようになっていましたの。
中でも一番体の小さい猫の子は、よく私の膝の上に登ってきました。胸に抱いてあげると、とても気持ちよさそうにしていたわ。
連れて帰ろうかと何度も考えたけれど、いつも家族で来ていたから、やめておいたの。離れ離れにするのは可哀想でしょ。
ふわふわと柔らかい猫の毛を撫でると沈んだ気持ちが幾分和らいだけれど、まだいつものように笑える気がしなくてね。
その日は、『イエンウィア、もう少し来ないでね』と心の中で願いました。
その思いが通じたのかどうかは分りませんけれど、心のもやもやがだいぶ晴れてきた頃に、お盆に残飯の入った皿を乗せたイエンウィアがやってきました。
いつもより遅くなった彼を待ちわびていたのでしょう。子猫はするりと私の腕を抜けると、イエンウィアの足元まで走ってゆき、彼の服の裾を爪でカリカリと引っ掻きました。
くすりと笑って片手で猫をすくい上げた彼はとても優しげで、胸が締め付けられました。早く彼の元へ行きたくなって、私も立ち上がって近づきました。そして、こう――ぱっと両腕を広げたの。
私の動作を見て、またキスでもされるんじゃないかと慌てたんでしょうね――いえまあ、隙あらばしてやろうと思ってはいましたが――イエンウィアは素早く身を引いて私から逃げました。
「キスじゃないわ。鼻を擦り合わせるくらいいいじゃない」
『息の交換』ならキスより抵抗なくできるんじゃないかと思ったんだけれど、彼はそれすら拒絶しました。
「意味合いは同じです」
そう言って、抱いていた子猫を私の鼻先に突きつけてきましたの。
子猫とでもしておけ、って意味だったのかしら。本当にお固いんだから。
「ケチだこと」
抗議の一瞥を彼に送ってから、私は子猫を親猫の元に返しました。それから、いつもの定位置に座ってイエンウィアが餌を置き終えるのを待ちました。
イエンウィアは、餌を求めてわらわらと寄って来る動物達の前に皿を置いていきました。
餌を並べ終えると、彼もいつもと同じように、私の隣に腰をおろしてくれました。本当は、少し距離をとられるかしらと心配だったのです。少し安心しました。
私達はしばらく、動物達が餌にがっついている様子をぼんやりと眺めていました。
でも、ずっと無言で居るのも勿体ない気がして、私はイエンウィアにぽつりと訊いたのです。
「私と居るのは楽しい?」
イエンウィアは質問の意図を測りかねているようでしたが、「はい」と返事をして下さいました。
「なら、私と結婚しましょう」
私はイエンウィアの袖口を掴んで言いました。
「あなたが首を縦に振ってくだされば、私が責任を持って父を説き伏せるから!」
私が冗談で言っているわけでないのは、イエンウィアも察してくれたようでした。
何度断ってもめげない私に、イエンウィアは明らかに困っていたわ。
「言ったはずだが、私には――」
「どうして私ではいけないの!? あの
お断りの言葉がはっきり出される前に、私は詰め寄りました。
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