第13話 「地図」「タブレット」「ブドウ」

 それは、いま思いだしても貴重な経験だった。


 我が家のベランダ菜園の片隅にハチが巣を作ったことがある。

 アシナガバチだ。

 アシナガバチはせっせと働き、夏に向かって巣は徐々に大きくなっていった。アシナガバチは攻撃性も低いし、毒も弱い。なにより、野菜につくイモムシなどを捕えて食べてくれるのでそのままにしておいた。

 徐々に大きくなっていく巣を見ているのはなかなかに楽しかった。

 ――この巣はどこまで大きくなるのだろう。

 そんなことを思って毎日、巣を観察していた。ところが――。

 夏のある日、その巣にひときわ大きな見慣れないハチがいた。その体つきときたら、他のハチに比べて体積にしてざっと三倍はあるだろうか。

 女王バチか?

 そう思った。

 そうではなかった。そのハチは巣穴に頭をつっこんで、なかの幼虫を引きずり出し、食べていたのだ!

 あわててタブレットを引っ張り出し、検索してみた。

 どうやら、ヒメスズメバチらしい。スズメバチの仲間で、ほとんどアシナガバチの幼虫だけを食べて暮らしているそうだ。つまりは、アシナガバチの天敵、と言うわけだ。

 ヒメスズメバチは巣の上に堂々と陣取り、巣穴に頭を突っ込んでは、幼虫を引きずり出す。一番後ろの二本の脚だけで巣につかまり、残り四本の脚で幼虫を捕まえ、おおきな口でクチャクチャとかみ砕く。四本の脚を小刻みに動かして幼虫の位置を入れ替えながら、クチャクチャと噛みつづけ、団子状に丸めていく。

 夢中になってタブレットでその様子を撮影した。ハチたちがウロウロしているなかで間近にタブレットを差し出し鉄さえ胃する。さすがに怖くあったが、そんなことは言っていられない。この貴重な光景はなんとしても動画として残しておかなければ!

 ヒメスズメバチは作業がすむと肉ダンゴと化した幼虫を抱えたまま、どこへともなく飛んでいく。自分の巣に持ち帰って自分たちの幼虫に食べさせるのだろう。そして、またやってきては次の幼虫を引きずり出す。

 その繰り返し。

 このちっぽけな虫の頭のなかには、自分の巣と獲物と定めた巣の間の明確な地図が刻み込まれているのだろう。そうでなければこうも正確にやってこられるわけがない。ちっぽけな虫とは言え、その知能は侮れない。

 何度もなんどもやってきては、そのたびに巣穴に頭をつっこんで幼虫を引きずり出す。四本の脚で捕まえた幼虫を大きな顎でクチャクチャやって、自分の巣に持ち帰る。

 その間、おとなのアシナガバチがなにをしているかと言うと……なにもしない。

 子どもたちが殺されている。

 食べられている。

 それなのに、おとなたちはなにもしない。一匹として追い払おうなとどはせず、巣の上におとなしくとまったまま。

 ニホンミツバチはスズメバチに襲われると、よってたかって取り囲み、体熱で蒸し焼きにするという。しかし、アシナガバチはそんなことはまったくしない。敵わない相手だからとあきらめているのか、ヒメスズメバチはアシナガバチと同じ匂いを出していて敵と認識されないのか、とにかく、アシナガバチのおとなたちはみんなそろって子どもたちが食われるのに任せている。

 当然の結果として、巣は滅びた。

 幼虫という幼虫すべてが殺され、連れ去られて、巣にはもう一匹の幼虫も残っていない。おとなたちもからっぽになった巣をすてて、どこかに行ってしまった。我が家のベランダ菜園に生まれるはずだったハチの王国は……生まれる前に消えてしまった。

 それからしばらくの後。

 栽培しているブドウの木に小さなハチの巣があった。

 驚いた。

 子どもを皆殺しにされたアシナガバチたちは、巣を捨てて逃げたのではなかった。しっかりと新しい巣を作り、新しい子どもを育てようとしていたのだ。

 ――なんとたくましい。

 はっきり言って感動した。けれど――。

 「そこはおれの育てているブドウの枝だ。すぐそばに顔を近づけることもあるし、手でさわることなんてしょっちゅうだ。さすがに、そんな場所に巣を作られては放っておけない」

 と言うわけで、心ならずも殺虫剤を使った。

 缶のレバーを引くと大きな音を立てて毒の霧が吹き出した。強烈なジェット噴射がハチごと巣を吹き飛ばした。生き残りのハチがその場に近づかないよう、巣のあとにはたっぷりと殺虫剤をかけておいた。

 ――今度こそ終りだ。ハチの王国は滅びた。

 そう思った。ところが――。

 そうではなかった。

 ハチたちの物語はまだつづいていた。

 それに気がついたのは秋になった頃。

 ベランダ菜園のプランターの位置をかえようと、手をかけた。そのとき、指先になにかが当たった。プランターの陰から転がり落ちたもの、それは――。

 ハチの巣。

 巣穴がいくつかあるだけの小さなハチの巣。

 小さいけれど、それは確かにアシナガバチの巣だった。

 なんと言うことだろう。天敵のヒメスズメバチに子どもを皆殺しにされ、身勝手な人間に殺虫剤をまかれ、二度までも巣を失いながらハチたちはなお、人目につかない場所に三つめの巣を作り、新しい子どもを育てていたのだ!

 なんとたくましい。

 そう思った。

 同時にわかった気がした。

 どうして、おとなのアシナガバチたちはヒメスズメバチに立ち向かわなかったのか。

 このためだったのか。

 新しい巣を作り、新しい子どもを育む。

 そのためにヒメスズメバチと戦わなかったのか。

 生き残り、子を残すために。

 生きる戦い、それは産むこと。

 ベランダのハチたちがそう教えてくれた。




後書きにかえて

 このハチたちの物語、実は完全な実話です。私が実際に自分で世話をしているベランダ菜園で起きたことそのままです。主題はあくまでハチたちなので【三題噺】の主旨からは外れるかとは思いますが、私の人生でも屈指の貴重な経験と教訓なので、この場を借りて紹介させて頂きました。

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