マキナ・エクス・デウス

たけぞう

ピロートーク

 カタン、と音が鳴った。

 彼は耳を澄ます。どうやら、彼女が今日の日課を終えて帰ってきたようだ。後ろ手にドアを閉めている彼女の輪郭が、夜目にうっすらと見えた。

 彼女は、寝室の絨毯の上を足音もたてずに移動する。幽かな息づかいだけが、彼女の身長ほどの高さで滑るように近づいてくる。

「拓已、寝ちゃった?」

 そう彼に声をかけながら、彼女は、彼の寝ているベッドの隣にてさぐりでゆるゆると潜り込んだ。

「いいや。なんとなく、君を待っていた」

「そっか。ありがと」

 彼女は、自分の頬を彼の頭にこすりつけた。背後から抱きすくめられたが、微睡みの中にいた彼は特に抵抗もせずに、彼女のなすがままにさせることにした。

 彼がそのままでいると、幽かに衣擦れの音が聞こえてくる。彼女には、昔から寝るときに生まれたままの姿になるくせがあったが、最近になってようやく最低限下着を着けるという譲歩を引き出して、今に至っている。

 背後から響く生々しい音に、彼はいまだに慣れなくて固唾を飲んでいた。 

「あのね、」

 ややあって、少しくぐもった声が聞こえてくる。

「恋をするということ、を、死ぬことと見つけてしまった」

 彼女は、ベッドの上で枕に顔を埋めながら、もごもごと呟いていた。

 彼女の下着以外の衣服は、ベッドの周囲に同心円を描くように脱ぎ散らかされ、その綿やポリエステルの幾何学図形の中心で、彼女は舌足らずな哲学を口走る。

「うん?」

 彼女の隣で固まっていた彼は、寝返りをうちながら彼女の方を振り向いた。

 半覚醒のまま、目的意識も計画性もなしに振り向いた彼は、自分たちがどれほど近くで寄り添って寝ていたかを忘れていた。彼女の桜色の頬は、彼の鼻と今にも触れそうな距離で並列している。

 すると、彼の息がくすぐったかったのだろう、くすくすと笑い声を漏らしながら彼女はゆっくりと顔を上げた。そして向き直ると、彼女は甘えるように彼の鼻に自分のそれをこすりつけながら、甘い声でもう一度彼に要旨を伝えようとする。

「らぶ、いこーる、でっど」

「……お、おう」

 ささやかれた言葉は、形式的にアバンギャルドさを増していた。

 しかし、そんな形而上の話より、彼には目下、形而下の状態が気になっているわけで。至近距離で感じる彼女の吐息が、彼の鼻腔をくすぐって、その芳香に毛穴が開いている気さえした。

「……その心は?」

 やっとの思いで、彼はただそれだけ問い返す。

 そんな彼の様子に気づくでもなく、彼女は、ちいさな発見を誇らしげに語る子供そのものの無邪気さで、吐息とともになぞかけを解き始めた。

「武士道とね、同じだよ。それについて考えていると、生きることよりも、死ぬことが気になってくる。恋は、生き方よりも、死に方を変えてしまうんだ」

 少しふんわりしていて具体性に欠けるな、と彼は思う。だから再び問う。

「例えば?」

 彼女は、少し考えて続けた。

「例えばね、そう……死ぬというのは不変への第一歩でしょ? 変わらずにはいられない生から解き放たれて、いつまでも変わらない存在になるの。どうしようもなく終わっているくせに、メタファーは永遠なのよ。その辺のロマンが、きっと、恋愛と交差しやすくて……」

「願わくはこの恋よ永遠に、ってわけか」

 少し気取った調子で、彼は彼女の言葉を受けた。

「そう。そうなったら、後はもう死ぬしかないよ。生きている限り、不変も永遠もあり得ないんだから」

 そんな物騒なことを、彼女は言い切った。

「死ぬしかないですか」

 真面目くさって彼が聞き返すと、

「ないですね」

 少し笑って、彼女は応えた。

 そんな彼と彼女を、カーテンごしに差し込んだ月明かりが柔らかく照らし出していた。

 白銀の光を受けた、その姿は――

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