短編集
杏杜 楼凪(あんず るな)
「ある日見た夢の話」(ホラー・残酷描写有)
「他人の夢の話ほどつまらない物は無い、って?
まぁその気持ちは分かるけど、今回はあなたにも関係があるんだから、少し我慢して聞いてよ。
最初、私は身を焦がすような絶望に明け暮れていた。
どうして……どうしてだろうね? 何故絶望してたかは思い出せないのよね。ただその時、何か大きな挫折や裏切りに出会い大切な物を失った事は覚えてる。今すぐ死んでしまいたいと思う程に大切な物。
それが何だったのか……今になっては分からないけれど、今となっては大した事じゃない。
カーテンを閉め切って、部屋の扉に鍵を掛けて、昼も夜も分からない中で天井を見つめ続けるの。鋏をひたすら見つめている事もあれば、泣き喚きながら暴れ回って疲れて眠る事もあった。
そんなある日、私の前に神の使いが現れたの。
その
彼は×××と名乗り、そっと私に左の手を差し伸べてくださった。その手は羽織と同じ色の手袋に包まれている。
その手を取ろうと右手を伸ばすと、彼は手をくるりと翻し、私の手に何かを乗せた。
『あなたにひとつ、〈ライト〉を差し上げよう』
それは彼と同じ色をした蛇の置物だった。
『〈ライト〉……? 光るの?』
私が聞くと、あの御方は肯定も否定もせず掻き消えるようにいなくなってしまったの。
そのすぐ後、私に大きな幸福が訪れた。でもその内容はあまり覚えていないの。不思議よね。
私が覚えてるのは、幸せがひとつだけ訪れた事。それ以外は相変わらず絶望的だったけど、その幸せが無ければ私は生命を絶っていただろう事。
次に×××様に会った時、私が口を開く前にあの御方はこう言った。
『あなたにも然るべき〈ライト〉が与えられた。神はいつも見ているよ』
そして×××様は私に真実を与えてくださった。
〈ライト〉は light――灯りであり、right――権利である。
right――正しく神を信じた者に与えられる〈ライト〉は、迷える者を導く灯りとなり、幸福を得る権利となる。
『灯りが灯ることで影が生まれるように。権利を得たなら義務を果たさなければならないように。〈ライト〉はいつも平等だ。等価交換さ。分かるね?』
等価交換――。
私はあの
指を切り落とした後、私はただ包帯に赤い物が滲んでいくのをぼーっと見ていた。何だか自分の血だとは思えなくて、泥で汚れた水溜まりを見ているような気持ちだった。
×××様は私の右手を羽織と同じ色の布で包み、そしてその布の上に青い薔薇を乗せてくださった。
『さぁ、次に与えられる〈ライト〉は何かな?』
その薔薇は真っ青なガラスで出来ていた。水面が揺れるように光がちらちらと反射する、私の掌と同じ大きさの薔薇。
直感する。次に私が捧げるのは――。
青い薔薇を手にした後、私は更に大きな幸せをひとつ得た。
例に漏れず詳細を覚えてはいないけど、〈ライト〉の教えに従って喜んで右の手を差し出した事はよく覚えている。自分の力では幸福も掴めない。そんな自身の非力な手などに執着は無かった。自分で掴んだ努力や信頼は簡単に私を裏切るけれど〈ライト〉は裏切らないから。
それから私は青に陶酔した。
私が不幸になると×××様が現れて〈ライト〉を与えてくださる。青は、×××様の色は私を救ってくださる。
中指は青い蛇に。
手首は青い薔薇に。
耳朶は青い蝶に。
足先は青い鴉に。
眼球は青い砂時計に。
青い扉。青い壁。青いカーテン。青い車椅子に腰掛け、私は部屋中を埋め尽くす〈ライト〉達を愛し続けた。
でもね、そこで問題が起きたの。
腕、脚、耳、目、肺、腎臓――。
right――右 の名が付く物を私はほとんど全て捧げてしまった。
残るは脳だけだ、と思ったその日に、あの御方は姿を消してしまったの。
絶望した。
あの御方と出会う前とは比べ物にならないくらいに絶望した。
幸せを知った後の絶望っていうのは、普通の絶望よりもずっと苦しいのね。私、そんな事も初めて知ったの。
初めは、私が何かを間違えてしまったんだと思った。神様の、もしくは×××様の気に障るような事をしてしまったんだ、って。
でもそれはありえない。ありえないの。だって私は完璧に教えに従う敬虔な信者だった。私の信心が過ちを犯す事なんてありえない。絶対に。
でも、そしたら、どうしてあの御方は居なくなってしまったの?
分からなかったから考えた。
考えて。
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて――!
そして気付いたの。
私は次に進まねばならない。
私の生まれ持った物だけでは神様は満足してくださらないんだ。だからもっともっと神様に〈ライト〉を捧げなきゃいけないんだ。私が持ち得る物だけでは足りないのなら、他の人間の力を借りるのだと。助け合う事が大切なのだと。
きっと×××様はそれに気付き私を導いてくださった、先達の信徒なのだ。
こうやって私が考える為に、私が気付く為に、あの御方は私に脳を残してくださったんだ。
なんて深い愛情だろう。なんて素晴らしい御方なのだろう!
次は私が×××様になるんだ。
〈ライト〉の教えを広げ、導くんだ。
それが私の夢なの。生きる希望。素敵でしょ?
だから――あなたの〈ライト〉を頂戴?」
そう言うと、青い女はニタリと笑った。
話は少し前に遡る。
ふと気が付くと自分は真っ青な部屋の中にいた。
手足に力が入らない。叫ぼうにも喉奥に何かが詰まったような感覚だけで声はひとつも出ない。ただ自由の利かない肢体をどうにか動かそうと呻き続ける事しか出来なかった。
目の前に座る不気味な女は、真っ青な車椅子に腰掛け、これまた青い布を頭から纏っていた。右眼があるはずの部分は黒く窪み、右の腕や脚が隠れているであろう場所も、青い布が所在無さげに揺れるのみである。左の袖からちらりと覗いた手首は骨張って青白く、死神や骸骨を想起させた。
その女は、目が合うや否や夢の話とやらを一方的にまくし立て始めた。
鬼気迫る声、肌が粟立つような醜怪な内容。しかし語り口調はまるで友人と喫茶店にいるかのような平穏な物で、時に、聞こえない声で誰かが相槌を打ったかのように振る舞う。それが余計に不安を煽った。
夢だ。夢に違いない。それも酷く悪趣味な夢だ。
女は左の口角をニヤリと上げた。右側の表情はピクリとも動かない。
「あぁ、あぁ……羨ましい。あなたにはこんなにたくさんの
女は、左手を此方に伸ばす。赤黒く錆び付いた鉈が、青い世界の中で異様な輝きを放っていた。
自分の意志に反し、右腕が女に向かって伸びる。
持ち手だけが青く塗られたその鉈を自分の右手が受け取り、自分の左手に手渡すのをただ見ていた。
「あぁ! 神様!」
女が恍惚とした表情で天を仰ぐ。
左手が鉈の柄を弄び、思い切り振り上げる。
畜生、夢なら早く覚めてくれ。早く!
祈る自身を嘲笑うように。
左腕が、右手に、鉈を振り下ろした。
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