【悲報】この異世界、人がいない【なんなら自分も人間じゃない】

@coelo

第1話

 貴志 咲岩きし さがんはアマチュア写真家だ。


 専業ではない趣味のものではあったが、どこへ行くにも愛用のデジタル一眼レフカメラを持ち歩き、気に入った風景や生き物がいればその都度カメラを構えて写真を撮影した。


 突風の季節にピンク色で染まった河川。青い空に伸びあがった巨大な白い雲。林立するビル群にせわしなく行きかう人々。閑散とした村落に降り積もる落ち葉。白銀の世界で揺れる木々…。



 未だ青年期の身ではあるものの、咲岩はこういった景色が織りなす情緒感を好んでいた。中でも草花を被写体としてよく捉えており、国内の様々な野山へ出向いては季節の花々をその眼で楽しんできたものだ。

 

 曰く、写真を撮るという行為に心血を注ぐような熱意があったわけではない。しかしながら、学生時代から続けてきた趣味は確かに彼の人生観に影響を与えてきたと言える。


 幼少期から人づきあいが苦手な彼は、静かに一人で没入できる物事に積極的に取り組んだ。写真は勿論、花壇や盆栽といった植物栽培や水槽内でのテラリウム製作。プラモデルや読書…時にはインターネットでライトノベルを漁ってみたりもした。


 放任主義で関係性が希薄であった両親から長期的な一人暮らしができるだけの資金を受け取り、学生時代のアルバイトや定職についてからの賃金を基に様々な趣味に手を出してみたのである。




 本業の傍らではあったが、時には撮影した写真を雑誌へ提供することもあった。さらにはインターネットを用いてちょっとした写真集を販売したりなどもして細々と、しかし充実した日々をこれまで過ごしてきたのが今日こんにちまでの彼の人生だ。



 …そして、そんな彼の人生は唐突に終わりを迎えた。



 ◆



 遠出をした後の帰路。梅雨に差し掛かった6月はじめの時期だ。


 茜に染まる空が美しい時間帯、後方に車両がいないことをいいことに、気持ち緩やかな速度で曲がりくねった山道を運転している。とんとんと指先で調子の外れたリズムをとりながらハンドルを切る私は、少々浮ついた気分で今日の出来事を思い返していた。


 今回、私は普段の住居から車で3,4時間ほどかかる某県某市内で1泊2日の小旅行をしていた。目的はこの時期にしか見ることができない希少植物の撮影のため。法律で保護されているような代物なので撮影できる場所すらも限られているのだ。かねてから撮影のためにスケジュールを調整し、やっとの思いでベストな一枚を撮ることができた。


 脳裏に浮かぶのはまっすぐに立ち上がったその姿と、天を見上げる真っ白な花弁だ。陽光に照らされキラキラと光を放つその草姿は人と里山の長きにわたる関わり合いによって存続してきたものだ。…人々の多くが山から離れて久しい今日では、もはやその数は極端と言えるほどに減少してしまったのだが。


 しかしだ。私はその消えゆく優姿を自らの手で記録することができた。これだけでも私にとっては大変喜ばしいことだったと言える。…失われてしまえば、復活は難しいのだ。



「は~…よかったなぁ…。」



 感嘆のため息とともに口から漏れた言葉は、されど自分以外に乗る者のいない車両にただ溶けていく。人によっては物寂しさを覚える光景であろう。しかしながら、私はやはり上機嫌に車両に取り付けられた音楽スピーカーのスイッチに手を伸ばした。



「~♪」



 比較的ゆったりとした、優しげな音色の曲が車内を満たしていく。伸びやかな女性の声とライアーの透き通った音が心地良い。物心ついたころから聴いている曲だが、何度聞いても染み入るような歌詞に聞き入ってしまう。


 車窓越しの遠くの空で日が山の向こうへと落ちて行く。

 もうじき峠だ。ハンドルを切り、山道特有の急な左カーブを道に沿って順当に曲がっていく。空は次第に茜色から紺色へと変わりつつあった。



 その時。



 ぐらり と、車体が傾いた。



「!?」




 右側――崖の方へ、体の重心が持っていかれる。




 焦ってハンドルを左側へ全力で切ってみるものの、車体の傾きは止まる気配はない。乱雑にアクセルを踏んでも、ブレーキを押しても、駆動音の変化以外に一切の制御が効かない。


 当然だ。車体が浮いているのだから。崖自体が崩れているのだから。



「くそっ!!どうなって…うっ!?」



 ぐわん と視界が激しく揺れる。車体が横転したのだ。…いや、それだけじゃない。ごろごろと斜面を転がり始めた。シートベルトに固定され、体だけは動かない。だがしかし、首や手足はがたんがたんと揺さぶられ、激しい痛みが襲ってくる。どうやら舌も噛んだらしい。口の中に生暖かい血の味が広がって来た。



 そして、不幸は重なるものだ。



 ぶれる視界の先、窓越しに大きな塊が見えた。岩だ。転がり落ちるであろうその先に、巨大な岩が鎮座している。勢いの付いた車体はもはや止まることを知らず、一直線にその岩へ向かっていった。



(あ、死んだな。)



 衝撃に備え、目を瞑り、ぎりっと奥歯を噛み締める。

 …痛くないといいな。いや、それ以前に――



(――まだ、見たい景色があったのに――)



 さいごに感じたのは、何かが飛び散る音と血の味だった。




 ◆




 ざらついた暗闇から意識が浮上する。


 赤、青、緑の3つの色で構成されたグリッチノイズを抜けると、そこには枝葉を広く伸ばした緑の天井があった。うっそうと茂った樹冠は隙間から灰色の空をわずかに覗かせている。


 呆然と仰ぎ見る私のもとへ、次いでチチチ…という小鳥の鳴き声や微風に揺られそよぐ草の音が聞こえてきた。覚醒して間もない、思考能力の低下した頭を重々し気に動かして脳内に言葉を生み出していく。



(…あれ、なんでこんなとこで寝てたんだろ…?)



 寝起きの頭により生成された最初の思考は間の抜けたものだった。仕方ないだろう。こちとら年中マイペースなのがちょっとした取り柄なのだ。…時によっては短所でもあるが。


 さて、私はキャンプこそ経験はあるが、野外で寝袋にも入らずそのまま眠ってしまうような不用心なことはしないつもりだ。というかそもそも屋外で寝泊まりするような予定を組んだ記憶はない。ならばなぜこんな場所で寝ているのだろう。



 呆けた頭をゆっくりと稼働させ、自分の身に何があったかをようやく思い出す。



『………おお!?生きてるっ!?』



 まずい。崖崩れに巻き込まれたんだ。衝撃で気絶してしまったようだが、幸運にも生きているらしい。車外に出ているのは途中で投げ出されたからか。何にせよ、ここが森のなかであるという事実からおそらく事故現場からそう離れていない。このままでは二次災害に巻き込まれてしまうかもしれない。逃げねば!!


 緊急事態をようやく思い出し、慌てて両腕を支えに、がばっと体を起こした。どうやら体の腰から下が半ば土に埋もれていたらしく、太ももあたりでぼこりと土を退ける感触がする。

 

 続けざまに上体と首を動かしてぶんぶんと周囲を見渡すと…ただただ静かな暗い森が広がっているだけだ。振り向いて背後を確認してみても、林床に疎らに広がる大小さまざまな草と立ち並ぶ樹木だけがそこにある。至って平和だ。危険も…クマやイノシシに代表されるような野生動物が急に出て来たり、触れたらまずいような強力な毒性のある植物でも生えていない限り無さそうだ。



 …そして、同時に頭に新たな混乱が生じる。どこだここは。

 


 崖崩れの痕跡…土砂や自分の車、そのほか何か目に付くものはどこにも無い。ただただ人気のない、記憶にも無い森だ。うん、おかしい。私の身に何があったんだ?


 とりあえず、五体の感覚はちゃんとある。しっかり確かめてはいないうえにどこか違和感を覚えるものの、身体に欠損はなさそうだ。視覚も聴覚も嗅覚も異常はない。警戒こそすれ、どうやら私は無事であるらしい。



『助かった…のか?……?』



 呟きながら、明確な違和感を覚えた。声の感じが普段と違うのだ。どこか、機械音のような無機質さがある。肉声ではない、スピーカー越しのような少し加工されたような無機質さ、という表現で伝わるだろうか。



『喉が…?…んっ!?』



 首に手をやり、声帯の調子を確かめようとしてわずかに視線を自身の身体へ落したことで気が付く。自身の身体に異常が生じているのだ。



『な、なんだこれ…!!』



 両手を広げ、異常なそれを見る。


 形状自体はヒトのそれと変わりはない。五指で拇指対向。物をつかむのに適した進化で人類の道具はこの手の形に合わせて作られてきた。しかしながら、その見た目が異様だ。


 爪が無いことは些細なことだ。問題なのはその質感。濡れ羽色のその体は鉱石のようなざらついた質感を持ち、ところどころ青い光をほのかに放っている。どう見ても人間、ましてや生き物の身体ですらない。手を握って開く動作を繰り返し確かめると、見た目に違わずゴリゴリと硬い感触がある。

 指を擦り合わせるとやはり石と石を合わせてこすり合わせたようなザリザリという音が聞こえてくる。しかし、擦った指が削れたというような様子はない。少し強めにぐりぐりと擦ってみても変わらないことから、どうやらなかなかの硬度があるようだ。



 …そして、それが全身同様である。



 私は動揺を押し殺しつつ、地面から立ち上がった。体に付着…あるいは、堆積していたようにも見える落ち葉や土がパラパラと落ちて行く。


 手の指先から足のつま先まで、一様に鉱石質の身体に変化していた。これだけで病院に行くどころの騒ぎではないが、さらには体格までも変わっている。もともとガタイ自体はそこそこあった方だが、それを加味してもかなり身長が伸びているのだ。具体的には直立したら2メートルを超えるだろう。視点の高さに違和感を覚えざるを得ない。



 しかも全裸である。服はどこへ行った。



『なんじゃこりゃあ…。』



 呆然とした言葉はどこへともなく消えて行った。


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