Episode1 別れ

「麗、お前だけこの家から出なさい」


学校から帰って来た途端、父の優心ゆうしんに神妙な面持ちで告げられた。

いつもにこやかな母の美桜みおも、今は口元に笑みはなくぎゅっと結ばれている。

いつもとは違う重たい空気が漂っている。


「なんで出て行かなくちゃいけないの。それも、私だけ」


「詳しく説明している暇はない。ただ、ひとつ言えるのは、お前が危険な目に遭う危険があるということだ」


「……どういうこと」


「最近、日本でもたびたび食糧難が起きていることは麗も知っているだろう」


こくりと麗は首を縦に振る。


2020年ごろから続いていた食物の値上げは、止まることを知らず、2100年となる日本では、温暖化の進行や天候要因が大きな原因となり、各地で食糧難が起きるようになっていた。

今や野菜や果物は高級品になりつつある。


「そのことが私となんの関係があるの」


「お前の涙が問題なんだ」


父は、屈んで麗と目線の高さを合わせ、真っ直ぐに見つめた。


「お前と母さんの涙は、特殊だ。枯れた植物を蘇らせることができる。

つまり、お前と母さんの涙があれば、天候に左右されず安定した食糧の確保ができる。

お金よりも食糧を持っている方が良しとされる今の日本にとっては夢のような能力だ」


「っ、それならみんなが困らないように、この涙を使ったら?そしたら、食べ物に困る人はいなくなるし、私だってこの家を出る必要はなくな……」


叫ぶように言うと、「麗!」という父の言葉に遮られた。

普段温厚な父からは出ない怒気を纏った大声に、びくりと麗の身体は小さく跳ねる。


「麗、言っただろう」


縮こまる麗を見て、父はいつもの穏やかな口調に戻って言った。


「涙を流し続けると、いずれ視力を失ってしまう。日常で流す涙の量では問題ない。

けれど、麗の言う“みんなが困らない”くらいの涙は、明らかに日常的に流す涙の量を超えている」


「でもっ、明確な基準なんてないんでしょう!?それならなんとかなるかも」


視力を失うのは嫌だ。

でも、それと同じくらいお父さんとお母さんと離れたくない。


「……麗。1つ言っていなかったことがある。この特異体質を持って生まれた者のもうひとつの代償だ」


父は、絞り出したような細い声で言った。


「もうひとつの代償……?」


父は険しい表情で首を縦に振る。


「視力を失ったあとも過度な量の涙を流し続けると、麗自身の身体の水分がなくなり、いずれ死に至る」


「え、死……」


「江戸時代、お前や母さんのように同じ特異体質を持っていたご先祖様は、村の飢饉を救おうと涙を流し続けて亡くなったそうだ」


「そん、な」


「お前を不安にさせてしまうからと思って、ずっと黙っていたんだ。……できるならば、黙ったままでいたかったんだがな」


死という言葉が自分と結びつかず、うまく自分の中に入ってこない。

頭からは、徐々に思考力が奪われていく。


「ここに現れる奴が、国のためにお前たちの涙を使うとは限らない。

むしろ、そうじゃない可能性の方が高い。

お前たちの能力は、その能力を知ってる奴に悪用されたりすることだってあるんだ」


だから使ってはいけない、と言われていたのか。


「麗、だから頼む。お前だけでも逃げてくれ」


「嫌だ!一緒に逃げよう?私が危ないならお母さんだって危ないよ!」


母に目を向けると、母はいつもの優しい顔で言った。


「麗、ここにいると麗まで危ない。

あなたはまだ14歳。これから先、楽しいことがたくさん待ってる。麗には、いろんなものを見てほしいの」


麗の瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。

必死に涙を堪えていると母の温もりがふわりと麗を包んだ。


「3人で逃げると見つかりやすい。だから、優心さんと私はここに残る。

麗、あなたは逃げて」


母はゆっくりと身体を離し、しっかりとした眼差しで麗を見つめた。


「麗、あなたの人生よ。誰かに利用されてたまるもんですか」


麗の頬を一筋の涙が伝う。

それは、大粒になり、次々と床を濡らした。

その涙を母は優しく拭ってくれた。


「麗。あなたの幸せが私たちの幸せなの。勝手なことを言っているのは分かっているわ。

14歳のあなたに酷なことをさせてしまって申し訳ないと思ってる」


母は気丈に笑っている。

けれど、声が震えているのは隠せていなかった。


「いろんなものを見て、いろんなことを経験して、たくさんの人に愛される大人になって」


麗と同じ青色の母の瞳からも涙が静かに頬を伝った。


「……本当はずっと側にいたかったけれど、これからは私たちの代わりにあなたを守ってくれる人たちがいる。だから、大丈夫よ、麗」


うわぁぁぁんと声をあげて泣きじゃくる麗の後ろから、突然、聞き慣れた声がした。


「優心さん、美桜さん、準備できました」

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