彼岸船

カノン

彼岸船

三途の川。

はるか昔から日本に存在し、彼岸と現世を別つ境界の役割も果たす境界線。

その全容は川に満ちる薄霧によって覆い隠され、されども海を思わせるほどに大きく深いその異様は、はっきりとわかる。


強い風が吹くことはなく、静かな川音が響くそれは荘厳で雄大というものなのだろう。

厚雲によって陽光すらほとんど通さず、されどもあたりは不思議と光に満ち満ちていているようなそれは、訪れた魂に無意識下での安心感をもたらす。


神聖なる仏の領域は誰にも、神ですら汚せないということの暗示なのだろうか。

さて、そんな誰もが知る三途の川だが、死した魂達は一体どのようにこの川を渡り、彼岸へと向かうのだろう?


 まるで門のように生えた二本の松の木の間。

 そこで待つのは死した魂が二十人前後。

 そんな彼らの前に薄霧をかき分け、川を割り進む何かの影が現れた。


 それは……、船だ。三途の川を渡る唯一の手段。

 死した魂は船で彼岸へと向かう、昔からよく壁掛けや屏風として描かれる光景だろう。


 ……しかし、船を見上げる魂達は、現れたそれに唖然とした。


 そう、木造でゆっくりと動くボロい船……、ではなく白く染め上げられ、そこそこの速度で航海をする中型の電動クルーズ船に。


 ところどころにチカチカと光り方が切り替わるライト、それが薄霧に乱反射している姿。

 脇の方に『Higan Ship』と直訳というか、ローマ字で書かれた文字に笑いを誘われる、あまりにも現代的すぎる彼岸を渡る船、そのとある一室にて。


「今日は二十人か。いつもよりも少ないな」


 船外と同じく、暖かなランタンやふわふわの絨毯などできちんと装飾されたホテルのような部屋で、黒ローブで頭をすっぽりと隠した男、役職名で『死神』と呼ばれるそれは呟く。


 そのローブは傍目から見ればボロボロ、しかしその至る所にちょっとした補強や刺繍、さらに金の縁取りが施されていることから、初めからそうなるように作られたとわかるもの。


 ローブから出ている腕や脚は抜き身の骨。白骨化した手で持つのは鎌ではなくただのボールペン。

 墓場ではなく豪華な部屋で、死神が書類の読み書きといった事務仕事をする姿は傍目から見ると意外とシュールだ。


 しかしその頭部、本来見えるはずの顔には髑髏があるわけではなく、深淵の如く何もない。

 いや、何かあるのかもしれないが、それを濃い闇が覆い隠す様を見れば恐怖を与えるには十分なのだろう。


 そんな死神を乗せた、使者の魂を送る船、『彼岸船』。

 昔は伝承の通り木造の船を死神が動かし渡っていたが、時代の進歩のおかげで電動の中型クルーズ船へと進化を遂げる。


「おかげで筋肉痛には悩まされなくなったが……」


 腕の力が衰えてしまった。

 白骨化した腕に筋肉などあるとは思えないが、死神は皮肉げにそういって笑う。


なぜ『死神』が彼岸船に乗るのか、それは魂を運ぶと共に『死神の仕事』を同時に行うためだ。

 『良』とされた魂を彼岸へ送り届け、『悪』とされた魂を川の底、『地獄』へと捨てる。


 その選別を、『天の部屋』と『地の部屋』に選り分けるのが死神のお仕事。


 しかも、このクルーズには彼のような死神が何人か乗っている。

 一回の航行で一人しか相手できなかった時代とはえらい違いだ。


「え〜っと、私の担当はこの男か。経歴は……、うわぁ、ひどいもんだ」


 手元の資料を、苦虫を噛み潰したような顔で読む死神は、


「さて、仕事を始めますか……」


 そういうと机に資料を置き、魂を迎え入れる準備を整えた。


 ●


 コン、コン。

 部屋のドアがノックされる。


「どうぞ」


 死神の返事に失礼します、と向こうから声がした。

 入ってきたのは、高身長に合わせた黒スーツに身を包み、黒髪をオールバックできっちりと決めた男。

 しかし、その目にかける黒縁メガネの奥の瞳は、厳しさ、険しさといったものはなく、どこか優しさを与える微笑を讃えていた。


 優男、こういう男がそう呼ばれるのだろうか?

 死神がそんなことを思っていると、目の前の優男が口を開く。


「初めまして、私は尾上大成と申します」


 そういって丁寧にお辞儀をする様子は実に様になっていて、彼、尾上がこの手の仕事をこなしていたことを容易に想像させた。


「……」


 死神がチラッと資料を見れば、この尾上という男には息子が一人いるらしい。

 しかし、妻はいなかったらしく、シングルファザーとなっている。


「初めまして、私のことは『死神』とでもお呼びください。……とりあえずそこへお座りに」

「はい、よろしくお願いします『死神』さん。失礼します」


 尾上はそう返事して椅子に座った。

 対面の面接を彷彿とさせる光景。


 さて、と死神が資料を捲りながら質問をしようとした時、


「私は、当然彼岸に送られる人間だと思っております」


 座った直後、尾上はそう切り出す。


「というと?」

「私は、これまでに銀行員として何人もの人々を救ってきました。なのに、ここで彼岸に行けず、地獄に落とされるのはいくらなんでもおかしいかと思いまして」


 身振り手振りを加えていう姿は、さすがはやり手というべきか。


「営業に困っている事業者にギリギリまでの融資をし続け、粘ったのは私しかいないはず。それでもダメな方はおりましたが、私は精一杯のアドバイスと援助をしたと思っています」

「……なるほど、そうですか。ですがご安心を、我々はそこを考慮して判断いたしますので」


 死神の手元には、すでに魂、尾上のこれまでの経歴が載った資料が手元にある。

 それに加え、死神としてこの人間がどういう性質を持つかを見極め、『良悪』を決めるのだ。

 魂の今後を決める、ある意味この世で最も大事な仕事と言っても差し支えはないだろう。


「本当ですか! ありがとうございます!」


 すでに彼岸へ渡った気でいるのか、尾上はそう言って喜ぶ。

 なんでそんなに自信満々なのかと尋ねたくなる気持ちを抑えて、死神は仕事を始める。


「それでは、あなたを彼岸へ送るか、その最終審査を始めます」


 では、と死神は資料を捲り、


「あなたの人生を振り返らせていただきます」

「私はどうすれば良いですか?」

「そのままで結構。全てお任せください」


 まずは、と死神は喋り始める。


「あなたの仕事について。いや、本当にちゃんと働いていらっしゃいますね。時には残業まで」

「えぇ、みなさんのために頑張るのは当たり前ですから。世界をより良くする、そうすれば私にとっても幸せになるに違いないですし」

「……いや、本当にご立派ですね。その姿勢を上司に評価され、出世を繰り返してきたと」

「はい、会社の人は皆とてもいい人でよかったです」


 そう笑う尾上。


「しかし……、車での通勤中、横合いから飛び出してきたトラックと衝突、脳髄損傷の即死、ですか。いやぁ、これは不幸でしたね」

「えぇ……ですがすぐに死んだおかげか痛みもあまり感じず……。この世に未練はありますが、彼岸に向かおうと思います」

「……ふむ、なるほど」


 死神は尾上の返答にゆるく返す。

 そして再び、資料を捲り、


「……おや、おやおや」


 死神は少し声のトーンを下げて呟く。

 その演技じみた声に、


「……どうかされましたか?」


 尾上は思わず反応する。

 そんな尾上を見えない顔で見つめて、死神は言う。


「いえ、あなた……、賄賂に裏金、児童虐待、他にも色々やっていたようですね?」

「……ふむ」

「これで『世界をより良く』しているとは、なかなかに『良い事』のハードルが低い。あなたは本当に良いことをやっていたので?」

「……っ」


 その問いに尾上は僅かに俯き、顔に影を落とす。


「……っ、く……」


 それは何かを堪えているようだ。自分の罪が暴かれたことへの焦りか? それをしたことへの後悔か?


「……く、くっ」


 いや、残念ながらこの男はそんな人間ではないことを、死神は知っていた。


「……ハハッ、ハハハッ、ハハハハハッ!」


 次の瞬間、尾上は大笑いをかます。

 その哄笑は下手したら分厚い壁の向こう、隣の部屋まで聞こえそうなほどに大きい。

 そしてやっとその笑いを抑え、尾上は返答をする。


「何を言ってんだ? 人間の交流は結局物々交換だろうが。俺は融資の対価に裏金を、出世のために賄賂を。言ったろ? 『世界をより良くすれば、私も幸せになる』と。それは相手も納得した上でやったこと、大丈夫に決まっているだろ?」


 尾上はそう言い切った。

 その顔にはさっきまでの優男の姿はない。自分の過去がバレているとわかり、被っていた猫が剥がれ落ちて、本当の尾上が姿を表したのだ。


「……自分の子を虐待することも?」


 死神はさらにもう一トーン声を低くして、尾上に問いかける。


「あれは俺の子。つまり俺のものだろうが。何をしてもただの躾になるに決まってんだろ?虐待なんてもんじゃない」

「面白いことを言う。ですが、それは人道に反していると思わなかったのですか?」

「思わねーよ。嫌なら児相にでも警察にでも逃げればいい。監禁なんてしてなかったし、いつでも自由に出入りできたのに逃げない。ならそれは『本人の意思』ってやつなんだろ? それにあれはいつのまにか孕んでいた、援助をしていた女のガキだ。世話をしてやっただけでも感謝すべきだろうが」

「……」


 そう言う尾上に、死神は一瞬間を開け、


「なるほど、そう言うことですか。わかりました」


 そういうと、死神は立ち上がり、


「我々は感情、それと共に世界への貢献度、あなた自身の価値を踏まえて最終決断をします」


 尾上の前まで歩いてくる。


「へぇ? それなら俺は大丈夫そうだ。世界への貢献なら俺は確実にトップクラスだからな」

「そうですか」


 そして、尾上の前までずいっ、と顔を突き出し、


「さて、それでは判決を下します。良悪を選別された魂は、一時的に『天の部屋』か『地の部屋』に選り分けられるのはご存知で?」

「……あぁ、それは案内に聞いたよ」

「それは何より。それではあなたは……『天の部屋』へ向かってください」


 そう告げた。


「……ハハ、天か」

「えぇ、天です。よかったですね」

「やっぱり俺の世界への貢献度は高かったんだよ! いろいろ説教垂れたのに残念だったな『死神』さ~ん」

「……」


 死神はそんな尾上に笑う。


「それでは、外の案内に従って天の部屋でお待ちを」

「うっせぇなぁ、はいはい、行けばいいんだろ?」


 ○


「それでは天の部屋の方々、こちらへお越しください」


 尾上はその声に従い、他の人間とともに歩く。

 上の階へと進む階段を、確かな足取りで登っていく尾上は、


「やっぱり、俺は彼岸へ行くべき人間だった。あの死神も、色々言っていたがそう判断した!」


 やはり自分は勝ち組だと笑い、他の人間とともに上へと向かう。


「こちらにてしばしご休憩を。すぐに迎えが来ますので」


 そこは、まさにカプセルホテルのような場所だった。

 柔らかな布団が敷かれ、観賞用の草木とテレビのような液晶がついている。


「……はぁ、なんだ? ずいぶんやっすい見た目だな」


 今まで見てきた部屋とのグレードの差に、尾上は呟く。

 だが、よくよく考えれば他の部屋も死神が同じように使っているのならば、魂たちの休む場所はこんなものになってしまうのかもしれない。


「ちっ、まぁ彼岸に行くまでの我慢か……」


 そんな愚痴をこぼして尾上はカプセルの中に入る。

 すると、ウィィンという伝導的な音を響かせ、そのドアが閉まった。


「……あ?」


 そして、次の瞬間、テレビや草木、ベッドというモノがすべて、どこぞにしまわれる。


「はぁ!? な、なんだよこれ!」


 そう、カプセルホテルは、一瞬でただのカプセルへと変貌を遂げたのだ。

 そして、カプセルは振動を始めると。


「あ、がぁッ! いってぇ……。なんだ、動き始めた?」


 これから自分がどうなるのか、とんでもないほどの悪寒と冷や汗に、尾上は背筋を凍らせた。



 尾上が訳のわからない恐怖に震えていると、カプセルがその動きを止める。


「さて、あなたについて、最後に私から感想を伝えましょう」


 そして、外から、死神の声が聞こえてきた。


「は、はぁ?」

「あ、ここからは私の『仕事』の領分ではありませんのであしからず。文句も願いも、一切聞きつけませんので」


 そういうと、わずかな間を開け、


「あなたは、文句の言いようのないクズだ」


 死神の敬語が消え、低い声が聞こえてくる。


「ただのゴミと言っても過言がない。本当に死んでよかった、というのが私の感想だ。


 世界への貢献度? ただの銀行員が何を抜かしている。お前はただの『周りをズルして追い抜き自慢するガキ』、要するに凡人程度、もしくはそれ以下が関の山だろう」

「な、なぁ……っ!」

「そんなクズでゴミなガキは、我々が『天に打ち上げて、せめて最後は綺麗に散らせてやる』」


 それとともに、死神が離れていく音が聞こえる。


「ま、まて、待って! 頼む、待……」

「それでは天空へ、行ってらっしゃいませ〜」


 その声とともに、尾上たちが乗ったカプセルは、超加速を始め、


「アアアァァァアッ!」


 遥か上空へ、天に向けて打ち出された。


 ※〜〜


 何かが、最上階から打ち出された。

 それを地の部屋へと案内された者たちは甲板で見上げる。

 次の瞬間。


 ドン、ドンドン、ヒュー、ドン!


 打ち上がったのは、花火だ。


「おめでとうございます。皆さんは彼岸へと渡れる方々です」

「きちんと『その足で地を踏みしめて、彼岸の先へと向かってください』」


 そうして、彼岸船は彼岸へと向かう。

 『悪』を堕とし、『良』を仏の元へ送るために。


 どんぶらこ、どんぶらこと、濃い霧の中へその姿を消していった。



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