聖女ランジュの長い旅

倉沢トモエ

〈聖女ランジュ〉は私

第1話 列聖(れっせい)

 この地の暦は六曜で巡る。

 すなわち、花、星、風、雨、海、陸。休息は花の曜日と定める。

 それぞれに守護聖人があり、その曜日の生まれの者を守るとされている。

 花曜日の聖女ランジュ、星曜日の聖アントン、風曜日の聖ニコラ、雨曜日の聖女イリス、海曜日の聖女ナジェ、陸曜日の聖トマである。


   * *


「ランジュ・シトラス訓導は二百年前、この地で写生指導のおり、魔獣人の襲撃に立ち向かって学童を守り、力尽き帰天されました」


 私の名前が呼ばれている。

 ランジュ・シトラス。村の分校の授業で生徒を連れ森へ出かけ。ええ。


「帰天ののち、教え子たちをはじめその徳を慕うものらから捧げられる花は絶えず、教会からもその功績を称えられ祝福されてまいりましたが、革命歴十年、法王庁より正式に列聖されました」


 

 そうだ。私は死んでいたんだ。


 じゃ、ここは?


「この時より聖女ランジュとして、永くこの地を……」

「聖女がお目覚めだ!」


 鋭い声だったので、静粛を守るようもう片方が抑えた。


「お目覚めのお側に控えることができました光栄に、うち震えております」


 私はどこにいたのか。

 白い天蓋つきの寝台。身につけているのも飾りのない白の部屋着。


 その前で並び、かしづいている二人。

 司祭の衣服をまとっている。深くかぶりものをしていて、顔は見えない。

 足元には燭台がある。今は夜なのだろうか。


「聖女ランジュ様」

「どうぞこの地に永く祝福をお与えくださいますことを」

「ここはあなた様にはなつかしい都の第三教会。学童たちと、ご見学に参られたでしょう」


 私は、ランジュ・シトラス。指導中に命を落とした絵画の先生。

 そうね、熊の魔獣人が襲ってきて。

 魔獣人には〈人間の子供の肉を摂るとどんな損傷でも再生できる身体を百年持てる〉という迷信があると聞いていた。そんなことをさせるわけにはいかなかった。

 なすべきことをしただけなのに。

 知らないうちに〈聖女〉になっていたみたい。

〈聖人〉〈聖女〉は、殉教の死か、殉職の死を迎えた者のなかから、法王が列聖することによって決まる。いつ決定されるのかもわからない。当人の意志。そもそもしているので、許しを得たり確めたりといったことは無理だ。


「あの。おなおりください」


 そう伝えると、司祭たちが立ち上がる。


「お尋ねしたいことが」

「はっ」

「私が、聖女に?」

「はい」

「では。その。……?」


 聖女、聖者。列聖された者は肉体のない聖霊として召喚されると聞いていた。

 私はどう見ても……


「先の法王様が列聖の直後に帰天され、次期の法王候補は現在お二人おります」


 おそらく私の存じ上げない方々だろう。


「一人は人間。一人は魔獣人ですが、お二人同時に神より〈夢告げ〉がありましたゆえ、これは神意かと」

「まあ」


 魔獣人の法王候補。驚くべき話だけれども。


「〈この夢告げを得た者、花曜日の聖女ランジュを正しく召喚すべし。神はその者にのみ、聖女ランジュの生きた姿を遣わす。そのたしかな姿をもって神の栄光を衆生に知らしめた者こそ次期法王にふさわしいものとする。人間、魔獣人を問わず〉と」


 生きた姿?


「ですからあなた様がお身体をお持ちなのは、神の思し召しです」


 くらり、とした私を司祭二人は支える。


「では。私がこうしているということは、どちらかが召喚を成功させて、法王様が決まったのね?」

「……お目覚めのあとです。お労りください。二百年分のお話がこれからあるのですから」


 どうして話をそらされたのか。

 二百年。そうね。すぐにいろいろ理解しようとしないほうがいいのかも。身体も頭もついていけなさそう。そのあたりを配慮されたのかしら。

 そうだ。もうひとつどうしても聞かなければいけない話がある。


「では、そちらはのちほどゆっくり。

 で、その、私の生徒たちは、助かったのですか?」

「なんと?」


 あの日。魔獣人が苦手とするハバタキアオイの木でできた絵筆の軸を目に突き刺してやったものの、相手の鋼のような爪の一撃が。命が消えた。私の記憶はここで途切れているのだ。

 あれからどうなったのか。

 アンナ、ピエトロ、ルーチカ、スー。

 スーはまだ小さくて、お兄さんのピエトロが懸命にかばっていた。


「助かったのですか?」

「もちろんですとも。けしからぬ魔獣人もハバタキアオイの力で肉が溶けて骨となりました。そこまでの効果は、例がありません」

「だからこそ、あの出来事は神の加護がこの世にあったあかしと」


 言われてはじめて安堵の涙があふれた。涙のぬくもりはひさしぶりだ。


「よかった……それだけで……それだけでよかった……」


 私はつとめを果たしただけ。

〈聖女〉などとは、とんでもない。


「なんと勿体なきことを。それでこそまさしくあなたは聖女ランジュ」


 それから司祭たちは口々にまくし立てた。

 私のしたことは神の加護を受けるにふさわしい尊い行いであり、教会からも祝福を受け、いずれ聖女とされるようさまざまな働きかけがあったということ。


「革命政府により、その働きかけが大きく動きましたのです」

「革命政府?」

「あなた様が帰天されてから、この地も様変わりいたしました」


 言うなり、司祭二人はかぶりものを外す。


「この地は魔獣人の革命軍が制圧したのです」


 驚いた。

 司祭は二人とも狼の魔獣人だった。

 それだけならまだしも。


「……ドロテア? アッシュ?」

「覚えておいででしたか! いや。

 ひさしぶりだね、ランジュ」

「よかった。話していたらわかった。ほんとにあなたはランジュ・シトラスだった」


 友を忘れるものだろうか。

 魔獣人の例の迷信について教えてくれたのは、この二人だ。

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