幸せな敗北者

kou

幸せな敗北者

 朝の通勤ラッシュを抜け、ようやく会社の入っているビルに着いた一人のサラリーマンが居た。

 うだつの上がらない営業マンである彼の名前は、日高裕二と言った。

 年齢は30歳を過ぎたあたりで、役職もない平社員でしかない。

 会社に着くとエレベーターに乗り込もうとして足を止めた。

 なぜなら、エレベーターには多くの社員が乗っていたからだ。

 入り口に立っていた社員の一人が開くのボタンを押し続けているのは分かっていたが、それでも裕二が立ち止まったのは、嫌な予感がしたからだ。

「乗らないんですか?」

 そう声をかけてきたのは、入り口近くに立っていた女性だった。

 彼女は、裕二が動こうとしないので不思議に思ったらしい。

 裕二は分かっていた多分ダメだと。

 それが分かっていてもエレベーターに乗るしかなかった。

 諦める為に。

 裕二が一歩エレベーターに足を踏み入れるとブザー音がした。

 重量オーバーを告げる音だ。

 女性は済まなそうな顔をして、エレベーターを閉じた。

 裕二は運の悪い男だった。

 昔からツイてないのだ。

 例えば子供の頃の話だが、クジ引きでクラス委員に選ばれたりすると必ず外れを引いた。

 修学旅行ではバス酔いをするし、遠足の日に限って雨が降る。

 就職試験も毎回落ちるし、宝くじを買っても300円以外当たった試しがない。

 だから今回もきっと同じだろうと思っていた。

「運が無いな」

 思わず口に出した言葉だったが、それは紛れもなく裕二の心の声でもあった。


 【運】

 その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせ。

 決定論の一つである因果的決定論に立てば、実は幸運や不運の意味はなく、過去や未来はすべて決定されているという考え方になる。

 ラプラスの悪魔に代表されるような存在によって結果はすべて見通されている。ただし未来を見通す力がない人間にとってはどのような未来が到来するかは不確かであり、その意味で運が生じる。


 裕二は一日の勤務を終え、一人屋台で焼鳥とビールを飲んでいた。

 仕事の方もこれといった出世街道から外れているのか、全くと言っていいほど成果が出てくれない。

 おそらく万年平社員で終わるんだろうなと思いながらも、どこか割り切っている自分がいるのも事実だ。

 そんなことを考えながら、ぼんやりしていると突然後ろから肩を叩かれた。

 驚いて振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。

 中年太りした腹が出ており、いかにも冴えない感じの男だった。

 男は屋台の主人にビールを頼むと、裕二に話しかける。

「日高裕二さんだね。俺は、こういう者だ」

 男は名刺を手渡す。

 裕二が名刺を見ると、イベントコンサルタント会社という文字が見えた。

 そして、男の肩書きには取締役・山崎勝幸とある。

 どう見ても自分よりかなり上の役職に見える男の登場に裕二は困惑する。

「今朝のエレベーターの中で聞いたんだが、日高さん。運が悪いんだって?」

 裕二はその問いに対して答えなかった。

 正確には答えることが出来なかったのだ。

 自分の事を知っているということは間違いないからだ。

 下手なことを言えば何をされるか分かったものではない。

 沈黙を続ける裕二を見て、山崎は笑う。

「なあ。ジャンケンをしないか? 大丈夫ただのジャンケンの三本勝負だ。なあ頼むよ」

 勝幸は頭を下げて頼むので、裕二はそれに応じた。

 三本勝負をして、裕二はストレートで全部負けた。

 負け続けた裕二は、いたたまれない表情をする。

 それに対して、勝幸は笑みを浮かべたままだった。

 それから、勝幸は裕二に言った。

「日高さん。ウチの会社で、少しアルバイトをしないか?」

「アルバイト?」

 裕二は首を傾げる。

 一体どういうことなのか理解できなかったのだ。


 ◆


 週末の遊園地で、裕二はディフォルメされた恐竜の着ぐるみを着て立っていた。

 周りには多くの子連れの家族がいる。

 裕二は進行役の女性に伴われていた。

 すると、子供たちが裕二の元に集まる。

「さあ、みんな。ジャンケンザウルスと勝負してお菓子を貰おう!」

 裕二は教えられた通りに、グーチョキパーを体全体を使って、大げさに表現して子供達と勝負をする。

 子供がパーを出すと、裕二は縮こまってグーを表現する。

 負けだ。

 だが、子供は喜びお菓子を貰い、それをみて家族も喜んでいた。

 裕二は連戦連敗だが、それによって子供達は勝負に勝ったことに喜び、はしゃいでいた。

 裕二が負ければ負ける程、子供達は喜ぶのだ。

 結果は大成功だ。

 親子連れに喜んで貰うことを目的としたイベントなので、負けることを望まれているのだ。

「日高さん。全敗おめでとう。前の人は、あまりにも勝負運が強い人で連戦連勝で雰囲気ぶち壊しだっただけに、来てくれて助かったよ」

 勝幸は笑顔で言う。

 その言葉を聞いて、裕二は不思議な気持ちになった。

 負けることで、こんなにも喜んでくれ楽しんでくれる人が居る。

 運が無いからこそ、今までどんなに頑張っても報われることがなかったのだが、それが今日初めて認められた気がしたからだった。

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