獣が弄した夜

そうざ

Beast used Sophistry in the Night

 その当時、僕の勉強部屋にはエアコンがなく、夏場は腰高窓を全開にし、網戸越しに風を入れながら寝ていた。部屋は二階にあったので、防犯意識は低かった。

 夜中の何時頃だったのか、突然、網戸がガラッと開いた。

 僕は口から心臓が飛び出す前に飛び起きた。

 暗い窓辺に黒い塊が鎮座している。部屋を真っ暗にしないと眠れない性質たちなので、正体は見えない。

 何とか心臓を元の位置に押し戻していると、その塊はどかっと床に下り立ち、ベッドの脇を素早く擦り抜けて行った。

 震える手でシェードランプを灯す。

 壁に浮き上がった影に角のような物を見た僕は、今度こそ声を上げそうになった。

「シ~ッ!」

 こちらを振り返った影の主は、口の前に手を立てている。

 動物だ。たぬ――。

「狸とか思ってんじゃねぇぞカリカリッ」

「ぅえ?!」

「アライグマだから」

「あ……」

「レッサーパンダもカリカリッ、NGワード」

 頭の中の動物図鑑をぱらぱら捲る。よく判らない。そもそも言葉を話すアライグマが載っているとは思えない。

「害獣害獣、言い過ぎだからカリカリッ」

 窓の外は庭木の枝が張り出している。そこを伝って侵入したらしい。

「全く、害獣教の教祖かってんだ…………ん、信者だっけ?」

 言い忘れたが、アライグマは両足を投げ出して寛ぎ、頻りに猫用のドライフードを食べ続けている。両手を器用に使い、一粒ずつ皿から口へと運んでいる。何故、猫の餌があるのかと言うと、猫を飼っているからで、幸いにもこの時間は階下の親と一緒に布団で寝ている。

「何してんですか?!」

「見れば解るような事を訊くのは0点。これだからこの国の画一教育はカリカリッ」

「点数制……」

「そもそもカリカリッ、何処から目線で害獣カリカリッ、害獣って言ってんだ」

「僕は言ってないです」

「言っとくけど人類おまえらも害獣だカリな。どれだけ好きカリ勝手やってんカリよ」

 気が付くと、僕はベッドの上で正座をしていた。させられていた。汗が吹き出るのは熱帯夜の所為か、置かれた状況の所為か。

「それからカリッ、あれ……ほら、あれあれ。ガイ、ライ――」

「外来生物?」

「それそれっ。ど忘れしたカリッ」

「どうして日本語を喋れるんですかっ?」

「外来外来って、患者じゃないんだから。外とか内とか誰が決めたんカリよ」

「聞いてます?」

「三代前からこの国で暮らしてるから、もう立派な在来だから」

「ちょちょっ、床が濡れるって!」

 アライグマが猫用の水でじゃぶじゃぶやり始めた。

「本能って知らんの? これだから画一教育は……餌がもう空なんだけど」

「もうありません」

「しけてんなぁ、今度はもっと用意しとけよ。それが人類の贖罪になるんだから」

 アライグマは重い腰を上げるとひょいと窓枠に飛び上がり、網戸を閉めもせず出て行った。最後まで、何が害獣だ、何が外来だ、と愚痴っていた。

 結局この夜以来、アライグマはやって来なかった。

 当時はまだ携帯電話で気軽に撮影が出来る時代ではなかったから、何の証拠も残っていない。他人に話しても、信じて貰えないどころか、あんまり面白くない、と言われる始末だ。

 僕は今でも『詭弁』という言葉を耳にする度、アライグマの事を思い出さずには居られない。

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