蛙になった男
松本貴由
toad man 1
「別れた?」
オレは思わず大声を出してしまった。
ひとつ年下の女の子と付き合うことになった、と
たしかリョーコとかいったか。
井中はいつもより長めにタバコの煙を吐き出した。
「俺、告白された側なんだけど? なんで振られなきゃなんねえの?」
「知らねえよ。彼女にきけよ」
工場裏の非常階段を勝手に喫煙スポットにして、日勤残業組のオレは夜勤入りの井中と缶コーヒー片手に一服する。
これがオレたち同期のルーティンだ。
「だってぜんぜん部屋入れてくんねぇからさ。なんのための一人暮らしなの? って。したらすーげえ冷ややかな目で見てくんの。さも当然ですみたいな顔してさ」
井中は腕組みをし、わざとらしく目を細めて顎をくいっと上げた。吐き出した煙とともに裏声で、
「“ねぇ、蛙化現象って知ってる?” だって」
知らん。オレはすぐさまウィキペディア先生に頼った。
“蛙化現象(かえるかげんしょう)”
“好意を抱いている相手が自分に好意を持っていることが明らかになると、その相手に対して生理的嫌悪感を持つようになる現象のこと。”
急に冷めたってことか? よくわからんがつまり、
「おまえとヤるのは無理ってこと?」
井中は肩を落としながら深く頷いた。
「付き合う前はあんなにグイグイきておいてさあ、ひでえよなあ。女って心狭すぎじゃね? おっぱいはあんなにデカいのにさあ」
井中は圧倒的に尻より胸派だ。
前付き合っていた嬢もEカップだったらしいが金欠でフラれた。
そこでこいつは、揉むお胸を絶やさないためにリョーコの告白をOKしたと言っても過言ではない。
馬鹿なやつめ。
リョーコもリョーコだ、見る目がない。
蛙化現象なんて言ったところでこのヤニカスにわかるわけがないのに。
井中はまだ紙タバコをスパスパやっている。
オレは副流煙を気にして
女に愛想を尽かされるのはそういうところだとこいつは気づいていないのだろう。
「ワンチャン、おまえがガチで蛙にみえたとか? イノナカのカワズっていうじゃん」
「マジ? 俺、お殿様ガエル?」
「誰がお殿様だよ」
「どうせならアマガエルでもいいよなぁ、葉っぱとかにちょこんって乗ってさぁ、かわいい〜って女の子に愛でてもらえんじゃん」
「カエル詳しすぎじゃね、キモ」
オレは缶コーヒーを飲み干した。
井中はギャグ漫画みたいなしかめっ面になり、すぐに八重歯を見せて笑う。
「コーヒー飲んでタバコ吸うやつの口臭はウンコっていうよなあ」
「そんならオマエもドブだろ、イノナカのカワズだけに」
「ドブとウンコ同士俺らが付き合ったほうがよくね?」
「キモ」
井中は爆笑した。
オレはブラックコーヒーだが、井中はマイルドカフェオーレ。
こいつは殿様にはなれないだろう、永遠のわんぱく小僧だ。
工場勤務のルーティンワーク、ヤニカスの下世話な話。
くだらない時間だが心地いいと感じる。
タバコを吸い込むと、くすんだキャラメルみたいな香りが肺を満たした。
「アツシはいいよなあ。清楚で裏切らなそうじゃん」
井中の声にオレはふんすと鼻を鳴らす。
そう、オレにはカエルでもドブでもウンコでもない、可愛い彼女がいるのだ。
カエデと付き合って今日で半年だ。
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