虎の威レンタルサービス

もちもちおさる

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「ねこちゃんですから、初回は無料レンタルです」

 店員さんの言葉に、わーい、やったーとぼくは返そうとして、でもその代わりに口から飛び出したのは、雷みたいなごろごろの咆哮だった。いつものにゃーんじゃなくて、ぐおー、みたいな声が出た。

「二十四時間でレンタル終了ですからね、時間になれば自然に返却されますからね、虎の威」

 店員さんはそう続けて、大きな姿見を出した。鏡に映ったのは、ぼくの何倍も大きな、一匹の虎。おやつのホットケーキみたいな毛皮に、黒いしましまがたくさん。はちみつ色の目。太い胴に大きな手足。びっくりして、ぐお、と言ったら、鏡の中の虎も、ぐお、と言った。


 ぼくは虎になった。虎の威をレンタルした。ここはそういうお店だからだ。ねこの頭だと難しくてよくわからなかったけど、最新技術? とかで一時的に虎の姿になれる。まさに「虎の威を借る」ことができる。これはすごい技術だから、とてもお金がかかる。でも、ぼくはねこだから初回無料なんだって。いいねこもわるいねこも関係なく、無料なんだって。やったー。

 ぼくは店員さんにありがとう、と言ってぐおぐお鳴いた。それから大きな手足を持ちあげて、お店を出た。ねこ用の扉は小さすぎて出れなかったので、人間用の扉から出た。外の空気が鼻に流れ込む。いつもと変わらない匂いだったけれど、世界が随分と小さく見えた。雲がいつもより近い。あの塀に飛び乗らなくても大丈夫。ちょうちょはぼくから逃げられない。ぼくが一歩踏み出すごとに確かな重たさを感じて、ぼくの全てが地面を伝って、ここに刻まれていく気がした。歩くってこういうことだ。もう、小さなねこのぼくじゃないんだ。ぼくはねこだから、虎になれたんだ。

 ふと振り返ると、レンタル屋さんの扉に貼られた、宣伝ポスターが目に入った。大きな大きな「初回無料!」のぴかぴかちかちかカラフルな文字の下、小さな小さな字で「※ねこちゃんのお客様に限ります」と書いてあった。


 ぼくが虎になったのは、友だちのねこたちがみんな虎になったらしいからだ。虎は、ねこの仲間の中で一番強くてカッコイイんだ。でも、ねこが虎の仲間、じゃなくて、虎がねこの仲間なの、なんだか不思議だなぁと思う。そういう、誰が誰の仲間とか、一体誰が決めたんだろう。何かしらの関係に当てはめなきゃいけないって、なんだか変だなぁと思う。ぼくたち、そんな単純に分類できるもんじゃないよ。だって、ぼくは今、虎なんだから。友だちのねこたちといっしょ。一番強くてカッコイイんだから。虎になれば、みんなにもてはやされてウハウハなんだって。だから、だから。天国はものすごくいいところだから、みんな帰ってこないんだってのと、いっしょだと思う。友だちのねこたちは、きっと虎になって幸せに暮らしてるんだ。だって、虎になれば、隣に住んでる犬も、おねえちゃんをぶったあいつも、みんなやっつけられるんだ。だからぼくは虎になったんだ。今日こそまさに、人生(ねこ生?)最高の日!


 ぼくは意気揚々とうちへ帰った。うちへ帰って、捕まった。


 ぼくがうちの扉をくぐれずに、ぐおぐお鳴いていたのを、ちょうど帰ってきたおねえちゃんが見つけたのだ。おねえちゃんは目を見開いて、ぎゃあ、と声をあげた。あいつにぶたれたときと同じ声だった。すまほ?(おねえちゃんが持ってる便利なやつだ)をパッと出して、それを耳にあてながら、じりじりと後ずさった。おねえちゃん、ぼくだよ、と言ってみると、雷みたいなごろごろの声が出た。おねえちゃんは目をぎょろぎょろさせながら、ものすごい早口で喋っていて、虎の耳でも上手く聞き取れなかった。かろうじてわかったのは、「すぐ来てください、お願いします」とか「虎が、虎がいるんです!」とか。ぼくは、おねえちゃんがどうしてそんな様子なのかわからなくて、そしたらものすごく大きなサイレンと、いくつもの足音が聞こえて。ばたばたばた、どかん、どん、がしゃん。一つ目の音は、みんな同じ服を来た、知らない人たちが来た音。二つ目は、その人たちが両手で構えた、黒い変な筒から出た大きい音。三つ目は、その黒い変な筒から飛び出した石みたいなのが、ぼくのおなかに当たった音。四つ目が、ぼくが急に立てなくなって、耳もきーんとして、目の前の景色もぼやけて倒れ込んだ後、強い鉄の臭いがつんと鼻を刺したときの音。ぐらーっと何が何だかわかんなくなって、全然力が入らなくて、おねえちゃんの「お」の字も言えなくて。でも、意識がぶちっと切れる前に見えた、これだけは覚えてる。

 すまほ? を持ったおねえちゃんが、もう片方の手でぎゅっと握りしめている、宣伝のチラシ。大きな大きな「初回無料!」のぴかぴかちかちかカラフルな文字の下、ねずみ色の檻に入れられた、虎の絵。


 ぼくは夢を見ていた。おねえちゃんがぼくからどんどん離れていく夢。おねえちゃんはぼくが小さい頃から面倒見てくれて、ぼくを怒るときは決まって、わるいねこ! と言う。それから背中を向けて、ぼくを絶対に見てくれなくなる。だからぼくは、いいねこにならなきゃと思って、がんばるんだけど、やっぱりどうしてもむりなことはあって、それをおねえちゃんはこっそり見ていて、ばかなねこ、って撫でてくれるのだ。ぼくたちの仲直りの仕方はいつもそれで、ぼくはもっと、うん、もっと強くてカッコよくならなきゃって思ったんだ。だってぼくがもっと賢かったら、おねえちゃんが怒ることはないし、おねえちゃんが、そうあのあいつ、あいつが、おねえちゃんとケンカして、ぶったときだって、ぼくは助けられたはずなんだ。おねえちゃんがほっぺたを冷やしながら、泣いてぼくを抱きしめたとき、ぼくはぼくのままじゃいけないって思ったんだ。ぼくの手が、身体が、声が、もっと大きかったら。だから、だからぼくは。

 夢の中では、ぼくは虎じゃなくて、おねえちゃんに呼びかけるんだけど、手足がふわふわして全然追いつけなくて、振り向いてくれなくて。おねえちゃん、ぼくだよ、ぼくだよ。ぼくは、ちゃんとぼくなのに、なんでわかってくれないの。おねえちゃんは背中を向けたまま、うちの中に入って、扉をばたんと閉めてしまった。ぼくはいつものようにねこ用の扉をくぐろうとするけれど、鼻の先しか入らなくて、頭はごつんごつんと扉にぶつかるだけで、そうだ、ぼくは虎になったんだ。でも、これじゃあ。ぼくのうちに入れない。おねえちゃんは入れてくれない。ぼくはぼくのままじゃいけなくて、でも、ねこだって虎だって、それはちゃんとぼくなのに、

 ぼく、わるいねこじゃないよ。ね、ね。きっとそうだよね。


 がたがたがた、がこん、という音に合わせて、ぼくの身体が揺れている。一番大きながこん、で頭が少し跳ねて、ぼくは目を覚ました。頭と腰を上げようとすると、硬い壁に阻まれて、少しも動かせない。冷たい鉄の臭い。目の前は鉄格子で、その薄暗い向こうにも、同じような鉄格子が並んでいる。暗くて狭い檻の中に、ぼくは押し込められていた。

 え、なんで、と声に出すと、ぐお、と雷の声に変換されて、小さな檻の中を駆け巡った。自分の声で頭がぐわんぐわん。ぼくは黙った。黙って、耳をすませた。

 ごーっ、と風を切る音。檻同士がぶつかって、がしゃん。何か素早いものが何かを擦りながら、ぶわーっと近くを通り過ぎて、離れて、また近づいてくる音。時折跳ねて、だん、だかだん。ぼくはこの音を知っている。車の音だ。おねえちゃんがぼくを病院に連れていくときの、あの音と振動だ。それから、

「――はい、今から十、届けますんで、はい、失礼しますー」

 知らない人の声。とても小さくて聞き取りにくいけど、確かに聞こえた。じゅう、っていうのはなんだろう。それは数でもあるし、こわいものの名前でもあるし、おねえちゃんが虎色のホットケーキを焼くときの音でもあるのだ。そのどれかはわからないけど、ぼくはたぶん、そのどれかのひとつで、「届けられている」んだと思う。それで、少なくとも、ホットケーキみたいに優しいものではないってことも。うん、わかってる。おねえちゃん。ぼくが呼んでも振り向いてくれない、おねえちゃん。いい匂いをさせながら台所に向かっていて、もう少し待ってね、いっしょに、おやつ食べようねって。うん、わかってる。何をするべきかってことも。

 ぼくは、にゃーんと鳴いた。それはごろごろの雷になった。頭が揺れたけど、自分の声で耳が痺れるけど、そんなの知らない。目の前の鉄格子に、両手をかけた。おしりが潰れるくらいにまで後ずさって、思いっきり檻の内側を蹴った。頭が鉄格子にぶち当たる。扉はがしゃりと音を立てて、ねずみみたいに吹っ飛んで、地面に転がった。頭が少し熱くなって、ぼやっとした。檻から顔を出し、ぼやっとした頭で思った。そうだ、ぼくは虎になった。虎の威を借りたんだ。

 ぼくが入れられていた檻の周りにも、似たようなそれがずらっと並んでいる。ぼくはその間を通り抜け、さっきの声がした方へ向かった。それ以外には目を向けなかった。どこにも向ける気はなかった。


「いやぁ、ぼろい商売だよな」

「ただのねこが札束になるなんて」

「ばかなねこ、本当に虎になれるわけないのに」

「ねこを虎にして売り飛ばす、レンタルが終了する頃には……」

「富豪の家の絨毯か、トロフィーか、アクセサリーか、はたまた漢方か」

 壁越しに耳を押し当ててわかったことは、ぼくは今、トラック(大きい車だ。檻が沢山入ってるとこと、人が運転するとこが分けられてる車だ)で運ばれているということ。虎の威をレンタルしてくれるというのは、ただのねこを虎に変えて、お金儲けをしようということ。みつりょう、っていうらしい。本物の虎は強くて捕まえられないから、ばかなねこを虎に変えて、その間にころしてしまう(とても、こわいこと!)ということ。ぼくはどうなるかっていうと、虎のままころされて、絨毯にされてしまうらしい。ねこちゃんだから無料っていうのは、そういうことだった。ぼくは、騙されたということ。

 おねえちゃんが叫んだときから、なんとなく嫌な感じがしていた。たぶん、ぼくを捕まえたやつらは、ぼくがおねえちゃんのねこだってことを知っていて、虎に変えてからおねえちゃんに自分たちを呼ばせたんだ。そしたら、あの店員さんだって、最初からぼくを。ぴかぴかちかちかと目を刺すようにカラフルな文字。小さな小さな、ねこ用の扉。雷みたいな、ごろごろの声。

 ああ、でも。虎の威を借りて、最初に踏み出したときの一歩は、確かに重たかったんだ。

 ぼくは後ずさった。この壁をぶち破って、わるいやつらに飛びかかることはできる。だってぼくは虎なんだから。でも、それから? 友だちのねこたちは? おねえちゃんは? たぶん、虎の威を借りるっていうのは、そういうことじゃないんだ。誰かをやっつけたいんじゃなくて、ぼくは、ぼくは。


 ずらっと並んだ檻の中から、ぐお、ぐお、とうなり声が聞こえる。飛び上がって逃げ出したくなるくらいの、地響きみたいな声だ。ぼくは一番近くの檻を見た。鉄格子のすぐ側に、ぼくの脚と、声の主の髭が覗いている。怖いけど、たぶん、向こうだってそれは同じなんだ。ぼくは鉄格子に両手をかけた。左右に引っ張って、だんだん力を込めていく。鈍い音を立てて、鉄格子は歪んだ。虎が、通れるくらいに。ぼくは恐る恐るその中を覗き込んだ。はちみつ色の瞳が二つ、きらっと瞬く。

 その虎は、友だちのねこみたいな顔をしていた。ぼんやりとしながらも、少し何かに怯えているようで、でも本当は何が怖いのかなんてハッキリわからなくて、頼りない自信がきっとどこかにあるんだって、とりあえずは生きているような顔。やっぱり、虎がねこの仲間っていうのは変だなぁと思う。ぼくたち、何も変わらないのに。

 ぼくはその顔を見て、檻から離れた。踵を返し、トラックの中に唯一、外の匂いと光が差し込むところへ向かった。声がする方の近く、壁の少し上の方に、鉄格子のはまった窓がある。飛び上がって、僅かな縁に手をかけた。鉄格子に手をかけた。


 タダより怖いものはないっていう。でも怖いものなんて本当はどこにもないんだって信じたい。何かを疑って怯えるくらいなら、騙されるくらいがいい。だって、その方がずっと自由だ。自由じゃないぼくはぼくじゃないし、それなら賢くなんて、強くなんてならなくていいし、ぼく、ずっとわるいねこでいいよ。ばかなねこで、いいから。ぼくはぼくでいたいし、おねえちゃんといたいのだ。

 えい、と鉄格子を押したら、それはぐいぐい曲がって、ぼくの頭が通るぐらいになった。頭を押し込んだら、外の匂いが鼻から頭にかけてぼくの中を駆け巡った。射し込んでいた光が、ぼくの瞳孔いっぱいに広がった。眩しくて目が眩む。虎みたいな、黄金色の光。車の音。人の匂い。木がざわめいて、風がとんでもない速さで駆け抜けていく。これは確かに、街の匂いだ。ねこのぼくと共にいる、街の匂いだ! そのまま通り抜けようとしたけれど、大きな身体が引っかかる。もう、こんなときだけ、ねこに戻れたらいいのに!

 助けて、出して、とぐおぐお声をあげて、ぼくはもがいた。鉄格子はもう動かないし、足は壁をひっかくだけ。もう少しなのに。ねこだったら、ねこだったら!

 すると、お尻がぐぐっと押し上げられた。硬い頭と、湿った鼻と髭を感じる。驚いて振り返ると、そこには虎がいた。壊した檻の中にいた虎だ。その虎が、ぼくのお尻をぐいぐい押し上げている。いや、その虎だけじゃない。他にも知らない虎が何頭かいて、彼らの後ろには、扉の壊された檻が転がっていた。みんなおそろいの、おやつのホットケーキみたいな毛皮に、黒いしましまがたくさん。はちみつ色の目。太い胴に大きな手足。じっとぼくを見つめ、身体を支えている。こんなにたくさんの虎がいるのに、みんな作りものみたいに綺麗なのに、この中に本物の虎は一頭もいないんだ。そう思ったら、変な力が抜けて、するっと身体が通った。


 飛び降りた先は道路のど真ん中で、反動でびょわ、と風を受けながらぼくはごろごろと転がり落ちた。少し頭がぼうっとしたけれど、車がびゅーっと近づく音に、すぐに飛び上がって、走り出した。パーッと甲高い音を鳴らしながら、車がぼくの鼻先をかすめていく。ぼくは思い切り地面を蹴った。大きな身体が、車の真上を通り過ぎていく。空を飛んでるみたいだった。ぼくはそれを何回か繰り返して、道路を抜けた。


 ぼくは立ち止まって、辺りを見回した。ありふれた街の、ありふれた歩道だった。だから通行人が悲鳴をあげて、すまほ? を取り出すのが見えた。ぼくがありふれたねこだったら、この街の風景の一部みたいになってたのかもしれない。でも、ぼくはもうそれに振り回されないぞ。耳をすませば、遠くからぐおーぐおー、とたくさんの虎の声が聞こえる。でもぼくは、本当はそれ、虎の声なんかじゃないってわかった。たぶん、目の前の鉄格子を押してみたら、案外簡単に抜け出せるもんなんだ。みんな、それだけの力があるのに気づいてないだけなんだ。きっとそうだよね、おねえちゃん。次はちゃんと、ぼくに気づいてね。

 ぼくは走った。一歩踏み出すごとにぼくの全てが地面を伝って、ぼくは確かにここにいるんだ、って。もうこれ以上、誰も迷わなくていいようにって思いながら。ぐおー、ぐあーん、にゃーん。

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