ねくろ・ねっと

六塚

ねくろ・ねっと・ぷろぐらむ

夢夢夢

 桜の花びらが咲いていて僕は悲しくなった。彼の遺灰がなくても花は咲くのだと。



「――そうしたらいつでもどこにいてもこのデバイス一つで会いたい人に会える、私はそう信じています」

 合唱コンクールに使うようなコンサートホールに、異国の美しい鳥のさえずりが木霊している。不思議な鳥の腰まで伸びた長い羽毛は体を動かすたびに意思を持ったように複雑に揺らめく。薄暗く、クーラーで無理矢理温度を下げられたホール内は人の臭いと電化製品から放たれる特有の香りが入り混じった独特な空気に満たされていた。

 先輩のプレゼンは完璧だ。こんな非行少年の集まりに、僕らが作った非現実的な研究にも説得力を与えてしまえるのだから。彼女はネクロミングの天才でもあるが、それ以前に話術の天才と言えるかもしれない。

 現在、先輩が筆頭となって僕らが開発中の「ネクロ・ネット」を説明するのは難しい。複雑すぎてそのネットワークを一般人にわかりやすく言い表すことは不可能だ、と先輩も言っている――そんなことを言っているくせに自分は饒舌に説明できてしまうわけだから恨めしい――が……

 図として説明する分にはわかりやすい。二人の人間の頭部同士を専用の導線で繋ぐ、ただそれだけだ。

 それも相当アナログなやり方で、特殊な導線(ネクロチューブ)同士を医療用テープで直接肌に貼るだけ。なんたってそれが一番老若男女が気軽に扱えるやり方だったから。決してスマートなやり方とは言えないけれど。

 開発初期は導線の数は少なく見積もっても五十本は必要だった。それをテープで留めまくるものだから接続準備が整った頃にはお互いの顔が埋もれてしまっていて見えないし、面積が足りず毛髪を部分的に切り取らなければならなかった。それぞれの導線が干渉しあってシステム障害も頻発していた。

 今でも問題は山積みだ。線の耐久テストとか、ハードの影響でネットワークにノイズが出ないか調整したりとか、干渉波の除去に使う外付けHDDの性能向上とか。その他諸々の事情で僕らはリドリー・スコットの映画みたいな埃っぽい借家で研究してるわけなんだけど。

「先輩の"演説"はすごいけど、あの研究室の趣味だけはどうにかならないかな……」

「去年まで平気だった後輩がブタクサアレルギーになってやめていったし?」


 は。


 演説は終わったよという鞍掛メリー先輩の声が頭上から聞こえた。僕の独り言も全部聞こえていたみたいだ。鞄を肩に下げて帰り支度を済ませている。僕の独り言は全部聞かれてしまっていたみたいだ。

 「ネクロ・ネット」とは先輩の言葉を借りればインターネットを介した黄泉帰りとか、死者蘇生とか、そんなところ。本当は全然違うんだけど。

 そして、ここでいくら御託を並べたところで発展途上の未完成発明であることに変わりはない。



 雑草に覆われた僕らの研究所。バイオスフィア2みたいなのを想像しないでほしい。本当に、壁に蔦がしがみついてるような雨風で寂れた民家程度の規模の建物だから。

「この部屋だからいいんじゃない。程よく空気が汚くて、耐久テストに負荷テスト……ロードテスト、ラッシュテスト。テストテストの日々にはもってこいだし」

 メリー先輩は錆びついたパイプ椅子に足を組んで座る。研究室を見渡すとそう呟いた。

「それに、劣悪な環境のほうがなんだって強く育つ」

 先輩は足元に覆い茂ったブタクサの花を触りながらそう言って笑った。いつ見ても笑顔がきれいな人だと思う。こうしていると、そんなにズレた人に見えないんだけどな。

 「ネクロ・ネット」の説明が難しいように、その創始者である鞍掛メリーという人間を一言で表すのもまた難しい。品行方正、眉目秀麗、あらゆる知識に長ける話術の天才だが、時々論点がずれていて新設サーバーの説明をしていたらいつの間にか卵はなぜ孵るのかの話になっていたりする。聡明さと荒々しさの両方を併せ持つ、変わった瞳の少女であった。


 鉄筋コンクリートの壁にかけられた鳩時計がけたたましく鳴き声を上げる。

 研究員全員が荷物を整理しパーティーテーブルのような長い机の前に座り終わったころ、メリー先輩が突然椅子から立ち上がった。パイプ椅子がガシャンと大きな音を立てて後ろの本棚に激突し、入りきらない研究書の数々がどさどさと硬い床に散らばる。

 僕たちは先輩のそういう挙動に慣れていたから今になって気にすることもなく、手元から視線を逸らさず目の前のモニターにだけ集中していた。

 埃の臭いが僕の鼻腔を刺激する。

 先輩は長いテーブルの端に指を置き、ときに研究員のディスプレイをなぞりながら仕事の邪魔をする猫のように歩みを進め始めた。

「集合的無意識なんて滓(かす)だよ。そんなものがあると仮定するならば、今までの実験は何だったのでしょう?」

 そう、僕たち の解析によると人の深層心理は個人個人が独立していて一個の魂として確立していた。大きな同じ土台に乗っかった小さなピラミッド群、そんなもの嘘っぱちだった。

 人間は完全に孤独で、他者との共有部分なんてなかったのだ。

 だから――それは僕たちの研究対象ではないけれど――個人の領域を超えた体験とかそういうものはもっと適切な論理で持って表されなければならない。

 僕たちが見たものは今の心理学が追いつけないずっとずっと先にあるものだ。

「自我は氷山の一角に過ぎないなんて言うけれど、その理論だと意識の掌握なんて不可能でしょう?でも私達はその広大な氷の海から人一人分の意識を掬い上げてしまった。

 まるでバケツで掬ったみたいに。

 ユングの理論じゃ筋が通らないの」

 メリー先輩はなにかを否定するように大きな瞳を長い睫毛で覆い隠すと首を横に振る。艶のある黒髪が水底の海藻のように揺らぐ。

「ユングを信じても、フロイトを信じても、アドラーを信じても、あなた達の自由だけれど、

 このラボラトリーでだけはそんな知識一旦捨てなさい」

 机をなぞっていた細い指先が僕の席まで来て止まる。

「いつか、人以外ともコネクトできるといいんですけどね」

 気が緩んでいたのか、僕の口は自信なさげにそんな言葉を呟いていた。

「君、まだそのことを引き摺ってるの。無理もないだろうけど」

 上手く答えられない。真夏の蒸し暑さから出るのではない、不安と緊張による嫌な汗が体表を覆い尽くしていくのがわかる。しくじった、今ここで口にすべきではなかったと体中が悲鳴を上げている。

「Orandum est, ut sit mens sana in corpore sano――だからもし、祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきであろう――知ってるよね」

「ユウェナリスの風刺詩ですね。相当有名なやつ」

「その通りです。ようは君が病んでたら意味がないってこと」

 もう少しで試作品が完成するんだから、それまでに気持ちの整理くらい付けなさい。

 ……そんなことができていたら、僕は桜が咲くたびに彼を思い出さなくて済むんだ。


 メリー先輩が振り返ると黒鳥の翼のように空気を含んだ髪が膨らんだ。

 研究員たち全員に向かってなにか言葉を紡ごうとする。その横顔は非常に彼女らしくなく不思議な感じに歪んでいた。

「みんなで素晴らしい理想郷を作ろう」

 理想郷?

 メリー先輩ってそんなこと言う人だったか?先輩の顔はいつも通りの自信に満ちた表情に戻っている。小さな口が三日月のように弧を描いて閉じていた。

 僕は小さな、やがて大きな疑問へと発展していく言葉を反芻しながら再びディスクトップに視線を戻した。

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