第32話 それぞれの正義
「俺にとっての正義は、復讐を果たすことだ。それ以上でもそれ以下でもなく、どこまでも個人的で主観的で、だから過程を問う必要もない。俺のなすべき正義は断固として固まっていて、なにより俺の中で完結している」
「……」
「だがアストレア、お前の正義は違う。一国の女王たるお前の正義は、国民みんなの正義と限りなく等価だ。お前の正義は常に国民という大多数に見られていて、だから時に過程が結果よりも大切になる」
「あ……」
「立場によって物事の基準は変わる。お前はお前の信じる正義を貫けばいい。ただそれだけのことだ――って、なんだその顔は?」
アストレアがぎょっとしたようにリュージを見ていた。
「いえ、リュージ様って意外と物事を深く考えているんだなと、いい意味で少し驚かされました」
「ふん、こんなものはただの師匠の受け売りだ」
「それはきっと、いいお師匠さんだったんですね」
「ああ、最初の修行でいきなり深い山奥に俺を放り出して、刀一本で一カ月生き延びろとか言うくらいには、いい師匠だったよ」
「…………えっと、それは大変でしたね?」
「ああ、あの時は本当に大変だったんだ……」
リュージが少しだけ遠い目をした。
「で、でもでもリュージ様のおかげで、少し自分に納得ができた気がします。ありがとうございました、励ましていただいて」
「少しは元気になったみたいだな」
「えへへ、おかげさまで」
もちろん、アストレアを励ましたことに、リュージの個人的な感情はない。
ここでアストレアが精神的に行き詰まって心がポッキリ折れてしまうと、今後のリュージの復讐にとって都合が悪いから、ただそれだけだ。
アストレアがどことなく、ちょっとばかり姉に似ている、とかほんのちょろっと思ったからでもない。
そもそも街一番の器量よしと言われていたそれはもう美しい姉と、まぁまぁそれなりに美しいアストレアとでは似ても似つかない。
髪の色も瞳の色も、胸の大きさもなにもかもが違っている。
だから他意はない……はずだ、とリュージは自分の心を結論づけた。
「話を戻すが、グラスゴー商会のやつらはどう見てもとてもカタギとは思えなかったぞ。周辺の衛兵も買収されてみたいだし。よくあんなのが筆頭御用商人なんかやっていたもんだと、逆に感心したくらいだ」
「それも耳が痛いですね、返す言葉もありません。それもこれも落ちるところまで落ちたシェアステラ王国が、もう一度立ちあがるための生みの苦しみと考えれば、致し方ないのかもしれませんが」
「この際だから膿は全部出しちまえよ?」
「もちろんです。賄賂で悪事を見のがそうとした衛兵についても、既に拘束して厳しく取り調べておりますので」
「どうせそいつらは氷山の一角で、他に腐るほど似たような奴らがいるんだろうけどな。ま、見せしめくらいにはなるか」
「いちいちテンションが下がることを言うのはやめてくれませんか!? 泣きますよ!?」
「俺は事実を言ったまでだ。泣きたければ好きなだけ泣け。もしそれで現実が変わるのなら、お前の涙には大いに価値があるだろうよ」
つまり泣いても事実は変わらないから、そんな暇があるのなら新女王として馬車馬のように働けという意味である。
「ううっ、さっきのリュージ様はあんなに優しかったのに……まぁいいですけどね。これがいつも通りのリュージ様ですから。それはそれとして、やっぱり1日で合計300人も殺したのはやりすぎですからね?」
「だからわかってるっての。毎回毎回あんなことにはならねえよ」
「本当に、今度こそわかっているんですよね?」
「大丈夫だって。次に
「……その人も、どうしても殺さないとダメなんですよね?」
「どうしても殺さないとダメだ」
「そうですか……」
「何度も言うが、俺は復讐のためだけにこの7年間を生きてきた。姉さんとパウロ兄を殺した奴らが――あの事件に関わった奴らが、今ものうのうと生きていることが、俺にはどうしても許せない」
「はい」
「地の果てまで追いかけてでも、俺はあいつら全員に死をもって償わせる。それが俺の復讐であり、俺の人生そのものだ」
「悲しい生き方ですね」
「それこそ今さらだ」
復讐に全てを捧げたリュージの生き方に、アストレアは沈痛な表情を見せたあと。
しばらくじっと押し黙ってから、意を決したように言った。
「実は昨日ケーキを焼いたんです」
「は? ケーキ?」
アストレアがとても明るい声で言ったので、リュージは珍しく少し驚いたような顔をみせた。
「チョコレートケーキです、今から一緒に食べましょう」
どこまでも暗くなる一方の空気を変えるんだから!
そんなアストレアのあからさまな意図を、リュージはすぐに察した。
「いらねえよ」
が、しかしアストレアの意図にリュージが乗ることはなかった。
容赦なく提案を拒否する。
しかしアストレアも簡単には引き下がりはしなかった。
「じゃあ切りますねー、6等分でいいですか?」
「いらねーっつってんだろ」
「8等分だとちょっと食べた気がしないですもんね」
「なに勝手に話を進めていやがる。くだらない同情や無益な馴れ合いはごめんだ」
「はぁ!? 意地悪しないでケーキくらい食べてくださいよ! 激務に耐えて耐えて耐えまくって、わずかの余暇にストレスの発散も兼ねて作ったんですよ!? 昨日なんて2時間しか寝てないんですからね!? 2時間ですよ!? トゥー・アワー! もはや人間の限界を超えていますからね!?」
「だからいきなり何の前触れもなくキレるなっての。なんだこいつ、隠れメンヘラかよ」
「何か言いましたか?」
「ありがたく頂戴するって言ったんだ」
よほど疲れているのだろう、またもや突然キレだしたアストレアにリュージは少しだけ同情した。
睡眠時間も3時間からさらに減って2時間になってるし、ここは少しだけストレス発散に付き合ってやろうと、リュージはいつになく優しい気持ちになっていた。
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