恐怖など

 足が小刻みに震える。手が自然と握りこぶしを作る。


 いつ以来だ。ここまで恐怖を感じたのは。


(あ……ぐあ)


 そもそもどうしてこうなったんだ。私は痛む頭を抑え、少し前のことを思い出す。


 私はあの時、確かに勝っていたんだ。あの男のスペックを越え、そして自分にも克ったはずだ。


 あの男と私の間で飛び交う攻撃のラッシュ。それはお互いに、ダメージを与えることなく、すんでのところで回避、ガードを繰り返し、互いにノーダメージでことを運んでいたんだ。


 あの時の私は、全身で喜びを感じ、己の体にひたすら感謝していた。やっとこの体は私を認めてくれたのだと、歓喜に打ち震えていた。


 これでやっと、人類の救済への第一歩を踏み出せる。まずはチェス隊を皆殺しにし、その次は近くの東京派閥を……


 ……そして、スキルを持つ人類がこの世から消えてなくなり、スキルを持たない正しき人類と私が世界を作っていく。そんな幸福な情景を思い描いていたのに、神は私に更なる試練を与えた。


(……ん?)


 目の前で男がブ・レ・始めたのだ。


 消えてなくなるぐらいならまだ理解できる。目の前で超スピードで移動され、そのスピードがあまりにも速すぎていないように見えるのだとわかる。


 だが、人1人が勝手にブレ始めるというのは聞いたことがない。人間にバイブレーション機能は搭載されていないからだ。


 しかし、いくらこの男の姿がブレて見えようが、無意識下で動く私の体はブレていようがいまいが関係なく、男の攻撃を対処できれば関係ない。





 そう、関係ないのだ。





 対処さえできれば。





「ごぶっ!!」




 そんな、ありえない。そんな感情の中、脇腹に突き刺さった拳から、尋常ではないほどの痛みと大量の血があふれだす。


 ブレた瞬間、なぜか無意識下で動く体が対応できなくなったのだ。


 速くなったのか? 技術を使われたのか? 何もわからないまま、体が反応できずもろに攻撃を受けてしまった。


(そんな……私は選ばれたんだ!! 認められたはずなんだ!!)


 私は選ばれたのだ。そうでないのなら、私に無意識下の体を与えるはずがない。私に勝てる存在などこの世にいないのだ。存在してはいけない。 


 私が殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。


「ころ……」


 みぞおちに超強力な一撃。それは私の体が有する防御力をたやすく上回り、私を後ろにあるアパートへ吹っ飛ばすには十分な威力だった。



 吹き飛ばされ、ボコボコにされ、今からアパートに突っ込む。そんな絶望的な状況の中、ポケットの中に手を入れ、私はとあることを決心せざるを得なくなった。



(もう……やるしかない)



 ポケットの中に忍ばせた、唯一無二の切り札。あの派閥から手に入れた注射器を使う時がきたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る