2-3 風の精霊ソライ

「ティエンくん、ご飯だよ。食べないの?」


 鉄格子の外からボイラーに呼びかけたが、ティエンは何も答えず、ただ彼を睨みつけた。


「怖い、怖い。さあ、いつ君の友達は来てくれるかな?君が餓死するまで、私は待てないけどね」

「待たなくていい。今すぐ殺せ!」


(フィンのことだ。絶対にメイラのところへ言ったはずだ。彼女の精霊なら、絶対に止めるはずだけど)


 ティエンはメイラがここにこないことを願っていた。

 もし来たとしても、自分が死んでいれば足を引っ張ることはない。


(四つの精霊が必死にメイラを守るはず。俺がいなければただ逃げればいいだけだ)


「ボイラーとか言ったっけ?あんた、精霊の二つも従えているのに、俺みたいな奴一人殺せないのか?」


 ボイラーを怒らせて、自分を攻撃させようとするが、彼は肩をすくめただけだった。


「ボイラー様!俺にこいつを殺させてください!二度とふざけた口が叩けないようにしてやります!」


 しかし、ボイラーの側にいた男にはその挑発が聞いたようだった。

 

(精霊使い?そうだろうな。精霊鎖はどこかに隠してあるのか?)


 精霊鎖の精霊を使役するには、その精霊鎖に触れ、名を呼ぶ必要がある。一度命令を下しても、精霊鎖から手を離すと、その命令は無効になる。

 だから精霊使いたちは、ティエンのように付け毛にしたり、腕輪にしたりと、自身の体に身につけることが多い。ボイラーの場合は、真っ黒なスーツで身を覆っていることから、腕輪か足輪だとティエンは見当をつけていた。

 怒りで顔を真っ赤にする大柄の男の髪は剃り上げれられ、シャツやズボンから出ている腕や脚には何もつけられていない。

 

(もしかして精霊使いではない?)


 そう思った矢先、男が誰かの名を口にした。

 男の腰の辺りから銀色の光が発生して、一人の女性が現れた。銀色の短い髪を持ち、すらりと伸びた肢体をもつ風の精霊だった。


「ソライ」

「ミシェル。待ちなさい。君にはゆっくり機会をあげる。今はやめなさい」


 男ミシェルが精霊に命令を下す前に、ボイラーが先に彼を止めた。

 死ぬ覚悟はできたいたはずなのだが、ティエンはほっと胸を撫で下ろし、そんな自分に腹が立つ。


(くそっつ。死ぬことが怖いんだ。あんなこと言っておいて、情けないぞ)


「わかりました。しっかし、こいつの口を黙らせるくらいはいいでしょうか?」

「うーん。優しくやるんだよ」


 ボイラーはミシェルにそう言うとティエンに背を向けた。


「この野郎!逃げるのか!」

「ソライ。ガキを吹き飛ばして、壁にぶつけろ。死なない程度にな」

「了解」


 風の精霊は淡々とそう答える。


「うわっつ!」


 ティエンが覚悟する前に、突風が突然彼に襲いかかり、壁に叩きつけられた。

 しかし、頭は打ち付けず、体のみだ。

 それでも衝撃と痛みで床に伏せったまま、ティエンは動けなかった。


 ☆

 

 森と王宮の距離は馬を使えば一週間ほどで辿り着く距離だ。

 精霊を使った移動は、風の精霊と一緒に空を飛ぶか、土の精霊と共に土を滑るように移動するか、水の聖霊と川を移動するか、三つの方法が考えられた。

 人目につくのを込まないため、移動方法は空になり、途中人目のないところに降りたりしながら、王宮へ向かった。

 火の精霊のヒーサンとフィン、水の精霊ミズサン、土の精霊ツチサンは己だけで移動するので、どこにでも行ける。しかしメイラの祖母とその精霊ソライに止められていたので、それまで精霊たちは森以外に行くことはなかった。しかし、森を出ることを決意したメイラに寄り添う精霊たちは、積極的に外の出て様子を探ろうとした

 王宮近くに、他の精霊の気配を感じて、彼女の精霊たちは空の旅を続けるメイラの元に戻った。彼女は、小休憩とばかり、人気がない森の中に降り立ち、ヒーサンたちの話に耳を傾けた。


「先にオレがあいつを倒しておこうか?」

「ワタシがやる!」


 メイラに提案したヒーサンに対して、対抗意識を燃やしたミズサンが声を上げた。


「そうだね。そうしてもらったほうが……」


 彼女が精霊たちの言葉に同意しようとしたのだが、それにフィンが待ったをかけた。


「メイラ。精霊たちを消滅させるのはやめていただけますか?」

「はあ?なんでた?」

「どうして?」


 突然口を出してきたフィン。ヒーサンもミズサンも面白くなく、不機嫌な顔でフィンに詰め寄る。


「精霊の多くは好きで精霊使いに従っているわけではありません。精霊鎖さえ燃やして終えば、解放され精霊主に元へ戻れます。だから、精霊の消滅ではなく、精霊鎖を破壊してもらいたいのです」


 殺気と感じるくらいの雰囲気を醸し出した二つの精霊を横目に、フィンはメイラに頼む。

 フィンの契約主ガルネリは精霊鎖に囚われる精霊たちを解放したいと活動を続けた。どんな困難な時も決して精霊を消滅させようとしたことはなかった。それが彼の死因にもつながったのだが、ガルネリは後悔している様子はなく、ティエンにその願いを託し死んでいった。


「それはティエンもそう思っているの?」

「はい!」

「だったらわかった。ヒーサン、ミズサン。その人間から精霊鎖を奪って燃やすか壊して」

「え〜。面倒だ」

「そうよ。あ、人ごと壊してもいい?その人間が持っているんでしょ?死ねば精霊にも命令できないし。なーんだ簡単ね」

「なんて過激な。人を殺すのもダメです。メイラはそれでいいんですか?」

「うーん。だめかな?」

「え?」


 メイラは村で暮らしたことがあったが、それは幼い頃。

 祖母と暮らしたのはわずかで、精霊たちと過ごしてきた。人の常識から少し離れており、助けたいと思う人間はティエンだけだった。


「アナタたち、人の常識くらい教えてあげればいいのに」

「え〜。なんだよ。人の常識って。必要ねーよ」


 呆れた様子でフィンがそう言うと、ヒーサンが言い返す。

 それに対して、目を吊り上げて援護射撃したのはミズサンだ。メイラを森から連れ出したフィンのことが二つの精霊は気に食わず、いつも喧嘩しているのに、フィンに対してだけは息があっていた。


「そうよ。アンタも精霊なら、そんな人間みたいにしなきゃいいのに。ソライみたい」

「ソライ?」

「フィン。ソライを知ってるの?」


 ソライは祖母の風の精霊だ。メイラの隣でずっと黙っていたカゼサンも顔を上げた。

 気がつけば、ツチサンも姿を見せている。


「風の精霊のソライであってますか?」

「そうよ!」


 メイラが誰よりも早く答え、興奮ぎみにフィンに詰め寄った。

 カゼサンが慌てて引き離そうとしてみたが、本人はフィンから離れようとしなかった。


「あのばあばあも見たことある?」

「ばあばあ?」

「うん。私のおばあちゃんなの。八年前にソライと一緒に森を出ていったの。ソライを見たってことはきっとばあばあも!」

「フィン。ソライは誰かに使役されてましたか?」


 気持ちを昂らせているメイラところなり、カゼサンは静かに問いかけた。


「はい。ミシェルという人間の男に」

「嘘よ!ソライはばあばあの精霊よ!他の人に従うわけがない!」


 メイラが叫び、他の精霊たちはを理解する。

 精霊の愛し子の精霊は他の人に使役されることは決してない。もし使役されたとすれば、それは精霊鎖を作り、精霊の愛し子が死んでいた場合だ。精霊鎖を作っても、精霊の愛し子が生きている限り、その精霊鎖は意味をなさない。

 ソライが使役されている、その意味はメイラの祖母がすでにこの世にいないということだった。


「嘘よ!嘘!フィンの嘘つき!」

「メイラ、メイラ。落ち着いて」


 カゼサンはメイラを抱きしめ、必死に宥めようとしていた。

 他の精霊たちもオロオロしながら彼女の側に集まる。


(嘘だ。嘘。ばあばあが。もしかして、ううん。多分死んでしまったと思っていた。だけど、ソライを知ってると聞いて、期待してしまった)


「ばあばあ!ばあばあ!」


 その後、結局メイラは泣き続け、旅どころではなくなってしまった。




 



 




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