第25話 恋する街角【月がきれい】
なんとなく夜明け前に目が覚めてしまい、眠気もなくなってしまいました。
たまにはこんな朝も良いでしょう。
温かなお茶を傍らに白み始めた窓の外を眺めていました。
夜明けを待っていたかのように鳴る電話
病院勤務の友人からの電話でした。
「今日の午後ですね。承知いたしました。お受け致します。」
姫子さんにも連絡しましたが、どうしても都合が付かないとのこと
あなたはウソが下手ですね。わざとやっていますよね。
背中を押してくれるのですね。お節介な人です。
ひとりで行ってまいります。
本日の午後 ソロでのロビーコンサート開催が決定致しました。
――――
いつもと変わらない舞台
演奏が許される場所はこの玄関ロビーのみ
他の場所での演奏は出来ません。立ち入ることも出来ません。
ここは病院です。本来の業務に支障をきたす訳にはまいりませんからね。
今日はソロ演奏 順当に考えればピアノを選ぶべきでしょう。
でもあえてバイオリン
大きな音を出さずとも遠くへ届く楽器を選びました。
今日は特別です。
衣装をちょっとだけ華やかなドレスにしてみました。
私にとっては演奏時の正装です。
いつもの通りアニソンのみの選曲はブレません。
本日のセットリストは私の好みだけで選んだ五曲
銀河の歌姫の楽曲ばかりを選んでみました。
激しく気高く恋を歌った楽曲たち
歌に力があるのなら その力に心を託しましょう。
口角をあげて 額を立てる。
楽しいことを考えて音にしましょう。
「私の歌を聴けぇ」
いきなりの高飛車な宣言から始まった演奏会
知らない人はごめんなさい 驚きますよね。
アニソン道に邁進しておりますとこのような演奏になるとだけご理解くださいませ。
選んだ楽曲への敬意を胸に音を紡ぎます。
この音届いていますか。
――――
みなさん笑顔で聴いていただけました。
楽しんでいただけたようで何よりです。
「こんなサービス滅多にしないんだからねっ」
銀河の歌姫がお好きな女性もいらっしゃったようです。同志ですね。
§
今回は事前に一曲だけリクエストを頂きました。
私もこの楽曲は大好きですよ。
初心でぎこちない恋の歌
ちょっとだけ緊張してしまいますね。ちょっとだけ
指が震えてしまいます。心が震えてしまいます。
笑顔です。口角をあげなさい。
額を立てて前を向きなさい。
大丈夫 大丈夫
本日最後の曲 聞いてください。
『月がきれい』
――――
観客の中に彼の姿はありませんでした。
◇
二か月後
今日は姫子さんとふたりで演奏します。
姫子さんのピアノが入るとやはり違いますね。
お胸だけでなくピアノの才能まであるとは不公平さを感じます。
彼女は多才すぎるのですよ。
神様はそのあたりどのようにお考えなのでしょうか。
小一時間ほど討論をしてみたい気持ちでいっぱいでございます。
母校での演奏会のきっかけとなった生徒さんがわざわざ来てくれました。
改めて演奏のお礼の言の葉を頂きました。律儀な良い子です。
出会ったあの日はおじいさまのお見舞いだったのですね。
引き合わせていただいたおじいさまに感謝いたします。
母校では実行委員会を中心に『アニソンのお姉さま』と呼ばれているそうでして・・・
もう少し素敵な呼び名で記憶に残りたかったと思うのは贅沢でしょうか。
若干名ですが生徒さんの中からボランティアとして演奏をしてみたいとの申し出があり、学校としても推奨する動きが出てきたようです。
これは嬉しいですね。
彼女たちの心に何か残せたのだと思うと嬉しくて胸が熱くなってしまいます。
恩師からの伝言も頂きました。
『今度は仮面をつけて演奏してみると面白いかも』
お姉さま 面白がっていらっしゃいますよね。
覚えていやがれでございますですわ
◇
演奏後、この企画をお世話して頂いている友人から教えていただきました。
あの彼はもう演奏を聴きに来ることはないそうです。
外出許可日にあの場所で出会えたことは奇跡だったのでしょう。
私の演奏を聴きたいと望んでくれたことを誇りに思います。
そして急遽連絡をくれた友人にも感謝いたします。
演奏のお礼にと折り鶴を一羽託されたそうで、私の手のひらに乗せてくれました。
素敵な贈り物を頂きました。
殿方からの贈り物です。大切にさせていただきます。
病室まで音は届いたのですね。
せっかくリクエストをいただいたのです。聴いていただけたこと嬉しく思います。
泣いたりしませんよ。
私は笑顔でバイオリンを奏でるのです。
――――
演奏会の舞台は緩和病棟の玄関ロビー
私たちの演奏を三回以上聞いていただける方は稀な場所
プロの演奏家でもなく、特別上手なわけでもない私が舞台に立つ小さな演奏会
最初は友人からの依頼でした。
今は自分のためにここに立っています。
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