端午の節句 子供の成長 ゴールデンウィーク
五月五日、ゴールデンウィークの子供の日、この日に翔は大学入学祝いで買ったスカイラインで首都高速道路を走らせている。決して、暇な日というわけでもないが、今後ろに乗っている二人のためにも今日は家族サービスらしきことをしなくては男というものが下がる。
車の後部座席に座っているのは、彼女の彩綾、そして、その彼女の娘の明里である。今現在、やはり予想されていた渋滞にまんまとハマり、目的地であるディズニーランドまで行くのにはあと三時間はかかる見通しである。
「ごめんね、今日も課題があったでしょ。それなのに無理して付き合わせちゃって」
「良いんだよ、僕から言い出したことなんだし。それにこんな時じゃないければ、あかりちゃんにディズニーになんて連れてってあげれないんだからさ」
二人は高校時代から付き合いだった。翔が彩綾の一つ下の後輩で、吹奏楽部で同じパートのトランペットを担当していたのが出会いのきっかけだ。高校時代は特に何もなく、ただの先輩と後輩の関係ではあったものの、大学に進学した彩綾を追いかけるように同じ大学に入学した翔が、三年の歳月をかけて彼女を落としたのである。
彼女と付き合えたことは、まさに奇跡にも思えるような出来事だった。高校時代は望むことのできなかった憧れも、彼女が卒業してからは募る想いが長ければ長いほど愛情は積み重なっていった。だから、四年越しにも思える告白が成功した時は、この世の何事にも変えられない幸福とも言えた、きっとその日のことを翔は一生忘れることはないだろう。
「それよりも、あかりちゃんは大丈夫? 結構長い間ハマってるけど」
「大丈夫。アンパンマンの動画見て落ち着いてるから。翔くんは運転に集中してていいよ」
「わかった。ありがとう」
明里は今年で二歳になる。すでにそこら辺を縦横無尽に走り回り、最近では喋る言葉も徐々に流暢になっている。そんな彼女のマイブームはもっぱら国民的人気アニメヒーローの『アンパンマン』である。まだ夜泣きも少しはする年頃、そんな時の最終兵器こそがアンパンマンである。もちろんそれは、彼女との食事の場でも有効で、彼女が泣き叫ぼうものならば、すかさず彼の活躍を見せれば彼女の視線は彼に釘付けなのである。
そんな聞かん坊な彼女の扱いは最初のうちは戸惑っていたものの、翔も徐々に慣れつつあり少しではあるが彩綾の役に立てているような気がして嬉しく思えた。
「渋滞、どう?」
「うーん、あと一時間はこのままかな。でも、サアがいてくれてよかったよ。下手したら予定合わなかったもんね」
「教授、いつも締め切りにうるさいからね。本当、子育てと大学生の両立って大変よ」
「サアは偉いよ。本当に」
翔と彩綾は現在お互いに大学生だ。彼女が一つ留年したがために幸か不幸か同じ学年を翔は彼女と一緒に過ごすことができた。同じ学部なため、お互いに足りないところを補えるのは唯一の強みであり、翔自身もあまり優秀というわけではないので彼女の存在に助けられているところは多かった。
車の列が若干ではあるが動き出す。ふと運転席の横を見れば、同じように家族と思わし人物たちが車の中で色々と話をしながら楽しそうに盛り上がっている。そんな姿を翔は見ながら、少しだけ羨ましいと感じてしまった。
三十分後、車の列はようやく解消され渋滞の列は綺麗になった排水溝のように勢いよく車が道路から洗い流されていった。
時刻は午後の三時半を回ったところである。朝の八時に出たのにこの時間となると、ディズニーに着く頃には夕方になっているだろう。だが、ここまで来て引き返す理由はない。翔は少しだけ早る気持ちを抑えつつ、アクセルを軽く踏み込んだ。
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ディズニーランドに着いたのはやはり予想した通り夕方を回った五時頃だった。幸いにもまだ陽は高く、園内は明るい。
ディズニーランドについた時の明里の表情は酷く明るげなものだった。手に持っていたアンパンマンの動画が流れるスマホには目もくれずに、人混みの中をかき分けてかけだしてゆくものだから、二人は明里を見失わないように歩くのが大変だった。
それもそのはずだ。普段は、二人が大学に通っている間は託児所に預けてしまっていて外の世界に触れる機会などほとんどない。そのことは二人とも互いにひどく心苦しくあったが、彼女の未来を守るためにも大学を無事卒業し会社に就職しなければならない。だからこそ、今を必死にならなければならない理由がある。
全ては、彼女の。明里と、彩綾のために。
「どうしたの? 翔くん」
「……いや。なんか、良いなって思ってさ」
「……そうだね。いいね」
そう言いながら彩綾は翔に向けて優しく微笑む。そんな二人の間には、買ってもらったプーさんのポップコーンのケースを首にさげご満悦になりながら二人と手を繋いで歩いている明里の姿がそこにあった。
夕方を回って、すでに陽がすっかり落ちた夜の七時半、園内で行われるパレードで三人は場所取りをしていた。園内の広い道路には所狭しとスタッフが立ち並び、大きな見せ物が色とりどりに暗闇の中を輝いて目の前を通ってゆく。それに向かって明里が指をさし、何かを言っていたが結局終始何をいっているのかわからず、でも楽しそうにしていることだけは二人にも十二分に伝わった。
そんな夢のような楽しい時間も終わりを告げる。
閉園三十分前を知らせるアナウンスが園内に流れた。
「どう、あかりちゃん。今日は楽しかった?」
「たのしかったーぁっ!」
そう言いながら満面の笑みを浮かべてくれる明里の表情を見て、翔は満足げな表情を浮かべる。彼女が幸せなら、自分もここまで出向いた甲斐があったものだろう。
しかし、ただ一人。暗い表情をしていた人物がいた。
それは、彩綾だった。
「……ごめんね、翔くん。本当、私と付き合ってるってだけで、こんなことまで……」
「サア……。元々、ディズニー行こうって言い出したのは俺だし。サアは気にしなくって良いんだって」
「でも……っ! 私……翔くんに申し訳なくて……、だって。明里は……っ」
と彩綾が口に出そうとした言葉を翔は優しく手で口を塞ぐ。そばで見ていた明里はキョトンとした表情をしているが、翔には彼女の言わんとしていることがわかった。
翔と明里、この二人に血の繋がりはない。正確に言えば、彩綾がかつて結婚していた男との間にできた子供が彩綾である。翔は高校時代、彩綾が同年代の男と付き合っていることを知っていた。それが故に、アプローチを仕掛けるようなことはなかった。
しかし、彼女の夫となった男は酒癖が悪かった。酔うと手あたり次第にものを壊し、当然のように彼女にも暴力を振るった。当時、妊婦で学校を休んでいた彼女にも容赦なく暴力を振るっていた。そんな生活に耐えきれず、離婚をしたのが一昨年のこと。そして、明里が生まれたのも同時だった。
一人で育児をしなくてはならない、大学にも通わなくてはならない、離婚調停の裁判にも顔を出さなくてはならない。精神共々、疲弊し切っていた彩綾のところに現れたのが翔だった。
恋愛などもう懲り懲りだ。
そう言って、彼のことを拒絶した。
しかしそれでも、彼は何度も彩綾の家を訪ねた。
授業の内容を手伝ってほしい、試験の対策をしてほしい、レポートの添削をしてほしい、様々な理由をつけては翔は彩綾の家を訪ねた。そんな彼の姿に、明里も自然に懐いていった。
自分の子供は成長してゆく。
それなのに、私は何も進むことができていない。
これは私の踏み出すべき、最初の一歩なのかもしれない。
そう思い、翔の長きに渡ったアプローチに了承をしたのだ。
「……それは言わないって約束でしょ?」
「……ごめんなさい。でも、本当に良いのかなぁ……、私。こんなに、幸せに感じちゃって良いのかなぁ……? 頼っても良いのかなぁ……?」
涙が止まらない。
心の中で吹き溜まっていたものに光が差し込むように、暗闇が心の中から晴れてゆく。
ふと、足元に優しく暖かい感触が伝わる。足元を見れば、自分の娘、明里が抱きついていた。
「まま、ないちゃいや。いいこいいこ」
「……だってさ。お母さん、泣いちゃいやだって」
翔が優しく彩綾のことを抱きしめる。その温もりが愛おしくてしょうがない。私はもう、この温もりなしで生きることはできない。
園内で閉園のアナウンスが繰り返し流れる。
三人はスタッフに声をかけられるまで、互いの命を感じるように抱き合ったままだった。
おそらく、今日という日を。三人は忘れることはないだろう。
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