第8話 体育館倉庫

 もう一度言っておくが、これはバスケ漫画じゃない。女子バレー観察日記でもなく、瀬利裕太を巡る恋愛浪漫奇譚である。


 おそらく、彼は俺のあずかり知らぬ所でエルミンさんや橘先輩とキャーエッチ主人公のバカぁ~! あんたのことなんて全然好きじゃないんだからね! などと嘯く所業を繰り返しているのだろう。ラブコメ道を征く者だ。その点に何の不満もない。


 しかし、問題はあった。

 堀田花である。

 俺と裕太の幼馴染にして、ヒロインたるはずの彼女……

 ――現状、主人公とまるでイベントが起きていないではないか。


 ファッ!? これは由々しき問題ですよ!


 このままじゃ、花はモブ化してしまう。ストーリーに貢献せず一度でも二軍落ちを味わえば、ヒロイン復帰は絶望的だ。毎パート、セリフが一言しかない子が人気になり、気付けばプレイアブルキャラが入れ替わっているかもしれない。エンディングで名前の順番が、ヒロイン枠から弾かれるかもしれない。そしたら敗北者じゃけえー。


 イベントが発生しない? ハッ、だったら起こすまでだ。

 フラグ管理なんて余裕さ。なんせ、昨日エロゲーで予習してきたからな! エッチなCGを見るまでプレイしたかったが、それはほら……ちょっと恥ずかしいやん?


「裕太ちゃん、片付け手伝ってぇ~」

「今日は花がやるって話じゃないの?」

「お願いお願いお願い!」

「……仕方がないな」


 先生から片付けを率先して引き受けた花は、さっそく裕太に協力を頼む。

 クラスメイツが体育館を退出する中、裕太は面倒くさそうに振舞うが首を縦に振った。バレーネットと支柱をしまうため、二人は倉庫へ入っていく。


 切れかけた蛍光灯がチカチカと点滅を繰り返した。視界は確保しづらく、薄暗い。砂塵と埃をたっぷり含んだ空気が淀み、立っているだけでやけに息苦しい空間だ。


 若い男女が二人。薄暗い密室。荒い吐息。何も起こらぬはずがなく……その時、条件は整ったと言わんばかりに不思議なことが起こった(ナレーションあり)っ!

 ガチャンッ。


「あっ」

「ちょっ」


 なんということでしょう。あんなにも開放的だった倉庫の防災扉は、匠もとい卓の手によって閉鎖的なドアへと変貌を遂げたのです。

 つまり、俺がかんぬき錠を閉めました。


「シチュエーションを提供することで、こちらから仕掛けるっ! 主人公は否応なく、ヒロインとのラブコメを強いられるのだよ」


 どんどんっ。

 ドンドンドンッ。


「誰かいないのか! おーいっ」


 外に誰もいませんよ?


「卓っ! いたら返事してくれ!」


 待ってろ、今すぐ開け――ない!

 主人公に必要とされ、つい友人キャラ心に火が付きそうになったがグッと堪える。

 許せ、裕太。また後で、だ。


 倉庫の奥へ回り込み、俺は事前に用意していた脚立に上った。ひっそりと備え付けられた小窓は俺のごとく存在感がなく、コッソリ覗けるベストプレイス。倉庫じゃなくて女子更衣室が良かったなーとは、全く以って微塵も考えていない。


「参ったな、閉じ込められたか」

「そんな……ど、どうしよう」


 不安そうな花は固く閉まったドアを見て、そっと裕太の体操着を掴んだ。

 一応、これは主役になれない俺が拗らせた結果の拉致監禁じゃない。事前に何が起こるのか、何をすべきか、花には伝えている。ゆえに、演技の時間だ。


 幼稚園児の頃、彼女はお遊戯会でお姫様役を射止めた実績がある。加えて、散々おままごとに付き合わされたものだ。

 俺が用意した脚本には、柱とト書きだけ。セリフは全て、空欄のまま。

 なぜなら、物語を広げることこそメインキャラの務めなのだから。


「脱出の方法……」

「うーん。今のところ、あそこの窓から降り、いや狭すぎて通らないか」


 おっと、危なくない。地味でちっとも察知されないぜ。覗き、ダメ絶対。


「まあ、そんなに悲観しなくても、この後HRだっけ? いつまでも帰って来ないって、誰か探しに来てくれるだろ」

「卓ちゃんとか?」

「いや、卓は結構薄情者だからなあ。いなくなったって、気付かないかもしれない」

「あー、ありそうだねえ」


 なんでや!

 俺はビニール袋を貰わんぞ! エコバッグを持ち歩くくらい、地球に優しいぞ。


「とにかく、落ち着け。ちょっと待ってれば問題ないさ」

「うん」


 そして、彼らのアドリブは続く。明るい気分を保とうと楽しげに振舞い、談笑が聞こえてきた。しかし、俺はお前らの仲良しトークを聞きに来たのではない。

 仕掛けろ、花。

 先制攻撃だ。絶え間なく、優位性を確保しろ。


「裕太ちゃん、ちょっと座ろっか」


 俺の意識が伝わったのか、花はちょうどイスくらいの高さの跳び箱を指差した。返事を待たず、裕太の手を引いて誘導する。

 いけ! キャバレーのキャッチのごとく、罠に嵌めてしまうんや! ラブコメパートをぼったくれ!


「あ~、何か転びそうな気分だなあ……っ!」


 まるで何かに躓いたように体勢を崩した、大根役者。三文の価値もなし。

 これじゃあ、裕太を押し倒して抱き合っちゃう格好になっても仕方がないね。人気のない場所で密着するなんて、やらしーなー。

 ――否、


「おっとっと。花、暗いからうろちょろしたら危ないぞ?」


 我らが頼れるヒーローは、花の腕を掴んでしっかり支えてやった。


「あ、ありがと」


 花は一瞬、例の話と違うと呆けてしまう。

 おかげさまで、彼女に怪我はない。良かった、良かった。

 って、違うやろ!? ちょ、待てよっ!


 お前はラブコメ主人公やろ! しかも、特徴がないのが特徴ってモブみたいなことを嘯くオーソドックスなタイプだろ! どうして、絶好のラブコメシチュエーションを回避するんだ! 


 せっかくテンプレートを敷いたのだから、ちゃんと乗っかれよ! 準備した連中の苦労を裏切るのか、主人公ぅ! 予想ばかりか、期待すら裏切るというのか!

 本当に、お前にはがっかりだ! 失望したぞ!


 ふぅ……

 つい心情を吐露してしまったが、ご安心ください。ぼくは冷静です。

 いかんせん、かませ役の小手先ロジックが主役様へ容易に通用するとは考えていない。


 せめて、神に祈ろう。

 ラブコメの神よ、業界の有力者よ。

 ラブコメの波動を感じたならば、憐れなモブに御身の奇跡を与え給え。


 ――否々、

 展開とは、自ら切り開くもの。神様が手を貸すのは主人公だけである。

 すでに、手は打っていた。むしろ、口は黙っていた。

 もう大丈夫と、花が一歩後退した瞬間。


「きゃ……っ!」

「ちょ……っ!」


 ラブコメで倉庫に閉じ込められたシーンを採用するならさ、やっぱりヒロインは押し倒される側だよね。ラブコメ神も、そりゃそうじゃとうんうん頷いている。

 跳び箱のすぐ隣に積み並んでいたマットの厚みに踵を取られ、彼女は今度こそ裕太を道連れコースで足を滑らせた。


「押してダメなら、引いてみろ」


 仰向けに転倒した衝撃がマットに吸収され、倉庫中にボフンと音が響いた。くんずほぐれつの体現者・裕太は、花の腰回りに跨ったマウントポジション。

 目を凝らせば、彼はさらにヒロインと指を絡み合わせて彼女の左手を握っていた。


 そして、何より……やはりラブコメ主人公だなと素直に感心させられたのは――その左手が、花のエルミンさんほどではないにしろ十分女性の包容力が詰まったおっぱいを掴んでいたこと。


 むに。

 むにむに。

 鷲掴み、である。確認のために何度も揉むな、うらやまけしからんぞ!


「あ……あん……やん…………裕太ちゃんのえっち」


 真っ赤になっただろう顔を自由な右腕で隠すや、嫌々と身を捩じらせ嬌声をあげた。

 それ、逆効果だぞ。ラブコメ主人公に効果てきめん、童貞男子に効果抜群。


「……っ!? ご、ごめんっ」


 ここで鼻血ブシャーなら、太古の時代・昭和ノスタルジー。

 口は嘘つき、身体は正直らしく、


 健全な少年たる裕太の左手は、至高のたわわから離れようとしない。

 健全な肉体には、健全な魂宿れよ! ちょっと代わってくれよ!

 俺の邪念が漏れ出すと、彼らはおっぱいで繋がりながら絆に関して話していた。


「ねぇ、裕太ちゃん。エルミンさんと付き合ってるの?」

「え、んなわけないだろ。ただの居候だよ」

「ふーん。その割にすごく仲良さそうだけどなあ、校内でいつもベタベタしちゃってさ」


「エルミンはお国柄、スキンシップが多いだけで他意はないぞ」

「どうだろうねぇ~。美人の橘さんともイチャイチャしてるって聞いたけど? ふうん、楽しい学園生活送ってるね!」

「おいおい、俺をまるでラブコメ主人公みたいに……」


 裕太がまるでラブコメ主人公みたいなことを言ってた。

 は? そうだろ。

 だから、俺はこんなに気苦労絶えずとも花を応援するのだ。


「家に帰ったら、可愛い妹・裕梨ちゃんに甲斐甲斐しくお世話されちゃって……私だって……裕太ちゃんのお世話……したい……も……ん……」

「え、何だって?」


 その距離で聞こえないのはおかしい。難聴系、難聴をバカにするなよ。

 ラブコメ主人公じゃない? なら、単に性格が悪いってこと? さぁ、どっちだい?


「何でもないよっ、知らないよ! 裕太ちゃんのニブチン」

「やれやれ、人を鈍感みたいに」


 ここぞとばかりに、裕太は本領を発揮していた。ラブコメマイレージを貯めまくり、もう国際線の往復券発行できますよ?

 頬をプクッと膨らませた花が不機嫌に暴れると、マジでキスする五秒前の接近。チューの接触事故なら先ほどの倒れ込んだ時に済ますべきだった。


 否、ある意味タイミングを逸したとは言い難い。

 なんせ、この瞬間――目撃者が登場するにはラブコメ的にちょうどいいのだから。

 ガチャリ。


「ちょっと、裕太ぁ? あんた、いつまで片付けやってるわけ? 皆、待ってるんだけど? ほんと、ノロマなんだか……」


 開錠の時、来たれり。其は運命の扉を開く者なり。

 エルミンさんは防火扉のかんぬきを開け、閉じ込められた二人の救世主とならんはずだった。されど、彼女の目に飛び込んだのは、押し倒された花が抵抗する姿と、馬乗りになっておっぱいを未だ手放さなかった裕太。


 ここに至って、言い逃れはできまい。現行犯だ。

 エルミンさんと裕太がにっこり顔を合わせるや。


「な、なな、何やってんのよぉぉおおおおーーっっ! このヘンタイ男はッ!」

「ご、誤解だっ!? 俺は無実だぁーっ!」

「そんな言い訳が通用するわけないでしょうがっ! いっぺんくたばれぇぇえええ」


 高速詠唱。手元に幾何学的な魔法陣が展開。バチバチ鳴る黄色の電気玉を掴む。それを投擲すると稲妻めいた閃光が走り、暗い倉庫を照らした。

 直撃した裕太は時折骸骨シルエットに変化して、ビリビリ痙攣を繰り返す。


「ぎにあぁぁあああっっ!? あ、あべしっ!」


 阿部さんは、ギニアへ向かったらしい。ラブコメマイレージ、役に立ったね。

 片足を突っ立てながら、ピクピク虫けらの如き姿を晒した我らが主人公。

 ざまあ、やったぜ! なんて、俺は友人キャラゆえ微塵も思っていない。


 ……しゃっ。

 かつて裕太だったものをスルーして、エルミンさんは片膝をついて花の手を取った。


「花! 助けに来たわよ」

「う、うん。えっと、帰りの会が開けなくて迎えに来たんじゃ……?」

「もう大丈夫だから! 何も言わなくていいの!」


 十年来の親友と久しぶりに再会したかのような抱擁。

 イイハナシダナー。

 彼女はエルフであり、救済の女神であり、悪の根絶者であった。

 今、撲滅天使エルミンの称号を授けよう。


「さ、こんなジメジメ辛気臭い場所から出ましょう。皆、あなたを待ってるわ」

「あ、でも……裕太ちゃ」

「皆! あなただけを待ってるわ!」


 大事なことなので二度言いました。繰り返す。大事なことなので二度言いました。

 そして、エルミンさんは有無を言わさず花を保護するのであった。

 尺稼ぎもといラブコメイベント完了。さ、俺も撤収します。

 脚立を片付け、帰る前に一応倉庫をチラリズム。


「不幸だ」


 誰もいなくなり、ぽつりと漏れた独り言。

 哀愁混じり、孤独を背中で伝える主人公がいた。

 流石に励ましてやるかと、声をかけようとした頃合い。


「やれやれ、エルミンの理不尽暴力には参っちゃうぜ。絶賛、不幸だぁー」


 何だかなぁー、不幸アピール大変そうだね。もう一度、かんぬき閉めとこ。

 虚しく反響していく彼の心情を、静寂だけが慰めるのであった。

 ……ところでエルミンさん、こっちの住民に魔法見られていいのかい?

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