三二章 ちがいを知るために
「駄目よ、カンナ。それはわたしが許さない」
アーデルハイドはカンナの目をまっすぐに見据えたままそう告げた。拒否することを認めない宣告だった。その手は
アーデルハイドの隣にはチャップもいて、ハラハラした様子でふたりの姿を見つめている。
腕の痛みが死んでいたカンナの精神を呼び起こしたのだろうか。唇が開き、言葉が現れた。
「……アーデルハイドさま」
何日ぶりだろう。カンナが言葉を発したのは。そして、感情を表に見せたのは。
カンナの目から涙があふれた。ボロボロとこぼれた。アーデルハイドの胸に顔を埋め、思いきり泣きじゃくった。
巨大な怪物たちののし歩く音が満ちる夜のことだった。
アーデルハイドとチャップはカンナを連れて、
この鬼の世界においては夜こそが本当の顔。昼間よりも遙かに騒がしく、
三〇メートルもある巨大な蛇が地表を這う音がする。
小山のような怪物たちがのし歩き、大地が揺れる音がする。
昼の間は巨大な
それらの
たしかにこの世界はか弱い人間が独力で生きていけるような世界ではなかった。
アーデルハイドたちはその脅威の世界を奇跡か、幸運か、あるいはその両方に守られて、生きたまま岩の隙間へと入り込んだ。ほんの少し幸運が足りなければ、三人の帰った場所は岩の隙間などではなく怪物たちの胃袋だったにちがいない。
その岩の隙間のなかでカンナはボロボロと涙を流して泣きじゃくっている。アーデルハイドの胸に顔を埋めて思いきり泣いたことで少しは気が晴れたようだったが、またすぐに泣き出してしまった。それでも、感情をむき出しにしている分、精神が死んでしまっていた頃よりはずっとましだ。アーデルハイドとチャップはそんなカンナをなにも言わず、ただじっと見守っている。
「あたし……あたしが、クレタを殺した。殺しちゃった」
「カンナが殺したんじゃないでしょ!」
チャップがとうとうたまりかねて叫んだ。
「クレタが勝手に死んだんじゃない。死人相手にこんなこと言いたくないけど……クレタが馬鹿だったんだよ。せっかく、生き残れるところだったのに自分から死ぬなんて……」
「あたしが殺したのよ!」
チャップの言葉に対し――。
カンナは
「あたしがクレタの顔を傷つけたから……だから、クレタは絶望して死んじゃった。あたしのせいで……」
「で、でも、どっちみち、あのまま放っておいたらクレタは鬼に食べられて死んでいたんだし……」
「関係ない! あたしがクレタを殺した、ただそれだけ」
カンナの叫びにチャップはほんの一瞬、ムッとした表情になった。すぐに打ち消しはしたが内心の思いが表に出たのはまちがいない。
人ひとりを死に追いやってしまった。
それも、助けたい一心で。
そんなカンナの心の痛みはわかる。わかるつもりだ。だからと言って、自分が必死に
「あんなことになるなんて思わなかった。あたしはただクレタに生きていてほしかった。顔を傷つけられれば
カンナは両手で顔を覆ってワンワン泣きはじめた。泣き声がせまい岩の隙間に共鳴し、耐えがたいほどの騒音となって響き渡る。
これが人の世の夜であれば泣き声が肉食獣を引きよせてしまうことを心配するところだ。しかし、この鬼の世界においてそんな心配をする必要はない。この泣き声よりはるかに大きな音が世界中に満ちているのだから。
「たしかに……」
それまで黙ってカンナを見つめていたアーデルハイドが口を開いた。大声を張りあげているわけではない。
「カンナ。あなたは結果として大変なことをしてしまった。ひとりの人間に死を選ぶほどの絶望を与えた。本来であれば望みを叶え、歓喜のうちに死ねたのに、栄光と賞賛に包まれる死となったのに、絶望の果ての惨めな死を与えてしまった」
そう言い立てるアーデルハイドに対し、チャップがめずらしく非難がましい視線を向けた。
――そこまで言わなくてもいいのに。
そう思ったのだ。
カンナの態度に腹を立てていたチャップだが、それはそれとしてやはり、これほど傷ついている友人が責められるのは心が痛む。
アーデルハイドはつづけた。
「それは、あなたひとりの責任ではないわ。わたしもそんなことになるなんて想像もしなかった。
アーデルハイドはそこまで言ったあと、一息いれてからさらにつづけた。
「でも、カンナ。わたしたちはそれを知りに来たんでしょう。
「で、でも、アーデルハイドさま……」
チャップがあわてて口をはさんだ。場の雰囲気に耐えきれなくなり、なんでもいいから空気をかえずにいられなかったのだ。
「どうやって、
「わたしがなんのあてもなくぶらついていたと思うの?」
「えっ?」
「ジュウジャキから聞いていたわ。この世界にはすべての成り立ちを知るもの、『目覚めしもの』と呼ばれる存在がいるということを。目覚めしものに会い、知る限りのことを教えてもらう」
「目覚めしもの……。どこにいるんです?」
「
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