第55話 粋なクリシェ


 いつか腕時計を買うと決めていたくせに、ずっとそのままになっていた。だから買った。でも、これまでロクに腕時計なんて付けたことがないから、どのメーカーの、どういうタイプの時計を買おうかなんて結構迷った。



「えっ、なんで。時間なんてスマートフォンで見ればいいじゃん」なんてあっさり返されそうなことはわかっている。でも、あいにく私はそれを持っていない。


 スマートフォンは一時期持っていたのだけど、大きすぎて邪魔だから持ち運びをやめたら、見事に固定電話状態になった。だからいまだに二つ折りでボタン式のいわゆるガラホというのか、それを持っている。もちろん時間はそれでも確認できる。


 まあ時間を確認するというよりも、仕事上、日付(西暦を含む)を確認する機会が多くて、やっぱりそれらも携帯電話で確認できるのだけど、いちいちポケットの中から取るのがずっと面倒だったから腕時計が欲しかった。



 というふうに必要な機能を考えていたら、アナログではなくデジタル表示の腕時計がいいという結果に至って、カシオの安い時計を買った。巷では(愛好家の間では)チープカシオ、チプカシと呼ばれている時計で、2000円以内で購入できた。


 そんなに安いのに多少の衝撃では壊れないみたいだし、電池は10年間替えなくていいというし、防水機能までついている。


 私が買ったそれは無論デジタル表示で、月日と曜日だけの表示なのだが、袖をスッと引いただけですぐに確認できるのはものすごくありがたい。



 って、下手な商品レビューみたいになってしまったし、本当はもう少し高価な時計を買おうと考えていたのだけど、手首をバンバンぶつける仕事だから(それってどういう…)、あくまでも仕事のときはそういう時計が一番いいと思った。


 もう少し値の張る時計を買ったら、そのときはまたここで話そうかな。いや、やめとくか。(別にどうでもいい…)



 中学の入学祝いに父方の祖父母から腕時計をもらった。アナログのムーンフェイズ表示(その日のお月さんの形がわかる)が付いた時計だった。


 いまの私は「それもいいなぁ」なんて某Aマゾンを眺めながら思うが、当時はアナログというだけで、どうにも気が引けた。荷が重いと感じていたのか。



 それと同時に、父方の祖父母が私の両親に散々「金がない、金がない」と無心していたのを知っていたから、その時計を買ったお金の出所をたどれば両親なのだろうと考えると祖父母(特に祖母)に感謝なんてしたくなかったし、ちっとも嬉しくなかったのだと思う。



 帰宅してさっそくチープカシオを手首につけてデジタルの文字盤を見ていたら、その昔、生まれてはじめて仕事というものをはじめたときに、母が買ってきてくれた腕時計をふと思い出した。メーカーは覚えていない。でも全体が黒色で円型のデジタル時計だった。


 なんていうそこから、なんだかいろいろと去来するモノがあって――、って、あいにく今の私は、この「去来するモノ」をあなたに上手く伝えられないのだけど(それとして伝え得る言葉を持ち合わせていない)、でもなんともいいようのない、前向きで切ない気持ちになった。


 って、そんなこと親がいなくなったあとに思えよ、感じろよという話。





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