考えるカニの七十年
沢田隆
第1回 思索的な闘い
ここに初投稿したのは2024年の4月24日で、私はもうずいぶんと前からこの第1回を書き直そうと思ったままその内容を考えあぐねていて、大体の場合、ここらへんまで書き進めたところでやっぱり消す、というのを延々と繰り返していた。
いまは2024年7月。一年以上もかかっている。
元々ここには、ミニチュアダックスフントのアリシアについての話を書いていた。まあ、急に犬の話をしたところで間違っちゃいないだろうし、私が住む家には犬がいるということだけは伝わるのだろうけど、そうじゃない。
私は以前にこういうエッセイめいたことを別の場でやっていて、その犬の話自体が前の場で書いていた続きみたいな状態になってしまっていた。
だから新たな読者さんにとっては、たまたま入ったお店で店主と常連がずっと喋っていて居心地が悪い、というような――
とかなんとか言ってみても、別の場でも読者は皆無に等しかったのだから、常連すらいないただの独り言でしかなかったのだけど…。(悲しいね)
そしてさらにもうひとつ。
これはこっちに場を移してからのことなのだけど、ここの主要目的が「小説を投稿する」だという意識が強すぎたせいか、エッセイというジャンルを選んだのに、ここでも小説っぽさを出さなきゃいけないと思って――
って、いまにしてみれば小説そのものに関しても「小説っぽさってなんぞや?」という話なのだけど、内容以前に文体そのものがずいぶんと構えた、堅苦しいものになっていた。
その肩肘を張ったような状態はこのあと、第2回、第3回と十数回目まで続いていくのだけど、いい加減、堅苦しくしていると、やっぱり疲れる。しばらくするといよいよ構えた状態に飽きたというか、面倒になって力を抜きはじめている。
散文は、文が散らかることに意味があるのだから、散らかさなきゃいけない。(というその考え方も一種の固定化である)
週に一度しか投稿していないこの場を見つけてくれて、なおかつこの第1回に立ち寄ってくれたあなたに、私の「面白い」という形をどうやって表現すれば上手く伝わるのか。それがわからなくて困っている。
書き直そう、修正しようと思った理由の端緒はそこにもある。
「面白い」という単語を取り上げてみたところで、たとえば野球好きの私がサッカー好きのあなたに野球の魅力をどう伝えるか、どう「面白い」と思ってもらうか。
まあ、私は野球もサッカーも詳しくないから、ホントに「たとえば」の話でしかなくて、答えなんて出ないのだけど。(おい、コラ…)
とはいえ、私の「なんでもない」があなたにとっての「面白い」になってくれればそれが一番いいのだろうけど、簡単に言ってしまえる物事ほど、体現するのは難しいというのはなんとなくわかる。
それに関しては、ずっと考え続けなきゃいけないんだと思います。はい。
もしよければ、この先の話も読み進めてくれればありがたいです。
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