KANI-KOUSEN
@rintarouROM
第1話 蟹好戦
最大の脅威をご存知であろうか。
命を脅かし、その存在に恐怖し、それを退ける為に結束する存在。
その脅威をご存知であろうか。
蟹である。
十数年前、食糧難に陥った我が国において、その開発は画期的であった。
高級食材に分類される蟹を遺伝子操作によって巨大化し供給量を倍増させる。
国民はそれを両手をあげて歓迎し、食糧難は解消されたかのように思われた。
その遺伝子操作に欠陥があると判明するまでは。
実験施設から逃げ出した蟹は海中へ逃亡、巨大蟹による海中ヒエラルキーの徹底革命が起きた。凶暴化した蟹は漁船工船旅客船の区別なくその鋏で両断し、その巨大な体躯を保つために海中の生物だけでなく人間まで捕食するに至った。
島国である我が国は輸入路の大半を絶たれ、再びの食糧難が訪れた。
駆除するための軍備も少なく、我が国は未曾有の危機に陥った。
それだけでなく、彼らは陸上にも姿を現し、海中へ国民を引き摺り込み、
家を破壊し、村や街も壊滅的な被害を負った。
我々の被害を、蟹たちは楽しんでいるかの様にも見えた
蟹好戦である。
この物語はそんな蟹の被害を恐れながらも懸命に生きながらえる
辺境の小さな村から始まる。
タキジコバヤシ少年は、村の漁港で働く労働者である。
今日もまた、細々と行われる漁のための作業を港で行っていた。
蟹の脅威に晒されている状態でも漁は行われており、むしろ危険と隣り合わせの漁業業界は高騰した海鮮物の値段も相まって、高給の仕事でさえあった。
幼い頃に蟹に襲われ母親を亡くし、父は地方を捨て都会に行ってしまった為、
体の弱い祖母に育てられたタキジがその家計を支えるために漁業に身を費やす事は、不自然なことではなかった。まだ子供の彼を漁港関係者は温かく迎え入れ、危険な船に乗せずに地上での軽作業を行わせていたのである。
「ふぅ、こんなもんかな」
独り言を呟いた彼の前には、強化ファイバー製の投網があった。
蟹のはさみの一撃に備えながら漁をするにはこのくらいの厳重な対策が必要だった。強化ファイバー製とはいえ、使用していくにつれほつれや綻びが生じてしまい、タキジはそれを直す仕事を任されていたのである。
長時間の作業に固まった肩を回しながら、タキジは壁にかけられた時計を見た。
そろそろ漁場を回った船が帰ってくる時間だろう。荷下ろしの手伝いをせねばと、タキジが腰を上げた瞬間、漁船が帰ってきた。
何者かに放り投げられたかのように、空を飛んで、だ。
あまりの事に声も出ず、腰が抜けてその場にへたり込んだタキジの目に飛び込んできたのは、真っ二つに切り分けられた漁船の前半分が、倉庫に突き刺さっている姿だった。何人かの船員が身動きも取れず船上でぐったり倒れ込んでいるのも見える。何事か、考える必要もない。蟹の仕業だ。蟹好戦の標的になってしまったのである。震えながらタキジが目をやると、漁港の方にはもう半分の漁船にハサミを突っ込み中にいる船員を引き摺り出そうとしている巨大蟹の姿があった。奇しくも、かつて人が蟹の身をほじり、より多くの身を得ようとする姿によく似ていた。
「タキジ!」
突然耳に飛び込んできた声に、タキジは我を取り戻した。
船長の娘、アキコだった。鬼気迫る声にタキジは立ち上がり、急いでその手を取って走り出した。港に乗り上がった蟹がこちらに気づく前に、早くシェルターに逃げなくてはいけない。
「お父さんが!お父さんが!」
「僕たちじゃ何もできない!今は逃げるんだ!」
アキコの手を取り駆け出したタキジは、それでも考えていた。
世話になっている漁港の人たちを助けるために、本当に自分にできることはないのか、しかし、もうもうと砂煙の上がり漁港が崩れていく音で集中して考えることなどできなかった。幸いな事にシェルターは近くにある。まずはアキコをそこに連れていく事が最優先だ。彼女の気持ちは痛いほどわかる、しかし、彼女を見殺しにすることもできなかった。
(何か・・・何かないか・・・)
混乱しながら走るタキジの目の端に、ほんの少しだけ違和感が写った。
巨大蟹はいつの間にか数を増やし、二匹になっている。夫婦だろうか。
最初に現れた巨大蟹はまだ漁船を執拗に甚振っている。それよりも小振りなもう一匹は周囲の建物を破壊し、どこかに自分たちの餌になりそうな人間を探している。
しかし、しかしだ。
(なんだ?なぜかあの倉庫だけ、避けるように動いている?)
もしかしたら、あの倉庫には蟹を避ける何かがあるのかもしれない、そんな疑問が彼の脳裏によぎった。巨大蟹の生態や行動パターンはそこまで解明されていない。研究をするには危険すぎる為だ。人間が知っているのはその蟹が死んでからの調理法ばかりで、生きている状態の蟹の行動原理に興味を持つ者はあまりに少なかった。タキジはその一縷の希望に賭ける事にした。
「アキコ、もうシェルターはすぐそこだ。行けるね。」
「行けるねって・・・タキジはどこにいくの?」
「僕は、もう少しだけみんなが助けられる方法を探してみる。」
アキコはじっとタキジの目を見た。そこに宿る小さな火に、彼女が気付いたかはわからない。それでも、アキコは小さく頷くとタキジの手を離すと、ゆっくり歩き始めた。その姿を見ると、タキジは逆の方向に走り出した。一度だけ振り返ってタキジの背中をみたアキコはそっと呟いた
「タキジ、どうぞ、死なないで。」
その言葉が聞こえたかはわからないが、タキジがこちらを振り向くことはなかった。
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