第14話

 錫蘭島とは金の鉱脈を多くもつ国とも言われて、この黄金の国と交易を結ぶ事が出来れば巨額の富を得る事が出来るだろうと、そんな事を言い出したのは、イングリッドの父であるアハティアラ公爵だった。


 錫蘭語は難解を極める言語形態を取っていたものの、もしも、この言語を理解するようになれば、父は私の事を少しでも認めてくれるかもしれない。


 母を亡くしたイングリッドは、父に振り向いてもらう為に血の滲むような努力をする事になったのだが、結局、学んだ成果を見せた所で、

「うん、そうか、母親と同等に優秀だとして、だから何だと言うんだ?」

と、言われ、侮蔑するような眼差しを送られるだけだった。


 イングリッドの母は公爵の正妻であったものの、公爵はいつの時でも義母となるフレドリカに執着し続けていた。

 自分の人生に必要なのはフレドリカと娘のフィリッパであり、正妻の娘であるイングリッドは視界に入れるのも厭うほど、不必要なものであったのだ。


「お父様・・」


 声をかけたところで、父が振り返るはずもない。

 一人、取り残されるイングリッドの方を振り返るのはフレドリカであり、フィリッパで、蔑むようにイングリットを眺めながら、二人はさもおかしそうに嘲笑うだけ。


 勉強を頑張り、完璧な淑女と評価を受けようとも、アハティアラ公爵家の中でイングリッドが成り上がる事など出来はしない。


 例え、フィリッパが公爵の実の娘ではないという事実が明るみになったとしても、父はフレドリカの娘というだけで、フィリッパを愛し続けるのだろう。


 毒を飲んだイングリッドは、苦しみながら心が死んでしまったのかもしれない。

 そうして表に現れたのが、前世、最底辺から裏の世界で成り上がり、最後には流れ弾に当たって死んだ、麻薬の売人ということになる。


「イングリッド!こんな所で何をしているんだ!」


 王妃宮の薔薇が咲き乱れる庭園で、王妃ペルニアの指示で用意されたお茶の席についていたイングリッドは、目の前に座る王弟エルランドと視線を合わせた後に、こちらの方へと向かってくるレクネン王子の方へと視線を移動させた。


「お前は私の婚約者だろう!そのお前が!堂々と王妃宮で王弟である叔父上と不義を交わすとは!嘆かわしいにも程がある!」


「不義を交わすですか?」


 本来なら王太子であるレクネンに正式な挨拶をしなければならないのだろうが、今のイングリッドに怖い物など何もない。


このクソみたいな王子に敬意をカケラも払う必要はないと即断即決したイングリッドは、紅茶を一口飲んだ後、

「王妃様直々にセッティングされたお茶の席についているだけの私が不義ですか?だとするのなら、王妃様直々に、不義をするように言われたも同然という事でしょうか?」

と言って、艶やかな笑みをエルランドに向ける。


「王妃様直々に俺もこの場に呼ばれましたが、なるほど、王妃は俺とイングリッド嬢との縁談を進めるために、この茶会をセッティングされたのかもしれませんね」


 エルランドは色気の滲む笑みを浮かべながら、

「我が伴侶としてイングリッド嬢ほど相応しい者もいない、私の妻として一生を添い遂げてはくれませんか?」

と、イングリッドのほっそりとした手を握りながら問いかけた為、小首を傾げたイングリッドは、

「まあ、どうしようかしら」

と、答えて頬を染める。


 頬を染めたり甘い雰囲気を醸し出すなんて事は二人にとってはお手のもの。そんな二人を見下ろしたレクネンは、

「イングリッド!貴様は私の妻となるのだろう!」

二人の手を引き離しながら怒りの声を上げる。


 エヴォカリ王国の王太子であるレクネン王子とアハティアラ公爵家の令嬢であるイングリッドの婚約は、ほぼ、ほぼ、決定したような形をとっているが、婚約式を行なって居ないので、完全に決定した訳ではない状態だ。


「いいえ、私は貴方様の妻とはなりませんよ」


 イングリッドはにっこりと笑いながらレクネンの顔を見上げた。


「父と義母が婚約者の立場を、義妹のフィリッパに挿げ替えようとなさっているのは有名な話ではないですか?国王陛下も賛同するような事を言っているようですし」


「私の母がそれを許すはずがない!」


 王妃ペルニアは、高位身分の令息たちを誑かしたフレドリカが大嫌い。そのフレドリカの娘であるフィリッパも視界にすら入れない位、嫌っているというのは社交界では有名な話でもある。


「王妃様が許さなくても、国王陛下がお許しになれば、それで良いんじゃないんですか?」


「何を言っているんだ・・」


「元々、アハティアラ公爵から疎まれている私は、公爵家から廃嫡されるかもしれません」

「だからこそ、王妃は私に公女を紹介されたのかもしれませんね」


 愛情深い笑みを浮かべるエルランドに慈愛に満ちた笑みを返しながら、さすが王弟、こんな場合の演技は抜きん出ているなぁとイングリッドが呑気に考えていると、


「イングリッド!お前は私の事を愛して居たのではないのか!」


と、レクナン王子が怒りの声を上げる。


「私が愛する?誰をですか?意味がわからないのですけど?」

小首を傾げながら問いかけると、遠くの方から、

「レクネン様!どちらいらっしゃるの?レクネン様!」

というフィリッパの声が聞こえてくる。


 義理の妹は今日も王宮に参内しているようなのだが、流石に王妃宮の庭園まで突撃は出来なかったらしい。


 遠くに居るだろうに、ここまで声が聞こえてくるほどの声量を考えると、淑女教育はどうなっているのかと疑問に思わずにはいられない。


「本当にクソどうでもいいけど」


 イングリッドが扇子で口元を隠しながら小さく呟いていると、王子は回れ右をして、フィリッパの声がする方へと移動して行ってしまった。


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