第5話

 王宮に到着して早々、レクネン王子との面会については諦める事にしたイングリッドは、王立図書館で大陸地図を広げていた。


 王宮の敷地内にある王立図書館は直方体の建物に円柱式の建物が乗ったような形となっている。直方体の建物は平民の官吏も利用できるようになっているのだが、神殿のような階段を登った先に広がる円柱の建物は貴族のみが利用可能となっている。


 2階部分の円柱の建物は吹き抜けのホールとなっており、周囲360度の壁一面に本が並べられている姿は圧巻である。王立図書館の蔵書は二〇万冊を超えるとも言われ、中央には座り心地の良さそうなソファやテーブルが幾つも置かれていた。


 司書に頼んでテーブルの上に地図を広げたイングリッドは、何処に亡命しようかと頭を悩ませていた。


 近親婚を繰り返した結果なのか、エヴォカリ王国の高位貴族の出生率は、年々、減少傾向にある。アハティアラ公爵家にしても直系はイングリッドのみ、王家にしても、王妃はたった一人の王子しか産んでいない。


 たった一人の王子は甘やかされて育ったが為に、どういった成長をしたのかは、ちょっと拝見しただけでも十分に理解できた。


 エヴォカリ王国は沈みかかった泥舟だ。そんな泥舟に王子妃身分で乗り込むほど、イングリッドは酔狂な性格をしていない。


「御令嬢・・・御令嬢・・・」

「は・・はい」


 何処の国に逃亡してやろうかと真剣に考えすぎていた為、反応するまでに時間が出来てしまった。


「御令嬢が地図を眺めるなど珍しい」


 顔を上げると、自分と同じように地図を覗き込んでいた黒髪、金瞳の美丈夫が、アルカイックスマイルを浮かべながらイングリッドに視線を送る。


「王弟殿下・・・」


 現在の国王には歳の離れた弟が一人いる。十五歳も離れているが二人は同腹の兄弟で、エルランド殿下は現在二十一歳、イングリッドよりも五歳、年上という事になる。


 鼻筋の通った精悍な顔立ちをしており、金髪、金眼である国王マグナスやその息子であるレクネン王子と違って、漆黒の髪色なのは、保有する魔力量があまりに膨大故とも言われている。王族として軍部を統括する地位についており、今まで何度も国境の紛争を収めて来た英雄でもある。


「王妃から君を案内するように申しつかった、すでにカルネリウス伯爵も到着している」


 カルネリウス伯爵はイングリッドの亡くなった母の弟に当たる人であり、継母が公爵家に輿入れしてきてからは一度として顔を合わせた事がなかった。本当に会えるのかどうか心配だったのだけれど、執事のリンドロースが上手い事手配をしてくれたらしい。


 それにしても、わざわざ王弟殿下自らが迎えに来ようとは思いもしない。

 イングリッドは呆然と王弟殿下の顔を見上げると、途端に、スンスンと鼻を鳴らし出す。


「え?」


 突然、令嬢が豹変し、鼻をスンスンと鳴らしながら、ヴィロード生地のウェストコートの匂いを嗅いでいく様は異様であり、その姿を呆然と見下ろしていると、

「王弟まで麻薬漬けかよ、マジでこの国、終わってんな(笑)」

 と、呆れた調子で呟くイングリッドを見下ろして、エルランドは驚いた様子で目を見開いた。

 


 エヴォカリ王国には多くの氷山があり、山から流れ出る水の恩恵を受けた水の国とも言われていた。海岸線は複雑な形をした湾が連なった沈水海岸となり、入り組んだ無数の河川が湾へと流れ込んでいる。


 複雑な形をした湾が無数にあるという事は人の目が行き届かないという事を意味しており、国内を流れる入り組んだ河川は、国外から密輸入をしている商人の流通経路として利用するのに都合が良すぎた。


 つまりはどういう事かというと、王国の湾岸から密入国を果たした売人が、河川が流れ込むエヴォカリオ王国を経由地として、多くの麻薬を周辺諸国に流しているというわけだ。


 エヴォカリ王国は最近、砂漠の国であるジュバイル公国と国交を開いた。ジュバイル公国は魔石の産出量が多く、直接輸入取引をする事によって帝国に頼らない魔石の確保が出来るはずだったのだ。


 苦労をして魔石の輸入をようやく確約させた所にきての麻薬密売の発覚。ジュバイル公国は宗教的な理由で、麻薬については絶対に許さないという立場を貫いている。


 エヴォカリ王国としては元々麻薬を国として禁止していたので、ジュバイル公国と国交を樹立しても何の問題もなかったはずなのに、知らぬ間に自国が麻薬の経由地となっていた為、現在驚き慌てているような状況でもある。


 王命により、王弟エルランドは麻薬の密売組織の摘発の指揮を執る事になったのだが、

「王弟まで麻薬漬けかよ、マジでこの国、終わってんな(笑)」

 というイングリッドの言葉は、聞き捨てならないものであったのは言うまでもない。


「痛い!痛い!痛い!痛い!」


 イングリッドの腕を掴んだエルランドが王立図書館の外まで連れ出すと、イングリッドは淑女とは思えないほど大袈裟に声をあげ始めた。


 図書館は王宮から離れた別棟となるため、人通りの少ない回廊の影へと移動すると、壁にイングリッドを押さえつけながら、

「お前、まさか麻薬に手出しをしているんじゃないだろうな?」

 妖精のように儚げで可憐そのものの令嬢をエルランドが睨みつける。


「そういうお前が麻薬中毒患者なんじゃねえかよ!体から匂っているぞ!」


 レクネン王子の婚約者としてほぼ決定しているイングリッドは、寡黙で言葉数は少ないものの、完璧な淑女と言われる令嬢だという事をエルランドは知っている。


 見かけは月光の妖精のような風貌をしている令嬢は、エルランドに押さえつけられながらも、エルランドの足の脛を蹴り飛ばしながら抵抗を続けていた。


「私はこの国から麻薬を撲滅するための責任者の地位にある。我が国に今、何の麻薬が入り込んでいるか調べる機関に出入りしているのだから、移り香が残っていたとしても何の問題もない」


 自分の衣服に残った移り香が麻薬のものであると判断できるイングリッドは、もしかしたら、麻薬の常習者なのかもしれない。


 イングリッドと甥のレクネン王太子との婚約はほぼ決まっているというのに、その婚約者が麻薬中毒者だとするのなら大変な問題だ。


 焦るエルランドとは反対に、イングリッドは急に言葉遣いを改めて言い出した。


「ああら・・そういう事でございましたのぉ?だから王妃様は貴方様に、私を迎えに行くようにお命じになったのかも知れないですわねぇ」


 そうしてイングリッドは人が変わったように大人しくなると、ホッと小さなため息を吐き出して、

「そういう事なら理解いたしましたわ」

 と言ってエルランドを見上げてにっこりと笑った。


 イングリッドは、銀色の髪に金色の瞳を持つ。過去にアハティアラ公爵家に降嫁した王国の王女にそっくりな容姿をしている。


 妖精のように儚げで、可憐で美しいイングリッドのあり得ない二面性を目の当たりにしたエルランドは、イングリッドを睨みつけた。


 王族の特徴でもある金色の瞳を持つエルランドは、元々が武人であるため逞しい体つきをしている。同じく黄金の瞳を持つイングリッドの美しい顔を見据えると、

「私たち、とっても仲良く出来ると思いますのよ?」

 と言って、エルランドの殺気まみれの視線など意に解する様子もなく、イングリッドは美しい微笑みを浮かべたのだった。

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