第2話

「おい・・おい・・おい・・おい・・!」

 失神した侍女は目を覚ます気配すらない。

「マジかよ、ふざけんな、ぶっ殺してやろうか?」


 倒れた侍女は、毎日、ニヤニヤ笑いながら朝食を運んで来ては、いかに義妹のフィリッパが素晴らしいか、継母のフレドリカがいかに素敵な人であるかを一方的に語っていくような人間だった為、イングリッドは侍女の体を蹴り付けた。


 それでも意識を戻さない侍女を置いたまま、イングリッドは自室に置かれたクローゼットの方へと戻ると、ドレスのリボンを数本引っ張り出して侍女の手足を拘束し、口に猿轡をした状態にして床に転がした。


 そうして、ため息を吐き出したイングリッドは、

「麻薬の密売中に摘発されて・・それで・・そのあと、一体どうしたんだっけ?」

 と、可愛らしい声で独り言を呟いている。


「マジでウケる、これが噂の異世界転生か?」


 イングリッドはそう呟くと、公爵家の令嬢としてはあまりに簡素な作りの部屋の中で、花開くような笑みを浮かべた。


「色々と思い出して来たな・・よし!まずは敵の本拠地を探索してみるか!」


 イングリッドは転がる侍女を蹴飛ばしながら、出てはいけないと言われ続けた自分の部屋の外へと飛び出して行ったのだった。



 アハティアラ公爵家の令嬢であるイングリッドは十六歳、正妻の娘であるイングリッドが公爵家の嫡女という事になる。現在、エヴォカリ王国の王太子であるレクネン王子との婚約が正式に決められようとしている所であり、イングリッドを王子の婚約者から排除しようという勢力が動き出しているのは間違いない事実でもある。


 普段、部屋の外に出る事をしないイングリッドではあるが、人があまり通らない場所というものを十分に理解していた。

 母が亡くなってから入る事がなかった公爵家の執務室ではあるが、母が亡くなる前までは毎日のように出入りしていた場所となる。


 今は父が利用している執務室へと潜り込んだイングリッドは、早速、隠し扉の奥にある金庫を開けて、中に収められていた書類の束を手に取った。

 この場所は母が大事な書類を保管するために使っていた。今では父が、横領の証拠や麻薬の密売の重要書類を隠すために使っている。


 財政難で苦しんだアハティラ公爵家は今では見事に復活を遂げているように見えるだろう。だというのに、領地経営は杜撰なまま、新規事業で大きな成功を収めたという事実はひとつもない。


 それでは、何故ここまで裕福になったのかといえば、こっそりと始めた自領での麻薬の生成と密売で得た金で儲けているだけの事であって、この事が明るみとなれば歴史ある公爵家は終わりを迎える事になるだろう。


 麻薬事業を持ちかけて来たのはオーバリー子爵、この子爵は麻薬の密売にも深く関わっているようだった。


 汚れ役も行うオーバリー子爵はオーグレーン侯爵家の子飼いであり、貴族派でもあるオーグレーン侯爵は自分の娘をレクネン第一王子の伴侶にする事で、新興貴族の勢いを大きなものにしようと考えている。


 ちなみに、継母の生家であるシェルマン男爵家はレックバリー商会が立ち上げる新規業へ多額の出資を決定したとか何とか新聞に載っていた。レックバリー商会はオーバリーが経営する商会の一つでもあるため、継母自身も、貴族派に加担する事を決めたのかもしれないのだが・・


「お・・お・・お嬢様・・どうしてここに・・・」


 重要な書類が置いてある父の執務室は原則人の出入りが禁止されていて、部屋の掃除もメイドにはやらせず、執事のリンドロースが行う事になっている。


 リンドロースは先代公爵の時代から仕えている重鎮であり、白髪を綺麗に後に撫で付けた、ナイスミドルを地でいっているような男でもある。


「ピッキングしただけだし〜」


 父の執務机に足を乗せた状態で書類の束に目を通していたイングリッドは、机の上に置いた奇妙なカーブを描いた三本の針金のようなものを自信満々といった様子でリンドロースに見せたのだが、リンドロースにはお嬢様が令嬢としてはあり得ない態度で執務室に居るのも、『ぴっきんぐ』が一体何なのかもわからない。


「お嬢様・・この部屋は私以外の出入りは禁止されているのですが・・・」

「いやいや、リンド君、瑣末な事を言っている場合じゃ全然ないんだよ。きみ、この書類については理解していた系?わかった上で従っていた系執事?」

「はい?わかったうえで・・けいしつじ?」


 イングリッドは大きなため息を吐き出すと、うんざりした様子で、手に持っていた書類の束を執事に渡す。


 執事のリンドロースは、主人の秘密をイングリッドに促されたからと言って拝見するのはまずいのではないかと思いながら、ただならぬイングリッドの様子に気圧される形で視線を書面上へと移すと、慌てた様子で書面をめくり上げていったのだ。

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