29 婆様

「お願い……とは、なんじゃ?」



 婆様――タル・ルミシリール・ヴァケラ・クッコラは、厳しい表情で俺に尋ねる。


 俺はその婆様の前にひざまずいた。



「いえ、その前に……。まずは改めましてご挨拶申し上げます、私の名はエージ・アルゼリオン・タナカ。ヴェル・ア・レイラ・イアリー卿の資金の拠出と請願により、皇帝陛下がマゼグロン・クリスタルの力をお使いになって私を異世界より蘇生・召喚されました」


「ふむ、異世界の戦士か。それで男なのじゃな。ヴェル卿は生殖には使わなかったのか、さすが武に生きるイアリー家じゃ」



 女性しか生まれないこの世界。俺を生殖に使うとか使わないとかでヴェルとヘンナマリが言い争いになったのを懐かしく思い出した。あれからまだ半年もたっていないのか、びっくりだなあ。



「それで、お主はまだこっちの世界にきたばかりじゃろう。もうアルゼリオンの称号をもらえたのか」



 不思議そうに訊く婆様。そりゃそうだ、俺がこの世界に来て始めてもらった身分が第八等従士だった。それがわずか半年で土地の領有を認められた騎士――アルゼリオンを名乗れてるんだからな。



「先のヘンナマリの反乱の際、陛下のお力になったことで第四等騎士の位をさずかりました」


「ふむ、なるほどのお」


「ヴェル卿の依頼により、タル公を……」


「ふっふっふ、公なんて柄じゃないわ、婆様でよい。第一等宮廷法術士長だったのもずいぶん昔のことになったからの」



 笑ってそう言うタル公――いや、婆様。


 この国ではルミシリール、つまり荘園を持つ貴族につける敬称としては公で間違ってなかった(はず)だけど、本人が婆様でいいってんならいいのだろう。



「では。ヴェル卿の依頼により、婆様を救出に参りました。私と一緒に帝国に帰っていただけますか?」


「もちろん、わしは自分の意思でここにおるわけじゃないからのお。この子も、」



 婆様はかたわらで寝息を立てている小さな女の子の頭をなでて、



「無事じゃし、助けてくれるというのであればそれは帝国に帰らせてもらうわ」



 そう、婆様は玄孫を誘拐されて人質にされ、無理やりこの獣の民の国で軟禁されていたのだ。



「いや、ちょっと待って」



 そこで口を挟んだ人物。


 ミエリッキだ。その赤い瞳で俺をにらむようにして、



「そうは言ってもこっちだって危険をくぐり抜けてこのばあさんを救出したのよ、まったくのただってわけには――」


「いいじゃないか」



 ミエリッキの母、タニヤ・アラタロはぽんぽんと娘の肩を叩いていう。



「この件については恩を売っておくことにしようさね。もし、あの子が私らの長になるってんなら、エージ卿はターセル帝国との重要な橋渡し役になるからね。売れるときに恩は売っとくことにするわ」



 うーむ、ただほど怖いものはないというが、しかし無条件で婆様を引き渡してくれるってんなら大助かりだ。


 金貨何千枚とか請求されても俺には払えないし、ヴェルにだって難しいだろう。



「無事シュシュがハイラ族の族長になったら、見合うだけの働きはさせてもらうさ」



 そう。


 シュシュが族長になるには。


 まずは婆様の力が必要なんだった。


 まさか、俺の奴隷のまま族長にはなれないしな。



「おい、キッサ、シュシュ、こっちにきてくれ」



 俺に呼ばれて二人の姉妹は俺のそばに寄ってくる。


 魔石が光を発して天幕の中を照らしている。いつか帝都のヴェルの部屋で見たことのある照明道具だ。



「キッサ、首輪を婆様に見せて差し上げてくれ」


「はい」



 キッサは自分の首を伸ばして魔石の光がそこにあたるようにした。


 婆様は目を細めてキッサの首輪を見る。



「ほう……この奴隷、なかなか良い首輪をしておるのお。かなり強力な法術付きじゃ。ふむ……これは……生半可な拘束術式ではないのお。一介の騎士が自分の奴隷を拘束するのには高度すぎる……」


「さすがです、婆様。そのとおりです」



 元宮廷法術士長ともなるとひと目でわかるらしい。



「もともと彼女たち――キッサとシュシュは、戦争捕虜でした。処刑されるところを私がとりなし、皇帝陛下のご温情をいただきまして命だけは助かることができたのです。そのかわり、陛下の命令によって宮廷法術士三人が拘束術式をかけた首輪をするというのが助命の条件でした」


「なるほどの……」


「ところが、先のヘンナマリの反乱で、宮廷法術士三人のうち、二人が殺害されてしまったのです。現在の法術士長、ドリル公によれば、もはや首輪の拘束術式を解くのはほぼ不可能だと……しかし、婆様ならあるいは、と。ドリル公の紹介状がここにあります」



 俺はそれを婆様に手渡す。



「ほう、ドリルか……あの生意気な若者だったのがいまや宮廷法術士長だものなあ、わしも年をとったもんじゃ」



 俺の知るドリルは生意気どころか落ち着いた雰囲気の中年のおばさんだったんだけど。


 婆様はドリルの書いた紹介状を読む。



「……なるほどのう、お主のいうことに嘘はないみたいだし、首輪を外す手伝いくらいはしてもいいかのう」

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