27 協力
俺はふと、ミーシアのことを思い浮かべた。
ミーシアはターセル帝国の皇帝だけど、正直、その地位にいることでしないでもいい苦労をいっぱいしてきていた。
本人ですら、再従姉妹であるセラフィが皇帝ならそれでいい、みたいなことを口走ったこともあった気がする。
その苦労をこの子にも……?
少し逡巡してから、
「キッサはどう思うんだ?」
俺のふわっとしたこの質問の意図をキッサは正しく理解したようで、
「カルビナ・リコリは私達の母の仇です。そしてハイラ族全体にとっても害をなす存在だと思っています。そして私はシュシュが、大きな責任を果たせるだけの胆力がある子だと思っています」
胆力……。
うむ、たしかにそれはあるよな。
いつでもどんなときでも食欲だけは旺盛だし、男で大人の俺がひるむような厳しい状況を一緒にくぐり抜けてきたんだ。
人の死もこれだけ見てきていても、幸いなことにその胆力のおかげかトラウマとかにはなっていないみたいだし。
「シュシュ、お前……族長になってみるか?」
シュシュは聞かれて、
「わかんない……」
とだけ答える。
「うーん……」
俺は腕組みをして少し考え、
「いずれにせよ、俺たちはカルビナ・リコリを打倒しなきゃいけない……そのためにシュシュには旗印になってもらうしかない……」
と言った。
「カルビナ・リコリを倒して、その子をハイラ族の族長にすえようというわけかい? どうやって?」
タニヤ・アラタロが訊く。
「もちろん、タニヤ、それにはあなたの協力が必要だ」
俺は答える。
「まず第一に、今キッサとシュシュにはターセル帝国の宮廷法術士による拘束術式がかかっている。俺から三十マルト離れると、この子たちは死んでしまうんだ。その術式を解かないとなにも始まらない。第二に、今聞いた通り、キッサとシュシュはカルビナ・リコリの暗殺対象だ。この二つを解決しないと、キッサとシュシュの命の保証がない……」
タニヤは難しい顔をして、
「パンテリは若い頃の盟友だった。その娘だっていうそこの二人のためなら、ある程度の助力はいとわない。だけどさ、それならターセル帝国の元宮廷法術士長を奪還するだけでいいんじゃないかい? それで二人の拘束術式を外してもらってから、あんたらは帝国に戻ればいい」
「それだと、キッサとシュシュは永遠に故郷で暮らせなくなる。俺は二人には生まれ育った土地で過ごしてほしいんだ」
「自分で自分の奴隷を手放そうっていうのも、めずらしいね、あんた……」
タニヤは呆れたようにいった。
「だけど、それだけでわざわざカルビナ・リコリを倒すっていうのもねえ。リスクが高すぎるよ、私にとってもね」
「知っての通り、俺はターセル帝国の騎士だ。以前、上級貴族のみが参加できる貴族院会議にも参加させてもらったんだ。ヴェル・ア・レイラ・イアリー卿はもちろん、現皇帝陛下であるミーシア・イ・アクティアラ・ターセル陛下にも特別の恩寵を受けている、と思う……」
それはそのとおりで、なにしろ俺は皇帝陛下のお腹を蹴っ飛ばしたのに許されたほどの男だからな。
「それで……?」
タニヤは眼光するどく俺を見る。
「だから、シュシュがハイラ族の族長になれたら、ハイラ族とターセル帝国の橋渡しをできると思う。そもそも、シュシュ自身が皇帝陛下を『ちぃねえちゃん』呼ばわりできるほど、皇帝陛下と個人的なつながりがあるしな」
俺はタニヤ・アラタロの目をじっと見つめる。
この人物がどういう思想の持ち主か、まだわかってない。
族長に命を狙われるほどの影響力を持ち、数千人の傭兵を傘下に置く傭兵ギルドのギルドマスターなのだ。
一筋縄じゃいかないのは間違いないが……。
タニヤは落ち着いた口調でこう言う。
「パンテリ・リコリの娘のためにターセル帝国の元宮廷法術士長を助け出す、ってのはまあいいさね、協力してやるよ、パンテリとはいい友人だったんだ。カルビナ・リコリの打倒……ってのも、現時点ではやつは私の敵さ、かなりの危険は伴うが、私にとっては利害の一致するところでもある。考慮に値するかもしれない。でも、その上でそこのパンテリの娘を族長にするまでは協力はできないね」
「だったら、カルビナ・リコリ打倒のあとは、どうするつもりだ?」
俺の質問にタニヤは考え込む。その彼女に畳み掛けるように質問を重ねる。
「カルビナ・リコリのあとの族長は誰がなる? あんたか? ハイラ族はそれでまとまるか?」
「いや……まとまらないね……。ハイラ族の中じゃあ、族長の血筋は多分、あんたが思っている以上に重要視されてる……その血筋のものじゃあないと……おそらく、ハイラ族はひとつにまとまることなく、完全な内戦状態になるかもしれない……。でもね、私は傭兵ギルドのギルドマスターだ、混乱は望むところだよ、稼ぎ時だしね」
と、そこにキッサが口を出してきた。
「タニヤ様……あなたはハイラ族の伝統を重視する、勇気ある民族主義者だと母に聞いたことがあります……。ですが、いまもしハイラ族が混乱に陥ったとしたら、ローラ族もターセル帝国も指をくわえてそれを黙ってみているわけがありません。きっと、ローラ族の族長アビアンナ・ローラはハイラ族に対する影響力を高めようと介入してくるでしょうし、ターセル帝国の、特にハイラ族との国境紛争を抱えている領主――たとえば、ヴェル・ア・レイラ・イアリー――たちはここぞとばかりに攻め込んでくるでしょう。ハイラ族そのものの自治が失われてもなお、傭兵ギルドとしては金貨を稼ぐことに執心するのですか?」
「はは、言うねえ……さすがパンテリの娘だね」
「言わせていただきます。傭兵ギルドをたちあげたそもそもの理由……母に聞いたことがあります。ハイラ族の良き伝統を守るため、そして困窮した貧民たちを救うため、そのために傭兵ギルドをたちあげ、食うに困った小作民たちを雇い入れ、当時から乱れていた国内の治安を維持するために山賊や魔獣魔物退治の仕事を格安で請けた……それが傭兵ギルドの最初の姿だったと」
「…………」
タニヤ・アラタロは黙りこむ。
「組織が大きくなりすぎて、今やギルドの傭兵集団はタニヤ様の私兵と化して族長にまで命を狙われることになりましたが、タニヤ様、傭兵ギルドは本当に金貨を稼ぐためだけの組織に成り果てたのですか?」
そこに、俺もつけくわえる。
「現在の族長、カルビナ・リコリは暗殺や粛清を繰り返し、恐怖政治をひいていると聞いている。もはや、カルビナに対抗できるのはタニヤ・アラタロ、あなたしかいない。俺たちはこれから、このグラブ市を掌握したいと思っている。それ自体は、あなたの協力なしでも俺たち……いや、俺一人でできることだ」
「すごい自信だね」
「だが、グラブ市だけじゃない、ハイラ族全体を一つにまとめるには、もっと大きな勢力が必要だ。もしあなたが協力してくれたら、もちろんあなたはシュシュの側近としてハイラ族の中で大きな権力を持つことになる」
「そういうたぐいの権力には興味がないけどね」
「でも、あんたじゃなきゃ駄目なんだ」
俺は言う。
「俺はターセル帝国の騎士で、そんな俺がグラブ市を制圧したところで、それは外から見ればターセル帝国の勢力がグラブ市を制圧しただけの話になる、そんなんじゃ混乱はおさまらない。俺たちじゃなく、ハイラ族の実力者であるあんたが主導してそれを行えばハイラ族の自主性が担保される。その上でハイラ族の正統な族長の血筋であるシュシュが族長につけば……。正統なるハイラ族の国家が成立することになる、俺はもちろん名前を出さないさ、この族長の簒奪劇に外部の力の協力があったとするなら、ハイラ族内での反発は必至だからな」
俺はいったん息をつき、ふたたびタニヤの赤い瞳をじっと見つめた。
そして、
「俺は、飽き飽きしている」
語調を強めて俺は言った。
「はあ? なにが」
「戦争にだ。男が生まれない世界、あちらこちらで飢えた民たちが溢れているっていうのに、どこもかしこも戦争だらけだ、それも人間同士で。戦うべき相手は魔物をして人間を襲わせている、魔王軍じゃないのか? さきにもいったが、俺はターセル帝国に太いパイプをもっている、皇帝陛下をはじめとして、現在帝国の軍事力を担っている将軍ラータ閣下、皇帝陛下の後ろ盾であるヴェル・ア・レイラ・イアリー卿。シュシュがハイラ族の族長となれたならば、即時に帝国との戦争状態は解消させることを確約するよ。今民を困窮させているのは戦争だ。そして、魔王軍の魔物たちだ。俺たちが権力を握り、ターセル帝国との同盟をとりまとめ、ともに魔王軍と戦おう。戦う相手を間違っちゃいけない」
「ふむ……。ターセル帝国との同盟……たしかに、そんなことができるならば、戦争に苦しむ民たちを救うことができるかもしれない、でもそんなこと、可能なのかい? もう百年以上に渡ってハイラ族とターセル帝国は敵対してきているんだよ」
「可能にさせるさ。もちろん、お互いにある程度の妥協は必要になるけどな。たとえば、ハイラ族は現在のターセル帝国の領土を認める。ただし、ターセル帝国はハイラ族の遊牧民たちが税を払うことを条件にターセル帝国内での遊牧をすることを認める、とかな。その上で、ターセル帝国とハイラ族が共同で魔王軍の領地に攻め込み、その領土を切り分ける……」
「雲をつかむような話だねえ」
「俺がそれをまとめてみせるさ」
なにしろ俺は皇帝陛下やヴェルのおっぱいを揉んだ男だからな!
「ねえ、ママ……」
黙って聞いていたタニヤの娘、ミエリッキが、ぼそっと言った。
「私も、もう人間同士での戦争はやめるべきだと思う……。エージと一緒にダンジョンに潜った時、死霊使いと戦ったわ。たくさんの人達の死体が操られて、私たちはその死体を蹴散らした。ちっちゃな子供の死体を含めてね。みんな魔物に殺された人たちよ。その時ね、私、もういやだなあって思ったのよ」
「なにをだい?」
「だから、人間同士で殺し合うのを。私達の本当の敵は魔王軍じゃないかしら。今はチャンスだと思うの。普通ならターセル帝国との同盟だなんて、夢物語よ、いままで私たちは殺し合ってきたんだし。でも、ほんとうにエージがそれをとりまとめられるっていうなら、私はそれに賭けてみるのもいいと思うわ。私達で歴史を変えられるかもしれない」
「歴史を変える……」
ミエリッキの言葉にタニヤはまたしばらく考え込む。
と。
「いいよ」
突然、シュシュがそう言った。
「私、やる。族長さんになる。そうすれば、みんな仲良くなれるんだよね? おにいちゃんがそういったもんね? だったら、私が族長さんになるよ。おねえちゃんもそれがいいと思う?」
「ええ、私もそれがいいと思うわ」
まだ九歳のこどもであるはずのシュシュは、それでもその瞳に強い意志の輝きを溢れさせて、
「私、やるよ! おばちゃん、私の力になって!」
おばちゃんと呼ばれたタニヤはシュシュの顔をじっと見つめ、
「……パンテリに、よく似ているねえ……パンテリか、いろいろ思い出すよ。その顔、ほんとにそっくりだ、やっぱり、あんたはパンテリの娘だね……。わかった。私は……いや、傭兵ギルドは、打倒カルビナ・リコリ、そしてパンテリの娘である、シュシュ……とかいったね、シュシュのために力を貸そう」
と言った。
「ありがとう」
俺は素直に頭をさげる。
そんな俺に、タニヤは、
「あんたのためじゃないさ、若いころ行動をともにしたパンテリのために、パンテリの娘に協力するだけの話さ。……それじゃ、あんたたちに会わせたい人物がいる」
といった。
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