55 狂乱

 サバサバした、『男らしい』美人女騎士、ヴェル・ア・レイラ・イアリー。


 彼女に突然、なんの脈絡もなくキスされたのだ、俺は驚いて腰が抜けるかと思った。



「な、なんだよ突然!?」


「うん、ごめん、これが、副作用なの」


「副作用?」



 シュシュが、『頭がおかしくなる』といってた、アレか。



「それってどういう……」



 もっと詳しく聞こうとする俺に、



「ごめん、もいかっい」



 ヴェルは俺に抱きついてくるようにしてまた唇をあわせてくる。


 うわあ、なんだこれ!?


 ハグハグと夢中になって俺の唇を噛むヴェル。


 俺の座っている座席の背もたれ、それを女騎士ががっちり掴み、自分の身体と背もたれで俺をサンドイッチにして俺を逃げられないようにしている。


 動けない。


 って、俺、今、上半身裸なんですけど。


 ……下半身も裸じゃなくて本当に良かった。やばくなっちゃってるもん。



「エージ様、すみません。私からご説明します。そのままでお聞きください」



 キッサがそう言う。


 ……そのままって、このままっ!?


 そんなキャラだとも思えないヴェルが、まさに頭がおかしくなったかのように俺の唇を味わっている、この体勢でか!?



「はい。すみません、そろそろ騎士様も限界だったようです。実は……」



 キッサの説明によると、こうだ。


 まず、大前提として、マナの受け渡しをするための移転法は、それがパルピオンテ移転法であれ、粘膜直接接触法であれ、お互いがその意志をもって行わなければマナの受け渡しの効力が発生しない。


 リューシアは固有の法術によって無理矢理他人から法力やマナを吸収していたが、それは彼女の能力だからこそできたことであって、普通は無理なことなのだそうだ。


 さて、いくつかある移転法の中でも、パルピオンテ移転法は準備が面倒で手順も複雑、時間もかかるかわりに、重大な副作用というものはほぼない。


 問題はもっとも原始的な方法、つまり粘膜直接接触法だ。


 マナというのはこの世界の空気に微弱に含まれるもので、それは呼吸を通じて体内に蓄積される。


 それは以前も聞いた。


 ところが、マナというものは、体内に蓄積される際、個人個人の持つ特性によって若干変質するものだという。


 本人がそのまま法術としてそのマナを使う分には何の問題もないが、粘膜直接接触法によって他人にこれを渡しても、変質したマナはそのままでは他人が使用することはできないどころか、有害ですらあるらしい。


 ちなみにキッサが俺の耳に甘噛みしたり、シュシュが俺の指をしゃぶったりした身体接触法では、マナの受け渡しはほとんど行われず、神の加護の力や個別的な法術を、精度や能力はかなり減衰するものの、あくまでも一時的に渡すもので、それについては害はない、そうだ。



「もともとのシュシュの能力も低いものなのに、それをさらに減衰させた治療の力で、あれほどの効力を発揮できるとは思いませんでした。国家の秘宝マゼグロンクリスタル、それに異世界からの戦士、エージ様の才能が合わさった奇跡のようなものだと思います」



 とキッサはいう。



「じゃあ……」



 少し質問しようとするが、



「あむあむあむ」



 ヴェルに唇を食べられて喋ることができない。


 もう、なんだ、つい昨日までまともに女の子と付き合ったこともない俺が、キス慣れしてしまいそうだ。


 さて、マナの受け渡しの話だ。


 他人の体内で変質したマナは、別の人には有害。


 そこで、粘膜直接接触法を行う際には人間の防衛本能として、マナに対してある操作が行われる、という。


 それがマナの共有だ。


 二人が粘膜を接触させている間――つまり、俺がキッサや夜伽三十五番やミーシア、それにヴェルとやったように、粘膜と粘膜、要は舌を擦りあわせている間、その部分で二人のマナをいったん共有し、そのマナが二人どちらにとっても害にならないよう、再び変質させるのだ、という。


 それからマナの受け渡しが行われる。


 そうか、だからあんなに必死こいて舌を絡めなきゃいけなかったのか。


 そして、副作用。


 マナの共有を行った相手とは、限定的な部分で精神共有も行われる。マナを制御する精神の一部分が共有されるのだ。


 一つになった精神、でも身体はふたつなわけで、粘膜接触をやめればすぐに引き裂かれる――



「それは、誰にとっても苦痛な耐えがたい出来事なのです。ですから、精神の作用として、二つに分かれた身体を再び一つにしようとします。ありていにいえば、その相手との粘膜接触を欲するようになるのです。もちろんそこでまたマナを移転すれば危険ですが、ただ粘膜を接触させるだけであれば問題ありません。おおよそ三十六時間程度で禁断症状はおさまるといいます。……ただ、その禁断症状は耐えがたく、この大陸に存在するもっとも強い麻薬の十倍の精神症状と身体症状を引き起こすのです。その上、その三十六時間のあいだ、マナのコントロールがうまくいかずに法術を使うこともできなくなります」



 麻薬の十倍。


 なるほど、『頭がおかしくなる』という表現もうなずける。



「――過去に、戦闘中、法力回復のためにこの方法を使った者たちが何人もいたそうですが、禁断症状が始まると法術は使えないわ、戦闘を放り出して粘膜接触するわでほとんどが討ち取られてます。戦闘中にこの方法を使うのは、愚か者だということになってます」



 まあ、敵を前にしてキスをしまくるとか、確かにアホだ。


 というか、今現在、冷静に説明を続けるキッサの前で、狂ったようにキスしてる俺たちもアホにしか見えないと思う。



「リューシアみたいな特別な法術をもっていれば別でしょうけどね。彼女は他人からマナを得るあの法術で、将軍にまで上り詰めたわけです。互いに好意を持っている者同士ですと、今のエージ様たちみたいになるわけですが、そうでないと、好まない者との粘膜接触を欲するその状態に脳が混乱し、トラウマになるほどの精神的ダメージを受けることになります。この大陸に伝わる物語でも、それで毒をあおる姫の話はたくさんあるわけで――エージ様、あのときは時間がなくてここまで説明できなくてすみませんでした」



 言うまでもないが、この長い説明の間、ヴェルはずっと俺の唇に吸いついていた。


 今は自分の唇で俺の唇を挟み込み、もにゅもにゅとゆっくりやさしく噛んでいる。



「んむ、はむ、はむ、ふにゅ、ふむ、んむ、……ぷはっ、……はふう……。やっと落ち着いたわ……」



 俺から身体を離し、満足気にペロリと唇を舐めるヴェル。



「騎士たるもの、禁断症状に負けて部下に接吻したくなるなんて、屈辱……」


「……えーと、俺は嬉しいけど」


「……あ、そう……」



 いやほら、好みのブロンド美人とキスして嬉しくない男はこの世に存在しないと思うし。でもヴェルが俺に粘膜接触してもよいほどの好意を抱いているかどうかはわからん。


 俺とキスしたのを苦にして自殺されたら、俺のほうだって死にたくなるぞ。



「……ヴェルは毒をあおったり、しないよな?」


「……し、しないわよ? せっかくみんなに助けてもらったのに、するわけないじゃない、あたしは姫じゃなくて騎士だし」


「トラウマとか……」



 む、と口をへの字にして、ヴェルは言う。



「あんた、わりと自分に自信を持ってないのね……。こんなのが初めての接吻相手だなんて、あたしの名折れよ。もっと自信持ちなさい。別に、嫌じゃないから」


「え?」


「……嫌じゃないって言ったのよ」



 まじすか。こんな俺相手なのに?



「じゃ、じゃあ、俺に好意を……」


「馬鹿、そこまで調子に……ま、まあ、命を助けてもらったわけだし? 戦闘中の顔はまあ、そこそこいい感じだったかも……」


「そ、そうか……」



 思わず、顔がにやける。


 いやあ、そっか、俺、もしかしたらかっこよかったかな?



「……でも今のそのだらしない顔は嫌いだからね」



 金色の髪をなびかせて、ヴェルはぷいと俺に背中を見せる。


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