40 ニカリュウの聖石

「くそがっ!」



 ニカリュウの聖石を失ったからといって、俺の法力そのものが消え去ったわけではないはずだ。


 精神を集中させ、感情を爆発させる、というか俺の感情はさっきから爆発しっぱなしだ。


 だけど俺の右手からは光の束どころか、ひょろひょろとした糸のようなものしか出ない。



「あれ? タナカ・エージ、君、もしかして聖石をなくしちゃったかなあ? 駄目だよ、自分の能力に応じた聖石は決して手放さないようにしておかなきゃ。こういうふうに」



 リューシアが、ぺろっと舌を出した。


 その舌には紫色の石が埋め込まれている。



「ま、そこの奴隷二人は殺すよ。タナカ・エージ、君は毒でも送り込んで動けなくしてあげる」



 今しがたヴェルの身体を貫いたサソリの尾をうねうね動かしながら、リューシアは俺たちのほんの数メートル先まで近づいてくる。



「グギャァ!」



 上空で飛竜が叫ぶ。



 ――よくも我の同胞を……。許せぬ……。



 飛竜の思考が流れこんでくる。



「あーあ、あの飛竜、すごく怒っているみたいだね。残念だけど、ヴェルの身体は飛竜に差し出さなきゃ収まらないかな。耳だけもらっていくことにするよ。できれば首も欲しいなあ、寝室に飾りたい」



 リューシアはそう言って、つまらなそうな目で俺を見る。



「うーん、寝室の飾りとしては君はやっぱりちょっと美しくないね。でも、記念品みたいなもんだから。じゃ、君はこれから生ける屍になる、覚悟はいいね?」



 サソリの尾が、空気を引き裂きながら俺に向かってきた。


 あ、死ぬ。


 そう思った。


 目の端からぽろぽろ涙を流して泣いているシュシュ、その妹を抱きしめてリューシアを睨みつけるキッサ。


 すべてがスローモーションに見えた。


 人間の脳みそというのは、死の直前、ブーストがかかって高速処理を始めるという。 生き残るために。


 限界を越えて脳内の電気信号やシナプス間の神経伝達物質の行き来が活性化され、高速の思考が可能になり、その結果、本人にとっては目に映るものすべてがスローモーションになるのだ、という説を読んだことがある。


 今の俺がその状態だった。


 リューシアの尾が俺にむかってゆっくりとコマ送りで向かってくる。


 飛竜はヴェルを狙って一直線に急降下を始めている。


 ああくそ、脳が高速化したからといって何かいいアイディアが思いつくわけでもない。


 サソリの尾の先は鋭く尖り、その先からはなにか液体がにじみ出てきているのまではっきり見える。


 あれで刺されたらもう終わりだ。


 俺はこのサイコパスの寝室で、心臓が動いているだけのオブジェとして飾られることになる。


 ヴェルもキッサもシュシュも、もしかしたらミーシアまでも殺されるだろう。


 守ると決めた女の子たちを守れもせずに、俺という意識の存在はなくなる。


 身体だけが残されて、趣味の悪い人形としてこの世界に在り続けるのだ。


 急に現実感がなくなり――


 気がついたら、俺は小学校の校庭にいた。


 目の前には小学生の時好きだったアカリちゃんが小学生のときそのままで頬を染めて立っていた。



「あの……田中くん……」



 上目遣いで照れくさそうにいうアカリちゃん。その手には綺麗にラッピングされた小さな箱。


 言われてる俺も、小学生の身体。


 ああ、これが走馬灯ってやつか?


 人間が死ぬ前に見るっていうあれか。


 死の直前、過去の経験から生き残るための情報を引き出すために脳が見せるという幻影。


 アカリちゃんが箱を俺に差し出す。


 俺は知っている、過去に経験したことだからだ、今日はバレンタインデーで、この箱の中にはアカリちゃん手作りのチョコレートが入っているのだ。


 アカリちゃんは顔を真っ赤にしながら、



「あの、田中くん、これをね……鈴木くんに渡してくれる?」



 そういってチョコの箱を俺にわたし、俺が頷くとアカリちゃんはキャーとかいいながらどこかに走り去った。


 あーそうそう、この頃から俺の人生ってこういうのばっかりだったんだよね。


 そこから場面が切り替わり、今度は中学。


 女の子が罰ゲームで俺に告白してきて――


 いやいやこの走馬灯、なんか意味あるんか、ただの嫌がらせじゃねーか。


 高校生、大学、社会人。


 カシャカシャとめまぐるしく場面はかわり、どれもこれもろくでもない思い出ばかり。



「田中くん、あのね、私のお腹に赤ちゃんがいるの。……相手? ほら、あの……佐藤さん」



 好きだった事務員の女の子がやっぱり照れくさそうにそう言う。


 佐藤っていつも俺をいびっているクズみたいな先輩じゃねーか。


 っていうかこんな走馬灯超いらねえ。


 過去の嫌だった記憶ばかり想起させられて、軽く拷問ですらある。


 この走馬灯の中に俺たちが助かるためのヒントなんてあるわけねえ!


 ほらほら、走馬灯ももう終わりだ。


 場面はつい最近、というか俺にとっては昨日のことだ。


 ビジネス街を飛び込み訪問してまわっている俺。


 ああ、このあと、コンビニで缶コーヒーを買って出てきたら駐車場で車に轢かれて俺は死ぬわけだ。


 そしてこの走馬灯も終わり、現実に戻ったら今度はリューシアのサソリの尾で貫かれてまた死ぬ。


 もしも俺にこんな運命を与えた神様みたいな奴がいるとしたら、どう考えても性格が悪いと思う。


 いくらなんでも、最後にこうして人生の嫌だった場面ダイジェストを見せなくてもいいだろっつーの!



「ほら、茶飲め」



 走馬灯の最後の場面は、俺が死んだあの日、死ぬ直前に訪問した会社。


 社長も専務もいなくて、もう隠居して名ばかり会長のばあちゃんが留守番していた。


 代表権もない隠居ばあさんと話してもらちがあかないのですぐに帰りたかったのに、話し相手がいなくて暇だったのか、俺はむりやり応接室に通されてしまったのだ。



「先々代は戦前から工場やってての、その頃は軍需工場じゃった。先々代がなくなったあと、オイもじいちゃんと一緒になって一生懸命働いてな……」



 そして始まる終わりのない昔話。


 勘弁してくれ、と思った。


 そこはメッキ加工会社で、ばあちゃんの話は戦争の苦労話から金属の小ネタにいたるまで、さまざまなとこにあちこち飛びながら三時間続いた。


 三時間!


 どう考えても課長に怒られる無駄な時間だ。


 でもどうせ今日は他に行くとこもないし、ここで半分さぼりながらお茶でも飲もうとか思っていたのだった。



「それでの、昔は銃弾の薬莢とか武器に使う金属だったからの、重要だったんじゃ。まあ今も重要な金属じゃが。でも日本じゃ採算とれるほどの鉱山はなくてのう」



 ああどうでもいい。


 なんでこんな記憶がまざまざと蘇るのだろう。


 現実の俺はまさに死ぬ直前だっていうのに。



「それでの、日本は輸入したそれを国家備蓄として貯めこんでおったんじゃ」


「へー」



 気のない返事をする俺。



「カナダにの、サドベリーっちゅう昔でっかい隕石が落ちた場所があって、そこが最大の産地かのう。隕石が落ちた衝撃でできたマグマが分化したとか、隕石にその鉱石が含まれていたとかの説があるがのう。昔は世界生産の七割がその隕石跡の鉱山から採れたんじゃ」



 ん?


 待て待て。


 隕石?


 何かが引っかかる。


 隕石……。


 ヴェルの言葉が頭の中で響いた。


 ニカリュウの聖石を俺に渡した時に、ヴェルが言っていたこと。


『――大陸の西の一番端っこに昔隕石が落ちた大穴があってさ。そこでしか採掘できないんだけど――』



 そしてピーナッツを半分にしてそれをさらに四分の一にしたくらいの、ほんとに豆粒以下の大きさの聖石を俺に渡したのだった。


 隕石が落ちたクレーターで採掘できる金属……。


 ニカリュウの聖石……?


 それが地球にはない未知の金属であるとはいえない。


 むしろ地球ではありふれた金属である可能性すらある。


 思いだせ、思いだせ!


 その時の俺は、何の気もなしにばあちゃん会長に尋ねたのだ。



「それで、国家備蓄というとどっか大きな倉庫でも作って備蓄してたんですかね?」



 なんて答えた、ばあちゃんはなんて答えた!?



「ほっほ、面白い方法をとっておった。倉庫で備蓄しておったんじゃない。国民に広く行き渡らせておいたんじゃ。ほれ、保険は入ってやれんが、婆の話を聞いてくれた駄賃じゃ、これを記念にやろう」



 ばあちゃんが何か小さなものを俺に差し出した。


 俺はそれを受け取る。



「ま、古物商にでも行けば二百円くらいで買えるもんじゃがの」



 うわっ、なんだこれ、まじで駄賃じゃねーか!



「まあこの金属は今も広く使われておるし、ほれ、おめさんも持ってるはずじゃ……」



 サソリの尾が目の前に迫ってきていた。


 どうやらこれで走馬灯は終わりらしい。


 視界の端に、俺の営業カバンをかかえて怯えているシュシュが見えた。


 そのシュシュを守るかのように抱いているキッサ。



「ぐおおおおおぉっ!」



 俺はすんでのところで顔をそむけ、数ミリの差でサソリの尾をかわす。



「エージ様……」


「お兄ちゃあん……」



 一度は躱したとはいえ、サソリの尾は再び俺に向かってくる。


 俺はシュシュの持っていた営業カバンを焦る手で開ける。



『カナダの隕石孔でとれる――』



 ばあちゃん会長の声が脳内で響く。


 俺は安物の財布を取り出す。



『ニッケルはの――』



 財布の小銭入れを開ける。



『昔は硬貨として国内に流通させとったんじゃ――』



 財布を逆さにする。


 手のひらに落ちてくる小銭。



『それは戦前の十銭ニッケル硬貨じゃ。今の五十円や一〇〇円や五〇〇円硬貨にも――』



 俺は現金派だった。


 コンビニでは一二三円の缶コーヒーを千円札と二三円出して買い、一枚の五〇〇円硬貨と四枚の一〇〇円硬貨をお釣りでもらった。


 そして、ばあちゃん会長にもらった十銭ニッケル硬貨。その他に幾らかの小銭。



『――ニッケルは含まれておるんじゃ。まあ二十五%くらいじゃが。その十銭は一〇〇%ニッケルでできておる』



 ニッケル――ニカリュウの聖石でできた硬貨が、今俺の手の中にあった。


 握りしめる。


 総額九百八十二円と十銭。


 それが、第十八代皇帝ミーシア・イ・アクティアラ・ターセルを頂点とするターセル帝国の興廃を決する金額だった。


 小銭を握りしめた右腕全体が痺れてくる。


 呼吸を通じて俺の身体に蓄積された、この世界の空気中に存在するという法力の源泉――マナが、俺の右手を中心にどんどんと増幅されていくのを感じる。


 心臓が熱くなる。


 血液が熱くなる。


 筋肉が熱くなる。


 俺の魂が熱くなる。


 馬鹿にされ続けた人生。


 女の子を守るどころか守られてしまっている現状。


 俺を守っていた女の子がいまや死の際にいること。


 そんなこんなが行き場のない怒りとなって俺の胸の中で渦巻く。


 あとはそれを、解放するだけだ。


 そして。


 俺は感情を。


 核分裂反応のように。


 爆発させた。



「ふっざけんなあああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!」



 それは、俺の駄目駄目な人生に向けての怒りの叫びだった。


 




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