32 サソリの尾
不快な金属音が響いた。
振り向くと、ヴェルが放った火球を、リューシアが弾き飛ばしたのが見えた。
火球はリューシアの斜め後ろへと吹っ飛んでいき、そこで爆発を起こす。
爆風が俺のところまで届く。
伝わってくる熱で俺の髪の毛が焦げるかと思ったほどだ。
あの火球を弾き飛ばした?
手や道具を使って弾き飛ばしたのではない。
尻尾だ。
リューシアは、尻尾を使って火球を弾いたのだ。
そう、彼女の臀部には、巨大な尻尾が生えていた。
「なんだよ、あれ……」
尻尾といっても獣のそれじゃない。
なんだろう、何に例えたらいいんだ?
俺が最初に思い浮かべたのは、毒サソリの尾だ。
節で分かれ、太く、長い。
その先端にはサソリと同じように毒針のようなものが見える。
禍々しい黒色の尻尾がウネウネとうねっている。
「エージ、あんたなにやってんのよ。あんたが誰かと話してるってキッサがいうから見てみたら……。なんでこいつがここにいるの?」
「法術を使ってヴェルを追尾したとか言ってたぞ……。くそ、なんだあれ、尻尾か? あれも法術か?」
「気をつけなさいよ。ああ見えてあの尻尾、射程長いからね。二十マルトは余裕で届くわよ」
「ああ、分かった……キッサたちは!?」
「家の中。あんたもそこで待機して、ミー……あの子を守ってて」
「わかった」
俺はヴェルをその場に残し、ヘルッタの家の中へ入る。
いや正直、戦闘能力でいえば、俺よりヴェルの方が明らかに上だし、俺がここにいると足手まといになりかねない。
家の中では、ミーシアとキッサ、それにシュシュが怯えた表情で窓から外を覗いている。
ヘルッタは、
「私の力では気休めにしかなりませんが……」
といって、その三人のそばで聖石を握り、なにか法術を展開している。
三人を半径三メートルほどの薄い膜が覆っていた。
法術障壁かなにかだろう。
「すみません……。帝都からの避難民がたくさんいて、そこに紛れ込んでいたようです。気が付きませんでした」
キッサが俺に謝る。
いくら遠視や透視の能力を持っていても、そもそもキッサはリューシアの顔を知らないはずだし、その上リューシアは地元の子どもに成りすましていたのだから分かるはずがない。
仕方のないことだと思った。
「いや、いい、俺なんか直に話してたのに全然わからんかったからな。他にはいないか? あいつ一人だけか?」
「他に兵などはいないようです。ただ、壁の向こう側の馬車に奴隷が十人ほど」
「奴隷?」
「はい、最初は奴隷を連れて帝都から逃げる避難民だと思っていたんです。騎士様の話によると、リューシアという将軍、あの奴隷たちが一番やっかいだと」
「どういうことだ?」
「はい、奴隷たちは手かせ足かせ、それに目隠しに猿轡で、完全に拘束されてます。それを荷馬車で荷物のように運んできてるのです。それで、リューシアは戦闘で消耗した法力を奴隷たちで補充しながら戦うそうです」
「……補充?」
リューシアの、あの無機質な表情を思いだす。
嫌な予感しかしない。
窓の外では、ヴェルとリューシアが激しい戦闘をしている。
ヴェルが剣をふるうと、剣が一瞬まばゆく光り、そして稲妻のような光線がリューシアに向かって一直線に走る。
リューシアはサソリの尾を信じられない程のスピードで動かし、自分に襲いかかる稲妻を尾でガードする。
尾の勢いは稲妻を防いだだけでは止まらず、そのままヴェルに向かって伸びていく。
ヴェルは剣で尾の先端の針を振り払った。
目が追いつかないほどのスピードで攻防が繰り広げられている。
「私を狙ってきたのでしょうか……」
ミーシアが不安そうな顔で言う。
「いや、違うようです。陛下がここにいることをリューシアは知らない様子でした。ただヴェルだけを狙ってきたのです。どうしますか、リューシアをヴェルにまかせて、我々は脱出した方が、ヴェルも思い切り戦えるはずですが」
俺はおかっぱ頭のロリ女帝、ミーシアにそう言った。
そう、そのはずだ。
ヴェルは自分の命よりもミーシアを守ろうとする。
そのミーシアがこんな近くにいては、ヴェルにとってハンデとなりうる。
「でも……ヴェルが戦っているのに、私だけ……」
「皇帝陛下の仕事は、戦うことではありません。むしろご自分の臣下の軍人が戦いを始めたのなら、その家臣が勝てる可能性を最大限にあげることこそが、トップにたつ者の責務です。陛下がここにいては、ヴェルにとって不利にしかなりません。陛下が安全なところに逃げられれば、その分ヴェルも戦いやすくなるはずです」
だいたい、悪者っていうのは、正義の味方の家族とか友達を狙うのが定石ってもんだしな。
このロリ女帝が人質に取られるとか、そんなことになったりしたら、それが一番最悪だ。
ミーシアのためならヴェルはきっと自分の命と引き換えにミーシアの命乞いをするだろう。
女の子に戦闘を任せて逃げる算段をするなんて、男としてめちゃくちゃ恥ずかしいというか、情けないというか、最低だとは思うけど、そんな俺やミーシアの自尊心を守るためにヴェルを危険に晒しては本末転倒もいいところだ。
ところが、そんな俺の考えは、すぐに
考えてみれば、軍の将軍までやっている人間が、たったひとりでヴェルのような手練を襲うわけがなかったのだ。
俺の鼓膜を破ろうかというほど大きな声でキッサが叫んだ。
「上空距離二カルマルト! 飛竜! 二匹! こっちに飛んできます!」
「な……まじか?」
「……ゾルンバード二十、ステンベルギ十! これは……間違いなく、ここを目指してきてます!」
青ざめた表情でいうキッサ。
「こわいよぉ……」
妹の幼女奴隷シュシュは姉にすがりつき、もうほとんど泣き始めている。
ミーシアも凍りついた表情。
くそ、千人の討伐隊で、半数以上の死者を出してやっと一匹倒せたという飛竜が、二匹?
さらにあの始祖鳥の化け物みたいな魔獣まで……。
俺は自分の胸元を見た。
ペンダントの先についた、ニカリュウの聖石の小さな粒が、鈍い光りを放って揺れている。
俺はそれを握りしめ、大きく息を吸い、吐いた。
リューシアの目的はヴェルとの戦闘。
俺たちの敗北条件はただひとつ、ミーシアの命だ。
仕方がない、俺だって男だ。
「キッサ、俺は戦う。サポート頼む。陛下は、とにかく隠れていてください。ヘルッタさん、この方をなるべく安全なところにお願いします。むしろ、俺達がおとりになりますから、機会があったら逃げ出してください。シュシュ、すまん、どっちにしろ俺が死んだらシュシュも……!」
ただやられはしない。
戦うしかない。
俺はただの女の子にすぎないシュシュの顔を見る。
まだ九歳なのだ。
キッサはわかってくれる気がするが、妹のシュシュを巻き込むのは……。
でも、首輪の拘束術式のせいで、俺が死ぬか、または俺から三十メートル離れたら、キッサとシュシュの首輪が締まり、この奴隷姉妹の命は奪われてしまう。
空飛ぶ魔物相手に逃げるという手は使えないだろう。
だったらやることは一つだけだ。
「キッサ、やるぞ、戦うぞ、勝つぞ、絶対に死ぬ気はないからな!」
「……はい!」
厳しい表情で頷くキッサ、かわいそうに怯えてしまって震えるシュシュ。
――そして地獄のような戦闘が、今から始まることになったのだった。
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