12 女帝陛下は椅子になる
こそっと滑りこむように部屋に入ってきたのは、二つの人影だった。
部屋の中は薄暗い。
二人は俺がバスルームの入り口にいることには気づいていないようだ。
人影のうちの一つは俺も知っている奴――ヴェルだった。
王宮で会ったときと違って、鎧などは身につけていない。
そのかわり、赤いドレスを着ている。
こざっぱりとした派手すぎない程度のドレスだ。
ちょうど壁際のランプの前に歩いてきて、ヴェルの顔の顔が灯りに照らされた。
ブロンドの髪をアップにしていて、唇には赤いルージュを控えめにひいている。
正直、ドキッとするほどの美人だった。
整った顔立ちと白い肌、すっきりとした眉。
碧眼にランプの灯りが反射している。
晩餐会というのだから酒でも飲んできたのだろう、頬がすこし赤らんでそれがまた色っぽい。
手のひらでパタパタとほっぺたを仰ぎ、酔いのせいか弛緩した表情で「はふう」とため息をつくそのしぐさも魅力的に見えた。
ふーん、あいつ、鎧姿のときよりも大人っぽく……というか、女っぽく見えるなあ。
王の間で処刑どうのとか言ってた時には表情が険しくてどこか怖さがあったが、こうしていればめっちゃ清楚な美人に見える。
少女から大人になりかけている、女性として一番おいしい時期かもしれない。
いやまあおいしいも何も、俺は女の味なんてこれっぽっちもしらねえんだけどな!
悪かったな!
くそう!
それはいいとして、しかし俺はどうしよう。
今、タオル一枚で下半身を隠しているだけの裸なのだ。
着ていたトランクスやスラックスは部屋の中に脱ぎ捨ててきてしまっている。
部屋が暗いせいで、ヴェルは俺の脱ぎ捨てたものや、それに隅っこで毛布にくるまって重なっている奴隷姉妹には気づいていないっぽい。
バスタオル一枚腰にまいた姿で今のドレスアップしたヴェルの前に出て行くのは、なんというか、こう、恥ずかしい。
内気なチェリーの俺にはできそうにない。
しょうがないのでしばらく様子を窺うことにする。
すると、ヴェルはもうひとつの人影に手招きをした。
「ほら、こっちこっち」
ヴェルの声に従って部屋の中に入ってきたそいつは、ヴェルよりも小柄で、頭からローブのようなものをかぶっている。
暗い色のローブ、ゲームとかで老人魔法使いが着ているようなあれだ。
「ほら、もう大丈夫だからそんなの脱いじゃえば?」
ヴェルがそういうと、その小柄な人物はローブをポイ、と床に脱ぎ捨てた。
そのローブは俺が脱いだトランクスやらスラックスの上にかぶさり、隠してしまう。
そして。
俺は思わず、『眩しっ!』と叫んでしまうところだった。
その小柄な人物はローブの下に、ヴェルどころではない超豪華なドレスを着ていたからだ。
シルバーを基調とした布地に大小さまざまな宝石が飾られ、弱いランプの光を強く反射して輝いている。
その反射光は彼女が身体を動かすたびにキラキラと煌めいて、目が眩んでしまうほどだ。
子どもから少女になりかけの、女性として一番可憐な時期だろう。
小さな身体、腕も足もほっそりしていて、くびれかけの腰つき。
ささやかな胸の膨らみがドレス越しにほんのわずかながらも確認できる。
その人物は乱れた髪をなおすように頭をぶるぶると振る。
二つの大きな耳飾りがそれに合わせて揺れる。
おかっぱにした黒髪の上には高価そうなティアラ。
彼女はそのティアラを取り外して乱暴にローブの上に放り投げた。
そしてヴェルと目を合わせると、
「うふふふ」
と肩をすくめて、いたずらっぽく笑った。
もちろん俺はこの少女を知っている。
こいつ……。
ロリ女帝じゃねえか!
なんでここに!?
バスタオル一枚のまま、俺はあっけにとられて二人を見る。
光の加減で、向こうからこちらは見えてないようだ。
「やったね、脱出せいこー!」
ヴェルがうきうきした声でそういうと、ロリ女帝も、
「えへへ、うまく騙せたね!」
と子供っぽく笑った。
王の間で見せていた表情と全然違う。
あのときはどこか演技めいた冷徹さも感じられたが、今ここで笑う彼女は年齢相応のリラックスした笑顔だ。
「いやあ、エリンの奴、陛下にべったりでさー、あたし全然近づけなかったよ。やっとあの堅苦しいパーティから抜け出せた」
ヴェルがニコニコとロリ女帝にそう言うと、
「えへ、ドキドキしちゃったよね。体調悪いからって嘘ついて退出しちゃったけど、ばれてないかなあ」
「エリンにばれたらあたしも怒られるんだろうなー……。ふふ」
「だってエリンは今私の親代わりだもん、仕方がないよ。国内のめんどくさいこと全部おしつけちゃってるし、私も頭があがんないよ」
「あいつ、怖いしなー。あたしが小さい頃から口やかましくてさ。陛下と遊ぶたびにあたしエリンに怒られてたわ」
「でもエリンのおかげで皇帝やれてるようなもんだよ私」
キャピキャピと話す二人のようすは、日本のマクドナルドで女子高生がおしゃべりしているのとそんなに雰囲気が変わらない。
ヴェルはキョロキョロと室内を見回し、
「あれ、エージの奴いないなあ。あーあ、こんなに食い散らかしちゃって。あ! お酒まで頼んじゃってる、あいつ、図々しいな」
いやいや。
図々しかったのは俺じゃなくて俺の奴隷だけどな。
ヴェルはポリポリと頭をかいて、
「って、これタースラットビーナじゃない、私がこんな庶民の酒飲むなんて思われたらどうすんのよ。うーん、エージ、従者の自分の部屋で寝ているのかな。もういい時間だしね」
「ざーんねん! もうちょっと話したかったのに。私、エージの身分の人と公式な場で会えないんだもん。皇帝とか、やりたいこと何一つできなくてもうやだ。むいてないよ」
「陛下はしっかり国政をされてますよ、国の東西で戦争しているこの国難の時期に、きちんと人民のために政治をされています。遠く西の領地でいつも陛下のことを思っていたんですよ。さ、陛下、ここにお座りになってください」
ヴェルに言われて、ロリ女帝はソファに腰掛ける。
「ヴェル、その言葉遣いとか陛下とかやめてよ。ふたりきりのときは昔みたいに呼んで」
「はいはい、ミーシア。ミーシアちゃんは私の大好きな妹分だもんね」
「えへへぇ」
嬉しそうに笑うロリ女帝。
その隣にヴェルも座り、ロリ女帝のおかっぱ頭を親しげにぽんぽんと軽く叩いた。
ロリ女帝は顔を赤らめてヴェルの顔を見上げ、照れ笑いをしている。
女騎士ヴェルの碧い瞳を、ロリ女帝の大きな黒い瞳がしっかりととらえている。
女帝陛下の表情は、信頼しきっている親友を見る少女のそれだった。
「陛下……じゃなかった、ミーシアが皇太女になってからは、私も領地に戻っちゃったし、こうして二人で話せなくて寂しかったわよ」
「私もだよヴェル。ヴェルが帝都の士官学校にいる間はよく一緒に遊んだのにね」
なるほど。
二人は小さいころよく一緒に遊んだ幼馴染らしい。
多分、騎士の家に産まれたヴェルが、この帝都で軍人としての教育を受けている時からの知り合いなのだろう。
親同士の関係次第ではもっと小さい頃からの友達なのかもしれない。
宮廷では他の家臣たちの手前、あんなにかしこまっていたけど、これが素の二人の関係ということか。
二人は並んでソファに座り、身体をくっつけてヒソヒソ話をしている。
ときおり、くすくすと笑い合ってはお互いを肘でつつきあったりして、随分と仲が良さそうだ。
俺はさっき、巨乳姉奴隷キッサから聞いた話を思い出す。
この世界には男が生まれてこない。
で、女同士で、ええと、子どもをつくる、と。
うーん、その前提でこの光景を眺めると、なんというか、モヤモヤするなあ。
そりゃ、ヴェルはともかくとして、ロリ女帝の方はまだ子どもだからさ、まさかここで怪しげな行動にいそしみ始める、なんてことはないだろうけど。
二人とも耳の宝石はまだ紅いままだし、まさかね。
俺は物音を立てぬようにそっと二人の様子を観察しつづける。
「ね、ミーシア、こないだのさ、ミーシアの十二歳の誕生日プレゼント、ちゃんと届いた? 即位一周年記念も兼ねてたんだけど」
「うん、届いたよ! なにあれ、笑っちゃった」
「えー。だって昔ミーシアが好きだっていってたからさー。わざわざ探して送ってあげたのよ」
「あれが好きだったのは子どものときのことだよ! でもありがと、嬉しかったよヴェル。……ね、ヴェル、ちょっと肌寒くない?」
うん、肌寒い。
特に裸にタオル一枚の俺はすごく寒い。
しゃがんで自分の身体を抱いているけど、それでもやっぱり寒い。
いやあ、どうしたらいいんだ俺?
今裸で出て行ったら多分もの凄く怒られる予感がするし。
そんな俺の存在に気づきもせず、ヴェルはにやにやと笑って、
「あたしは別に寒くないけど。ミーシア、寒いの? じゃ、くる?」
「えへへ、うんっ!」
そしてロリ女帝陛下、ミーシアは立ち上がり――ソファに座るヴェルの膝の間に小さなお尻を割り入れて、自分の身をヴェルに委ねた。
ヴェルの腕がロリ女帝の小柄で細い身体を抱きしめる。
女騎士が女帝の身体を後ろから抱っこしているような体勢だ。
「んー、ヴェル、あったかくなった」
「ミーシアってば、いつでもかわいいんだからっ!」
赤ん坊をあやすかのようにヴェルは女帝様の身体を揺すぶる。
ヴェルのブロンドの髪と、ミーシアの黒髪おかっぱが一緒のリズムで揺れる。
「あーもーかわいいかわいいかわいい! ミーシアかわいい!」
「ヴェルはいっつも私を子ども扱いするんだから」
と言いつつも、まんざらでもない笑みで目を閉じるロリ女帝。
「あいかわらずミーシアはちっちゃいわね。ちゃんと、食べてる?」
「……ううん、実はあんまり。皇帝なんてやってると、あっちこっちでいろんなことがあって、それを私が決めて……。戦争して、殺したり殺されたり首切ったり耳切ったり。こないだなんか目の前に切り取られた耳が三百も並べられたんだよ! ラータが自慢気に戦争の話するんだけど、もう気持ち悪くて仕方がなかった」
「あーあの戦闘ね……。武人の私としては素直に讃えたいところだけど」
「ヴェルまでそんなこと! あとね、川が氾濫したとか、農地が魔獣に荒らされたりとか、あんまりいい話がないし。それを報告で聞いて、頑張って裁可を下して……でもその夜は怖くて寂しくて眠れなくなるの。食べるどころじゃないよ」
十二歳の女の子。
昼間見た彼女は、皇帝としてしっかりふるまっていたように見えたけど、でもそんなのは演技にすぎなかったらしい。
異世界の人間だからって、子どもは子どもで、女の子は女の子なのだ。
「ミーシアはよくやってるわよ。帝国八百万人の臣民のために頑張ってるわ」
「それいうのやめて。エリンによくいわれるの、臣民八百万人の運命はあなたが握っているのですよ、とか、あなたが国家であり歴史なのです、とか」
「あ、わかる。あいつ堅物だからそういうこと、いいそうよね」
「そのたびに怖くなるの。私なんて、そんなんじゃないのに。お姉さまが生きていたら。お姉さまが帝位についてさえくれてれば。いつもそう思うよ。そしたら私はヴェルの領地に行って、いち皇族としてのんびりヴェルのそばでくらせたのに。お母様とお姉さまのこと思い出すたびに寂しくて怖くてしかたがなくなるの」
「うん」
「臣民八百万人といったって、ほんとはこの数十年でかなり減ってるくせに。疲弊しきった国の皇帝にされて、この国は全部私のものとかいわれても困っちゃうよ。そんなの全部嘘だよ」
「嘘じゃないわ、ミーシア。あんたはターセル帝国の皇帝で、この国の人も財産も全部あんたのものよ。いうなれば私物ね。あたしもそうよ、あんたの私物。全部あんたの自由にしていいんだって。ちょっとくらい失敗しても気にしちゃだめよ、そのくらい軽く考えなさいよ」
「だって、どこに私の自由があるの。そもそも私の味方なんて、この国に何人いるんだろ。エリンとヴェルとラータとセラフィと……十人もいないよ。リューシアとかヘンナマリとか絶対私のこと嫌ってると思う」
「大丈夫よ」
ヴェルはロリ女帝の身体をさらに強く抱きしめ、そのうなじに顔を埋める。
俺の知らない名前がたくさん出てきたが、まあそれだけ国内で権力争いがあるということだろう。
まだ十二歳の少女なのだ。
ヴェルの話からすると、ミーシアは即位してまだ一年ちょっとらしい。
それじゃあ経験も能力も権力基盤も足りないに違いない。
その中で皇帝として生き抜くには、俺などが想像もできないほどのストレスがあって当然だ。
そう思うと、この儚げなおかっぱの少女が可哀想になってきた。
ヴェルはそんなミーシアを慰めるように言う。
「あたしが味方なんだから。あたしがいるから、大丈夫。この国で一番偉いのはあんたよ、ミーシア。あたしが守ってあげる。ミーシアがこの国でたった一人の皇帝陛下なんだから」
「それが怖い。たまに思うの。高い山のてっぺんで、私一人だけがそこに立っているの。麓ではみんな家族と仲良く暮らしてるのに、私はいつでもいつまでも一人で、寂しいからみんなのところに行きたいんだけど、一歩踏み出すと落ちるような場所で。怖いの」
「よしよし」
腕の中にいるミーシアの髪の毛をワシャワシャとなでくりまわすヴェル。
しばらく二人でそうしているのを、俺はバスルームの入り口で寒さに震えながら見ていた。
思えば、この時が最後のチャンスだったのかもしれない。
たった今シャワーからあがりましたーっていう顔をして何気なくこの場に出ていき、女帝陛下がいるのにびっくりした顔をしてその場で平伏すれば、まあ話の流れにもよるけど、笑い話ですんだかもしれない。
だけど、俺はその機を逃してしまった。
次の会話を聞いた時点で、どう考えても笑い話を飛び越えた状況に陥ることになったのだ。
それほど、その会話は……いや、その後の二人の行動は常軌を逸していた。
俺みたいなしたっぱがその場にいていいはずもないほどに。
だけど、その時の俺がそんなことわかるわけがない。
だから俺は冷えて震える身体を丸めて、二人の『秘密の遊び』をこっそり見ることになってしまうのだった。
「ね、ヴェル、あれやって」
「んー。また? 半年前に私が帝都にきた時もやってあげたじゃない」
「半年も前だよ! ヴェルにはそのくらいしか会えないし。ヴェルにしか頼めないし」
「そうね。でもこのソファじゃちょっとね。もっといい椅子があればね」
「椅子……?」
「そう、椅子があれば、ミーシアにあれをやってあげてもいいんだけどなー」
ちょっとわざとらしい棒読みでそういうヴェル。
ミーシアは少し緊張した、でもワクワクをおさえきれない面持ちで、
「じゃ、今、用意するね」
と言った。
八百万人の臣民とそれを支える領土を統べる、ターセル帝国第十八代皇帝ミーシアは、家臣である騎士、ヴェル・ア・レイラ・イアリーの膝から立ち上がると数歩歩き、そこで膝と手を床についた。
そして。
四つん這いになった十二歳の黒髪おかっぱ少女皇帝は自らの背中を指さして、
「さあ騎士様、この椅子にお座りください」
と言うのだった。
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