第30話 しんじつは晒されて③
瞬間、一歩後ろでメルトリアが息を呑んだのが聞こえる。
俺が唇を引き結んで目配せすると、彼女は小さく頷いて部屋を出てくれた。
「……久しぶりだな」
思ったよりずっと乾いて掠れた声が出て、俺は項垂れる。
「アルト……嫌ね、お化粧だってしていないのに……ここまで来てしまったのね」
消え入りそうな声でそう言った彼女は、すべてを悟っているようだった。
どんなに歳を取っていても、彼女だとわかる。
例えその四肢が細く折れそうになっていたとしても、深く皺が刻まれていたとしても、その髪が白くなっていたとしても。
…………信じたくはない。
龍族の血を。永きを生きられるというその血を欲していたのが、彼女だなんて……。
龍族を狩れと依頼したのが、彼女だなんて。
なにより、なによりそれはきっと――俺のためだ。俺が彼女にそうさせたのだ。
「スカーレット……俺は……」
喉がつかえて言葉がでない。
胸が痛んで彼女を直視できない。
「……。そんな顔しないでアルト。……ねえ、あたしの詠んだ星の話をしてもいい?」
微笑む彼女の目尻に深い皺が寄るのを視界の端で受け止める。
黙って頷くと……彼女はゆるりと瞼を閉じた。
◇◇◇
呪われた勇者が千年を生きると知って、勇者一行であった星読みスカーレットと回復術士ライラネイラはどうにかしたいと考えた。
久しぶりに会った勇者が悲しそうに笑っているのを見てしまったから。
ならば同じように長い時間を生きたいとスカーレットは言って、彼女の想いに胸打たれたライラネイラは人族の命を長らえる魔法の研究に着手した。
だけど――千年など夢物語だ。彼女の生涯を以てしても僅かに寿命を延ばせる程度の魔法しかできなかった。
それでもスカーレットは諦めず、その魔法を己に施してもらい更なる模索を続ける。
本来ならとうの昔に尽きるはずだった命を少しでも延ばし、また延ばして……アルトスフェンのために自身も永きを生きる術を探し続けたのだ。
そんなとき、彼女の星詠みにある兆候が見出された。
自身に迫る死と龍族、そして龍の力を伴うヒトの存在。
その向こう側には――アルトスフェンが見えていた。
「本当は……わかっていたの。これは……あたしが永く生きるための星じゃない。だけどあたしは星詠みとしての禁忌を犯した。解釈をねじ曲げたの。――貴方と一緒に笑いたかった、貴方をひとりになんてしたくなかった――だから」
そう。彼女は――俺のために龍族の血を欲していた。
この一件はすべて……俺のために始まったことだったのだ。
俺が遺されることを受け入れられなかったから――。
「スカーレット……龍の力を伴うヒトっていうのは……」
「――聞きたくない。貴方の隣で一緒に笑えるヒトの存在なんて認めない、認めたくない。でも、でもあたしは……あたしの体はもう、こんなにお婆ちゃんになっちゃった……」
俺を見上げる紅い瞳からじわりと雫が滲む。
「もう、どっちにしても間に合わなかった……あたしはもうすぐ死ぬのに、いまの貴方、変わらなくて――ああ、もう見ないで……こんな……こんな」
視線を逸らす彼女に、俺は首を振る。
息が詰まって苦しかった。
「馬鹿なこと言うなよ。スカーレットはスカーレットだ、なにも変わらない。見てくれはこんなだけど俺だって八十二歳だし、一緒だろ」
彼女は細く皺の寄った指先で何度も目元を擦り、それでも溢れる涙に顔を覆う。
「ならアルト――答えて。貴方にとってあたしは――なんだった……?」
「…………」
胸の奥がじわりと熱を持つ。
彼女の気持ちが――痛かったんだ。
遺されるのはつらいと……そう思っていた。
でも彼女を見ればわかる。
遺していくことも――つらいのだと。
でも、そう。白い龍族、アウルが言っていた。
「葬送するということは、その瞬間まで愛を授けられるということだ。愛する者に自分の愛を授けて送り出せるということだ」
「…………え?」
スカーレットの双眸が瞠られる。
残酷かもしれない、でもはっきりと告げないのはスカーレットのためにならない。
「スカーレット、ごめんな……。お前の思う愛と俺がお前に抱いている愛は違うと思う。……でも。お前が望むなら俺は俺の形で――送るよ、傍で。――ありがとう、俺のために生きていてくれて」
「……、……う、うぅ……」
スカーレットはぼろぼろと涙をこぼし……顔を覆った。
「ごめんなさいアルト――ごめんなさい……たとえ星になっても、忘れないでほしい。あたしは……大好きだった、愛していた、貴方をずっと……」
嗚咽をもらして幼子のように泣く彼女の肩に、俺はそっと手を触れる。
弱くとも温かな鼓動は確かにそこにあって、でもとても小さく骨ばった華奢な体。
会いにくればよかった。
用がなくとも、ただ顔を見て、笑って、それだけでよかったんだ。
「ごめんな、スカーレット。約束するよ、忘れない。スカーレットの愛は……確かに受け取った」
******
勇者アルトスフェンが勇者一行のひとりである星詠みのスカーレットと再び出逢った日の夜。
メルトリアはそのスカーレットに呼ばれて彼女の部屋へと足を運んだ。
アルトスフェンは蒼髪の男に話があると言われてどこかへ行ってしまったあとだったが、それもスカーレットの指示なのかもしれない。
なにせメルトリアはかつての帝国の皇族だ。恨みや憎しみをぶつけられて当然だろう。
焚かれた香の甘苦い匂いは鼻腔を刺激し、肺に満ちれば頭の奥がぼうっと揺らぐような気持ちになる。
少し夢現の状態になるほうが星を詠むのに向いているのだろうかと考えながら、メルトリアはベッドの傍らでゆっくりと足を止めた。
「スカーレットさん……その、初めまして」
「――初めましてメルティーナ様。いまは違う名を名乗っているのよね」
ベッドに体を埋めた老女はそう言って気怠そうに瞼を瞬く。
「……はい。いまはメルトリアと名乗っています。だから様などと付ける必要はありません」
メルトリアはゆっくりと膝を折って礼をすると、そっとベッドの横に跪く。
不思議と気持ちは落ち着いていた。
「ふ。……いまから話すのは戯言、最期の意地悪よ。あたしは――皇帝一族が大嫌いだった。この国がめちゃくちゃになったのも、アルトを受け入れなかったことも、全部許せなかった……」
喘ぐように空気を吸い、掠れた声で紡がれる言葉は……胸を刺すようなものだ。
それでもメルトリアは黙っていた。
勇者一行の星詠み、スカーレットの最期の意地悪を――メルトリアは受け止めなければならなかった。
「でも一番許せないのは……貴女がアルトの隣にいること。私は貴女が一番大嫌い」
「はい。わかっています。けれど私は……貴女がいてよかったと思っています。貴女たちが帝国を滅ぼしてくれたことに感謝しています。勇者一行の星詠み、スカーレットさん」
「……別に貴女のためじゃない。勇者が魔王を倒したのに平和が訪れない国なんて許せなかっただけ。よく聞きなさい――この先アルトは多くの人を葬送するわ。哀しむこともあるでしょう。……けれど、ともに歩む者は彼を支え、ときに彼に支えられながら千年を生きていく。……責任重大よ、わかっているの?」
「え?」
「あたしの星詠みは当たる。……だからともに歩む貴女が妬ましい、憎いくらいだわ。もうあたしの死はすぐそこだっていうのに、この期に及んでこんな醜い気持ちにしかなれないなんて……ねぇ、本当に……貴女が大嫌いよ、メルトリア」
そう言ったスカーレットの目尻からぽろりと雫があふれて流れ、横たわる彼女のこめかみへと吸い込まれていく。喉を震わせながら息を吸う彼女は……ひどく弱々しい。
メルトリアはぎゅっと双眸を閉じ、唇を噛んでゆるりと瞼を上げた。
「……はい」
アルトスフェンはスカーレットにとってかけがえのない愛しい存在だった――否、いまもそうなのだ。
スカーレットは噛み締めるように、ひとつ、ひとつ、言葉を紡ぐ。
「彼の近く、いつも真っ黒な星が見える。それでも――貴女が彼を照らすわ。貴女の愛を……アルトは受け取るでしょう。そして貴女の愛は彼が星になるそのとき、彼を癒すでしょう」
どういうわけか、メルトリアの胸は熱くて……潰れそうなほどの痛みを感じていた。
自分の痛みではない。これは……きっとスカーレットの痛み。
呼吸することさえままならない、そんな――苦い思いがあふれてくる。
「メルトリア……どうかあたしの愛しいひとを……アルトを、お願い……醜いあたしからのたったひとつの願いよ……」
「……ッ、醜くなどありません! 貴女の愛は必ず千葬勇者アルトスフェンを癒すでしょう! 必ず、必ずですッ! アルトスフェンも貴女を……愛を持って送るはずです……ッ」
涙するスカーレットの痩せ細った体を……メルトリアは咄嗟に抱き締めた。
気付けば頬を濡らしていた雫は熱く、視界がぐにゃぐにゃに歪んで滲む。
「赦されるなら私も……愛を持って貴女を送ります……スカーレット」
「お人好しね、貴女も……。疲れたわ、もう眠るから出ていって」
「…………はい」
メルトリアは呆れたように鼻先で笑われて、そっと腕を解く。
ゆるゆる立ち上がって部屋を出るそのとき、それでも彼女は振り返って言った。
「ありがとうスカーレット、私に話してくれて。約束します、アルトスフェンは私が送ります」
スカーレットは応えることなく、部屋の扉が閉まるまで無言で見詰め……そっと瞼を下ろす。
「違う出逢い方をしていたら――きっと友達になれたわね、メルトリア……」
そしてふたりでアルトスフェンに恋をして……あたしが負けるのだ、と。スカーレットは何故か温かい気持ちで頬を緩めた。
勇者アルトスフェンと、エルフメイジのルーイダと。
弓使いのオルドネスと、回復術士のライラネイラと。
冒険はつらいことも多くて、痛いことも多くて、だけど…………幸せだった。
ほんの僅かに残っていた命の灯火が揺らいで――小さく、小さくなっていく。
「星になったら……貴方を照らすわ、アルト……」
******
翌朝、スカーレットは目を覚まさなかった。
俺は眠る彼女の傍らで懐かしい話をして過ごし……翌日、彼女を葬送した。
なんとなくわかった気がしたんだ。
愛を持って誰かを葬送する――その意味が。
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