第27話 あらそいは始まって⑪

 踏み込んで突きを繰り出した俺の剣に剣を叩きつけ、男が自分の右側へ逸らそうとする。

 その力を利用して頭上で剣を返し、俺が男の左肩を狙って振り下ろすと、男はその剣を追って自身の剣を動かす。

 俺はガキンと硬い音を響かせて弾かれた剣の切っ先を、今度は下から上へと返して振り抜いた。

「ぐうっ!」

 咄嗟の反応はそれなりにいい。男が跳び離れ、すんでのところで俺の剣は空を裂く。

 だけどこれで終わりだと思ったら大間違いだ。

 俺は左足で大きく前に踏み込み、再び突きを繰り出した。

「はぁッ!」

「――くそっ、撃てッ!」

 男が下がりながら左腕を振ると同時、俺を狙った矢がヒュウッ! と甲高い音を立てて放たれる。

 突き出していた剣を引き戻して最初の一本を斬り飛ばすが、それを追うように一気に放たれた矢が弧を描いて降り注ぐ。

 ……だけど。こんな攻撃じゃ温すぎる。

 他人同士、その場しのぎの仲間だとしても連携意識が薄い。

 時間差もなければ、矢の合間を縫うような攻撃も皆無だった。

 思わず唇を噛み、ひと振りで矢を弾き飛ばした俺に……ようやく黒鎧を纏う男の表情が焦りの色を滲ませる。

「な、なんなんだ、お前――」

 俺たち勇者一行が掻い潜ってきたのは触れただけで肌を焼き焦がすような魔法の嵐だった。

 魔物だってもっと強力な一撃を持っているし、人族だってこんなバラバラな戦い方はしていない。

 勇者が魔王を倒し、ハグレの魔物が減ってきた平和な時代において……人族の防衛本能が緩くなっている――。

 それは歓迎すべきことなのかもしれないけれど――俺からしたら恐ろしかった。


「こんな状況でまた魔王みたいな奴が生まれたら――人族は滅んでしまうかもしれないな」


 胸の疼きに思わず呟いたとき、震える声が轟いた。

「ぶ、武器を捨てろ……この女が、どうなっても……い、いいのか⁉」

「!」

 振り返った先、そいつ・・・は無理やり起こしたメルトリアの喉元にフォルクスの円月輪の片方を突き付け、腕や足を鮮血に染めた彼女を谷の近くまで引き摺っていこうとしていた。


 体中を戦慄が駆け抜ける。


 そいつは殺気よりも怯えに近い空気を纏った小柄な男で、あまりに気配が薄かったせいで気付かなかったのだ。

「――彼女を離すんだ。そんな無防備な人を人質に使うなんて……あんたも望んでいないはずだろ。震えているじゃないか」

「だ、黙れ……! お、俺は龍を狩って血を呑む。永遠の命を得るんだよ! じ、人族のくせに邪魔するのが……わ、悪い! 悪い、悪いんだ……」

 ぶるぶると震える腕の先、握り込まれたフォルクスの円月輪がメルトリアの喉元をいまにも抉りそうで、俺は男を落ち着かせようとゆっくり頷いた。

「……わかった、剣を置く。俺だって人族と戦いたいわけじゃないんだ――だから彼女を離してくれ」

 そろそろと両手を上げてから剣をゆっくりと岩の上へと下ろす――そのとき。

「がはっ」

 背中を強烈な一撃が襲って、俺は震える男のほうへと剣ごと転がった。

 岩と鎧が擦れる悲鳴にも似た金属音が谷間を反響して消えていく。

 ――くそっ、黒鎧の男か……!

 息を詰まらせながら咄嗟に上半身を起こそうとした俺の背を、黒鎧の男が間髪入れず思い切り踏みつける。

「手間かけさせやがって――おい、その女は俺がやる……あぁ、そうだな、いいことを思い付いた。知っているか? 谷に落とされた皇帝の娘の話」

「……!」

「民に処刑された姫がいたのさ。それになぞらえるってのはどうだ? 素晴らしい断罪だろ」

 ――黒鎧の男の言葉に……俺はゾッとした。

「やめろ……お前自身がなにかされたわけじゃないだろ! ……そんなこと――!」

「俺の先祖がされたんだよ! 俺が体験していないからなんだ? 俺の先祖が皇帝一族から味わった苦しみをその子孫に返してなにが悪い!」

 ガッ……!

 絶叫のような男の声と同時、再び踏み付けられた俺は歯を食い縛った。

 胸の奥が激しく疼いて、息が詰まる。

 そのときだった。

「……あ、ルト……スフェ……」

 掠れた声が耳朶を打った。

 消えそうな、泣きそうな、そんな声。

「メルトリア⁉」

「……ほんとに、来て……くれたのね……」

 薄く瞼を開けた彼女が……微笑む。

「当たり前、だろ――すぐ行く、待っててくれ」

「…………」

 メルトリアはゆるりと首を振ると……震える男が握ったフォルクスの円月輪にそっと自分の手を添え、自分の足で地面を踏みしめた。

「私の命くらい安いものだわ。……それで帝国の民の子孫が……楽になるのなら」

「……! な、なにを……」

「ねえ冒険者さんたち――龍族討伐を諦めてほしいの。彼らは私に優しくしてくれただけ。人族と戦おうだなんて思っていないわ。だから代わりに私があなたたちの先祖へ、この命をもって謝罪する。それで……どうか手を引いて」

「ば、馬鹿なこと言うなよメルトリア! どうしてそんな!」

 ――忘れられたかったと。彼女は言っていた。

 でも違う。忘れないでと言っていいんだ。

「……は、はは。いいこと言うじゃないか。そうだな――ならそこから飛び降りろ。そしたら俺はこの件から手を引いてやる」

「おっ……俺は、知らない、知らないぞ! か……勝手に飛べよっ……!」

 黒鎧の男はギラギラした瞳で薄ら笑いを浮かべながら告げ、震える男は怯えたように彼女を突き放し、数歩後退ったところで足を縺れさせ転倒した。

「や、やめろメルトリア! 龍族と人族の争いを止めるのが目的だろ! なんで命を差し出すようなこと言うんだよ……!」

「ごめんなさい。……でも、民が望むのなら応えるべきだわ。やっぱり私は……生きていてはいけなかった。忘れられたいだなんて都合のいいことを言ってはいけなかったの。だからアルトスフェン――貴方は龍族のところへ――彼らを、私の家族を……お願い」

 踏み付けられたまま手を伸ばす俺に視線を合わせ、メルトリアは円月輪を手にぶら下げたまま一歩、また一歩と後退る。

「……ねえアルトスフェン、ありがとう。来てくれて嬉しかった。――いい? 貴方の呪いのことを『アウル』に聞いて。彼が必ず助けてくれるわ。……お別れね……。新しき国〈ヴァンターク皇国〉が末永く平和で良き国であれますよう――」

「駄目だ! 駄目だメルトリア! やめろ!」

 呪いのことなんていまはどうでもよかった。

 深い傷を負ったまま――彼女が生きる意味を見出せずにいるとしても。命で謝罪するだなんて、それこそ赦されてたまるか――!

 そのとき、俺を踏みつけていた男の足を鈍色の刃が掠め、男が飛び離れた。


「勇者サマッ! 行け! 早くッ!」


「フォルクス! ……おうッ!」

 いつから意識を取り戻していたのか、上半身を起こしたフォルクスが放った円月輪の片割れが弧を描いたのだ。

 跳ね起きた俺は全力で駆け――まさに谷へと身を投げだそうとしているメルトリアへと腕を伸ばし、指先を広げ……彼女を手繰り寄せようとした。

「メルトリア――!」

 彼女と一緒に体が宙へと投げ出されるのにも構わず崖を蹴り、俺は左腕で彼女を引き寄せて右手で円月輪の片割れを握り締める。

 落下を始める俺の頬を打つ風はメルトリアの亜麻色の髪を巻き上げ、耳元で轟々と逆巻いた。

「助けるって言ったろ! お前は死にたいなんて思ってないんだ! だから……俺を遺す手伝いをしてくれよ……! メルトリア!」

「――アルトスフェ……うぅッ」


 ――そして。


 グンッと腕が引っ張られて急激な重力が掛かる。

 フォルクスの円月輪が彼の元に戻ろうとしているのだ。

 絶対に振り落とされてたまるか――!

 重力に耐えきれず再び意識を手放したメルトリアの頬は蒼白く、ズタズタになった体からはいまも血が流れている。


 どうして――こんな非道を行えるんだ? 魔王がいたときのほうが人族は強く気高くあったんじゃないか?

 駆け巡る感情のせいか、胸の奥が疼く。どうしようもなく痛い。なにかが溢れそうだ。


 谷の上まで戻った俺はフォルクスのそばで円月輪から手を放し、なんとか着地した。

「……は。役に立ったろ? ……俺……ひひ。貸しひとつだ、勇者サマ……」

 岩の上に体を投げ出したまま、腹部を鮮血に染めたフォルクスが真っ青な顔で笑う。

 俺は頷いて「格好良かったぞ」と笑い返し、メルトリアを横たえた。

「――少しだけ待っていてくれ、フォルクス。すぐに片付けて手当してやるからな」

 そのとき、嫌悪感に頬を歪めた黒鎧の男が呟いた。

「――なんなんだよ、お前たちは……邪魔ばかりしやがって……!」

 俺はゆっくりと立ち上がり、落ちていた自分の剣を拾い上げて真っ向から男の灰色の瞳を見返す。

「名乗ってなかったな。俺の名前はアルトスフェン。――聞いたことくらいあるだろ? 千の魔物を葬送して呪われた――千葬勇者アルトスフェンだ。覚悟はいいな? 若造・・。もう手加減はしない」

「……! せ、千葬勇者だと⁉ それが本当なら……なんでお前が〈ヴォルツターク帝国〉の亡霊につくんだよ!」

「言っただろ、彼女は人族と龍族の平和を願う者だ。魔王がいた時代のほうが人族は気高く強かった……人族同士で命を奪い合うような時代は終わったっていうのに――お前たちはなにをしているんだよ。こんな非道を――お前たちの先祖が望んでいるっていうのか?」

 じわりと。

 胸の疼きが冷たい感情となって溢れてくる。

 その冷たい感情は俺の体から黒い靄となって滲み出していた。

 ……なんだ?

 俺は両手を胸元に上げて……その靄を見詰める。

 ――これ……俺の体からなにかが……。いや、これは……。

 黒い靄はズズズ、と空中を這い回るように渦を巻き、なにかの形を描こうとしている。

 これは……この感覚はまるで……。

「……! おい、わかったならここから退け! お前たちの依頼主は皇都か? 話がしたいと千葬勇者が言っていたと伝えてくれ。必ず向かう!」

 焦りで背中が粟立った。

 これはまるで、魔王が魔物を生み出すときの現象そのものだったのだ。

 どうして、どうして俺からこの靄が……? まさか呪いのせいか……⁉

 心臓がドクドクと脈打ち、呼吸が浅く荒くなる。

 ――そのとき。


「星の声を聞いて無断先行した冒険者がいたとわかり…これはいったい何事ですかね」


 カツンカツンと岩を踏み鳴らし……長い蒼髪をなびかせて。


 神秘的な空気を纏う星詠みが……冒険者たちの向こうからやってきた。

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