第6話 はじまりは呪われて⑤
「私は感謝してるのよ、アルト」
「……別に感謝されるようなことはしてないけどな」
ルーイダが微笑むのでゴホンと咳払いで濁した俺は、甘酸っぱい香りの茶をゴクリと喉に流し込んで立ち上がった。
「まあ、千人と親しくなって葬送するかは別として……とりあえずメルトリアには謝ってくるよ」
「そうしなさい。……アルト、あの子は――……いえ、私が言うことじゃないわね。……そうだ! メルティに『記念碑』の場所を聞いて一緒にいらっしゃい。そこで待ってるから」
「…………? おう、わかった」
俺は中途半端に言葉を切ってさっさと出ていったルーイダを見送り、勝手知ったる家を奥へと進んだ。
薄暗い調理場には魔法で満たした大きな水瓶が用意されていて、そこで洗い物ができるようになっている。
メルトリアはその水瓶の前、こっちに背を向けて食器を洗っていた。
「……あ。ごめんねルーイダ。私、アルトスフェンに失礼なこと言っちゃった……」
俺をルーイダだと思ったんだろう。
彼女は亜麻色の髪を揺らして
水瓶のなか、ちゃぷりと跳ねる飛沫の音がする。
「千年を生きる彼なら……絶対に仲良くなれるって思い上がった。私は自分のこと、なにも話していないのに――」
手が止まり、静かに続けるメルトリアの肩が小さく震える。
俺はゆっくり歩み寄るとその右隣に立って……隣にある棚の上、まだ洗っていない木製の器を手に取った。
「それじゃあもう少しメルトリアの話も聞かせてくれるか?」
「……え」
問い掛けた俺を見上げた翡翠色の瞳は潤んでいて、まるで水鏡のように俺を映し出す。
目元は真っ赤で、何度も擦ったのがわかった。
俺が悪いのは重々承知しているんだけど……さすがにばつが悪いな……。
「……ごめん、メルトリア。俺の言い方が悪かった」
「――ええッ⁉ って、ひゃあぁッ⁉」
瞬間、彼女は思い切り後ろに後ずさり大きな小麦粉の袋に躓いてひっくり返った。
白い粉がぶわっと舞い上がったが――わずかな被害で済んだのは運がいいのかもしれない。
「……ええと。大丈夫か?」
「だ、大丈夫――あ、アルトスフェン……どうしてここに」
「どうしてって……謝りにきたんだけど」
それ以外になにがあるんだろうか。
彼女は慌てたように立ち上がると白くなった服を叩き、ケホケホと咳をしながら首を振った。
「謝ることなんてないのに……馴れ馴れしい私が悪かったんだから!」
「いや、正直馴れ馴れしいとか思ってはいないんだ。ただ俺が……まあ、臆病だったというか」
親しくなって見送るのがつらいとか言うのは憚られる……ような気がする。
濁した俺に彼女は一瞬だけ眉を寄せたけれど、すぐにまた首を振った。
「それでも! アルトスフェンはなにも悪くない! ……あの、洗い物は私がするから休んでいて?」
「ああ、それなんだけど。ルーイダが『記念碑』に案内してもらえってさ。そこで待ってるらしいから早く済ませて向かおう。……ってわけで俺も手伝うよ」
「えっ、待ってるって……外は冷えるのに」
「あいつ、火も起こせるから大丈夫なんじゃないか。……でもとりあえずほら、急ごう」
「う、うん……」
メルトリアは俺の隣に戻ると食器を手に取った。
――だけど。
「…………」
「…………」
ええと、うん。どうにもこうにも……段取りが悪いというか、もたつくというか、なんというか。
「メルトリア……もしかして洗い物は苦手なのか? ……いや……そうか。貴族のご令嬢なんだっけ……そうすると家事全般……」
するとメルトリアは顔を真っ赤にして俺を見た。
ものすごく眉が寄っている。
「ち、違うの! これはただ……私の家族が、その、食器を使わないからで……!」
「ああ……龍……」
妙に納得して頷くと、彼女は頬を膨らませて水瓶に目を落とす。
「だから練習中なの! いろいろと!」
旅のあいだはどうしていたんだろうとか、龍族と食べるときに自分の食器は? とか、そもそも龍ってなに喰うんだ? とか。
疑問には思ったんだけど……俺はじわじわきて笑ってしまった。
「ふ、くく」
「……アルトスフェン。笑わないで」
「いや、ごめ、ふふ……」
「もう……!」
メルトリアは耳まで赤くなったまま唇を尖らせて食器と戦っている。
――本当、最初から俺には無理があったな……誰とも関わらないなんて。……まったく前途多難だよ。
それを眺め、俺は小さく苦笑した。
******
そうして『記念碑』とやらに案内された俺は……寒さに震えるエルフメイジに迎えられた。
「お、遅い……なにしていたのよ……」
「食器洗いに時間を要したってところ」
「アルトスフェン! ご、ごめんなさいルーイダ……やっぱり寒かったよね」
そう言って身動ぐメルトリアは装備の上にちゃっかり厚手のマントを羽織っている。
ルーイダはすべてを察したらしく苦笑すると、傍らの『記念碑』とやらをポンと叩いた。
どこかから運んできて加工したんだろう。
黒々とした岩にはキラキラと月明かりを散らす細かな銀色の粒が見て取れ、俺と同じくらいはある丸い卵型に磨き上げられている。
「呪いのことがわかったときに約束したでしょう。これはあんたのための『記念碑』よ、千葬勇者」
「……俺のため? そういえば用意しておくとかなんとか言っていた……か? でもいったいなんの……」
言いかけた俺は岩の表面に刻まれた文字にふと目を留めた。
「……名前……」
アルトスフェン。
ルーイダ。
スカーレット。
オルドネス。
ライラネイラ。
それは――勇者一行、その全員の名前だ。
「あんたが寂しくなったときのための『記念碑』よ。私たちとあんたが旅した証。これがある限り……あんたは独りじゃないわ」
ルーイダ以外は、ずっと会っていないけれど。
もう星になった可能性のほうが高いかもしれないけれど。
「…………」
言葉を失った俺の胸の奥が疼く。
寂しくて、哀しくて――だけど一緒に過ごせてよかったと思える俺の――大切な仲間の名前。
俺たちの旅の証……。
「…………ごめん、ちょっと……あれ……?」
変だな。
眼の奥が熱い。
息を吸うのが難しい。
指先でその凹凸をなぞり、俺は岩に額をつけた。
ひやりと冷たい感覚とは反対に頬をこぼれ落ちていくのは温かな雫で……今更だけどもっと会っておけばよかったと思う。
俺だけが遺されていくこの世界で、忘れないでと言われるのは残酷だ。
だけど――俺だって忘れたくない。
覚えていたい。
寂しくても、哀しくても。
……千年の後、俺のことも、そんなふうに思ってくれる人がいるだろうか。
誰かが隣で……俺を葬送してくれるだろうか。
そう考えれば考えるほど涙が溢れて止まらなくて。
「――は。……う、く……」
「アルトスフェン……」
「わ、悪い……だ、大丈夫だから……」
メルトリアは震える声で返した俺の側に立ち――そっとマントを被せ、隠してくれる。
「――いまは誰も見ていない、なにも聞いていない。……いいの、いいんだよ、アルトスフェン」
その声は優しくて――温かくて。
俺は――声を上げて、上げて……子供のように泣いたのだった。
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