第4話 はじまりは呪われて③
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木をくり抜き乾燥させて磨き上げ、防水と防腐を担う樹液を塗ってはさらに乾かす……それを繰り返して作られた茶器は温もりたっぷりで、木目が不規則に描く模様は味がある。
よく磨かれているために寄せた唇にも柔らかく触れ、俺は懐かしく思った。
「旅のあいだもこの食器だったな……」
丈夫で軽くて重宝したんだ。各々荷物にぶら下げていたっけ。
「――それ、魔王を倒す旅でのこと?」
森で採れた香草や木の実を使った茶は甘酸っぱい香りがする。
それに息を吹きかけながらひとくち飲み下したメルトリアは俺に向けて小首を傾げてみせた。
「おう。もう……六十年以上前だけどな」
するとメルトリアは何故か唇の端を持ち上げて柔らかく笑う。
「六十年なんてそんなに前じゃないでしょ。最近よ」
たぶん気遣ってくれたんだ。
でも俺はその言葉に少しだけ……胸が疼くのを感じた。
俺の生きる千年からしたら些細な時間かもしれないけど、多くの生きる者にとってそれは……。
「……まさか。長い時間さ――人族が産まれて星になるくらいのね……。っと、それで……メルトリアとルーイダは結局どういう関係?」
駄目だ駄目だ。辛気臭いのは俺らしくないな。
頭を振った俺に、ルーイダは机の真ん中に盛られた焼き菓子を細い指先で摘まみ、口に運びながら言った。
「メルティは……そうねぇ、私たちエルフと懇意にしているお嬢様ね。遠い親戚みたいな感じかしら……? 今回は彼女の住む場所で問題が起きたみたいで……アルトの話を聞いてはるばる訪ねてきたの」
「へえ。懇意にしているお嬢様か……どこかの貴族とか?」
俺が笑うと、メルトリアは唇に人さし指を当てて首を振る。
「秘密は多い方が素敵な女性だと思わない?」
「あらメルティ。アルトは隠しごとがあるって察することができないくらい鈍いわよ? 効果はなさそうだわ」
「ちょっと酷くないか、ルーイダ……」
「ふふっ、アルトスフェンがいい人だっていうのはなんとなくわかった」
俺が唇を尖らせるとメルトリアは楽しそうに笑い声を立てた。
……深刻な話を持ってきたようには見えないし……住んでいる土地の近くにハグレの魔物が住み着いたとかそんな話かもな。
――魔物討伐なら倒して終わり。魔王と対峙するような大きな話じゃないし、それなら必要以上に親しくなることもない……か。
ほんの寄り道。一期一会で終わる話だろう。
俺は話を請けるつもりでメルトリアに向き直った。
「それで、聞かせてくれるかメルトリア? 力を貸してほしいってどういうこと?」
聞くと……彼女は少しだけ眉尻を下げ、ルーイダを見る。
ルーイダが慈愛に満ちた顔で頷くと……メルトリアは俺と視線を合わせた。
「――私の住まう場所は国とも違う……そうね、なんていうか『生息場所』って感じなの。頼みたいのは、そこを狙う人族を追い払ってもらうこと」
「――人族? 魔物じゃなくて?」
「うん。貴方は勇者様、つまり英雄なのでしょう? だから人族を止めることもできるはずだと思って……力を貸してほしいの、アルトスフェン」
メルトリアは姿勢を正して大きく頷くと頭を下げる。
亜麻色の髪がその動きに揺れて肩を流れたところで、俺は唸った。
「人族が狙うってことは……その『生息場所』には珍しい動物でもいるのか?」
「……そう。とても珍しい……でも決して弱くない
――種族。
その言葉に俺は知らず目を瞠っていた。
それは人族やエルフ族のような『知的生物』を指す言葉だ。
意思疎通ができるくらいには知能も高く、その点でいえば魔王も『魔族』とかそんなふうに分類される。
人族やエルフ族、魔族以外の種族は……見たことがなかった。
「…………」
黙っている俺にどう思ったのか、メルトリアは眦を下げて哀しそうな顔をした。
「彼らは私の家族なの――けれど、あまりに狙われるなら戦うことを選ぶ強さは持っている。そうなったら魔物がどうこうなんて小さな規模じゃない――この地域一帯が焦土と化すかもしれない大問題になる」
「焦土って……魔物だって十分な脅威だ、それを小さな規模だなんて――」
魔物によって多くの人が命を奪われたことを……俺はこの胸に刻んでいる。
それを小さな規模だと言い切られるのはあまりいい気がしなかった。犠牲になった人々を軽く言われている気がしたんだ。
だけど――メルトリアはその頃、産まれてすらいないだろう。彼女たちにとって過去の話なのかもしれない。
俺はそう思い直し、質問を変えた。
「いや、えぇと。メルトリア。君はなんの『種族』なんだ? ……そんなことができるのか?」
「……私は貴方と同じ人族よ、彼らと同じ種族じゃないの。遣いとして来たと思ってほしい。――彼らは」
彼女はちらとルーイダに視線を向け彼が頷いたのを確認すると、ひと呼吸置いて木製の器をぎゅ、と握り……僅かに眉を寄せて口にする。
「――龍族。永きを生きる叡智そのものであり、広範囲を焦土にするだけの強さを持つ存在よ」
――俺は、メルトリアの言葉に息を吸うのを忘れてしまった。
龍族っていうのは……その名のとおり龍のことを指すんだ。
はるか太古から生きる巨大な翼在る者。
人族の家なんて軽々と押し潰せるだけの巨躯は硬い鱗に護られ、長く伸びた首の先――鋭い牙が並んだ
それだけではなく、彼らは炎や氷、雷の息を吐くらしい。
……らしい、ってのは俺も会ったことがないからだ。
この地域一帯が魔物によって蹂躙され、俺たち勇者一行が魔王と戦うそのあいだも……龍族は一度たりとも姿を見せなかったのだから。
――メルトリアが言ったことは……言葉選びはともかくとして、本当に比喩なんかじゃないのかもしれない。もっと大規模で――国がいくつも滅ぶような。
俺は乾いた唇を湿らせ、止めてしまっていた息を僅かに肺に入れて言葉を紡いだ。
「龍が……いるのか? 本当に?」
「うん。一生に一度会えたら幸運だって言われている存在だけど――確かにいるわ。あるとき、そのひとりが『生息場所』に戻る姿を見られてしまった。その血を呑めば永遠の命を生きられる、なんて話も広まっていて……人族は彼らを狙っているの」
「……永遠……?」
その言葉に不意を突かれた俺は呟いてからぶんぶんと頭を振った。
……それはつまり俺と似た存在になるってことだ、なんて考えが浮かぶのが痛い。痛すぎる。
すると黙々と焼き菓子を頬張っていたルーイダが、そのひとつを行儀悪くポイと放る。
俺が咄嗟に受け止めると――手のひらのなか、龍を模した型の焼き菓子がコロンと転がった。
「龍の血はあんたの受けた呪魔とは似て非なるものよアルト。人族がそのまま呑んでも……ただの毒にしかならない」
「ルーイダ――あぁ。ごめん。続けてくれ……」
自分と同じ存在がいてくれたら――なんて浅はかな考えを見透かされたんだろう。
俺が唇を噛むと……メルトリアは翡翠色の双眸を大きく瞬いてなにか逡巡する。
彼女はやがて血色の良い唇をゆっくりと動かした。
「……貴方は……千年の命に苦しんでいるの……?」
「…………」
その純粋に不思議そうな表情に、少しだけ困惑する。
確かに不思議だよな。永く生きたい奴らが彼女の家族を狙っているのに、実際に長く生きる俺がこんな反応なんだから……。
――俺だって気付くのに六十年もかかった。遺されることがこんなにも苦しいだなんて。
老いて穏やかになっていく友や仲間、恩人たちを――同じ目線で見詰められないなんて。
でもそれは……ほかの誰かに打ち明けて背負ってもらったところで――俺がつらいだけなんだ。
「――いや、世界中を見て回るだけの時間があるなんて良いことさ! でも龍族を攻めていい理由だとは思わない。……ところでその依頼はかなり大事だと思うんだけど……メルトリアはそんなに焦っていないように見える。それはなんで?」
――だから俺は笑うことを選ぶ。
視界の端、ルーイダが顔を歪めたのが見えたけど……気付かないふりをした。
「え? ……ああ、それは……私がアルトスフェンを連れ帰るまでは動かないって皆が……龍族が約束してくれたからよ。だから龍族側から見ればすぐにどうこうって話ではなくて――でもゆっくり見守る時間はないって感じかな。人族側が大規模な討伐部隊でも組んでしまったら少なからず犠牲が出ると思うから。……あのねアルトスフェン。私、もし龍族が人族と戦うって決めてしまったら取り返しがつかないと思っているの。人族にも多くの『良い人』たちがいるのに――僅かな『悪意』でそれが壊されるのは――違うって思う。そうだよね……?」
「おう。でも……そうだな。人族がそんなに長い時間なにもしないってことはないだろうな――」
魔王を倒すまでもそうだ。
魔物が現れる原因がわかってすぐ、星詠みと呼ばれる者が『勇者』を見つけ出して討伐に向かわせたんだから。
俺は手のひらの『龍』をポイと口に入れて立ち上がった。
サクリとした食感のあと、俺の気持ちとは裏腹に濃厚な甘さが広がっていく。
「ちょっと頭の整理がしたいから風に当たらせてくれ、すぐ戻る!」
――この件は魔物を倒すだけ、なんて簡単な話じゃない。
関わると決めたら……俺はまた……『親しくなった誰か』を見送らなくてはならないかもしれない。それがつらい。
でももし、なにもしなかったら――? 俺は……後悔しないのだろうか。
外に出ると、木々の枝葉の間から陽射しが差し込んでいた。
エルディナ大森林の緑は冬になっても殆どが残るけれど、冷え込むことで多くの獲物は冬眠してしまう。
だからこの時期は冬の蓄えを準備する期間であり、狩りを含めた多くの作業があるんだ。
柵に体を預けて見下ろした先、丁度昼飯の頃合いだけど、蔓と板で作られた道を行き来するエルフたちは忙しそうで――それをぼうっと眺めているうちに俺は胸の奥が疼くのを感じた。
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