⑦
「僕を襲った吸血鬼……?」
「おや、否定しないのですね」
「あっいや、その」
「ここで今から話すことは、私と君とだけの内緒話です。さあ、隣にどうぞ」
幹人は大きなキノコに腰かけた。
ぼんやり尻が光っているさまを見ながら、正太郎も隣のキノコに腰かける。
質問攻めしたい気持ちが募るが、問うより先に幹人が語りだした。
「私は人類学という分野で大学の先生をしています」
「じんるいがく……えっと、人間を色んなシテン?から研究する学問だっけ」
「ええ、よくご存知ですね。
人類学といっても、その分野はとても幅広いです。
私は知りたがりな性格ゆえ、特にこれ、と絞った専門分野があるわけではないのですが……どちらかといえば文化人類学を主として研究しています」
「は、ははあ」
意味こそ分からなかったが、頷くだけに留めた。
会話を逐一止めて質問していたら、日が暮れてしまう。
幹人の手の中で、ぱらぱら、と本がめくれる。偶然開いたページには、古めかしい挿絵が描かれている。
一瞬ぎくりとして、正太郎はその挿絵を食い入るように見つめた。
昔の日本を描いたものだろうか。
頭に角が生え、恐ろしく大きな牙を持つ、赤らんだ肌と赤い髪の怪物が、人間たちを食い散らかしている図だ。
ぎょろぎょろとした大きな目玉が零れ落ちそうなほど、凶悪な顔で笑っている。
その周りには子分と思わしき、様々な姿をした怪物たちが、人間の生首を咥えたり、槍に突き刺したりして、ぴょんぴょん辺りを跳ねまわっている。
その周りには、真っ白だったり青くなったりして倒れている人間たちが、ごみのように倒れている。
「吸血鬼の伝承は主に、東ヨーロッパに多いとされています。
チェコ、ルーマニア、ロシアなどがそうですね。ですがより広い観点で見れば、吸血鬼的な特徴を持つ神話の生物や妖怪は多く登場します。
正太郎さんは吸血鬼について、どれほどの知識がおありですか?」
「ええと」と正太郎は、あまりない知識を思い出す。
「生きてる人間から血を飲んで、蝙蝠とか動物に変身出来て、力が強くて、朝日をあびると灰になって、銀に弱い……」
「うん、大体それくらいの知識でしょうね。
ですがそれはあくまで、表社会で浸透している程度の知識になります」
「……実際の吸血鬼は、もっと違うの?」
「ええ」
幹人は開いた本を正太郎に手渡し、一度立ち上がると、本棚に近寄った。
手馴れた動作で何冊か分厚い書籍を引っ張り出し、元のキノコの席に戻る。
「吸血鬼大全」「闇に生きる鬼たち」「吸血鬼はなぜ夜の世界に追いやられたか?」等。
本はどれも、吸血鬼を取り扱ったものだと分かるタイトルだ。
大きな幹人の手がページをめくると、青白い肌に鋭い牙を持つ人型の怪物が、こちらをじっと睨む挿絵と目があった。
「吸血鬼は、「人間という分岐点から進化した、新種の生物」とされています。
死者に非ず、しかし生者に非ず。
血を栄養とし、他者の魂を活動源とし、感染と変異という形で繁殖する。
既存する生物とは一線を画する生態系。それが
「血が栄養で、魂が活動源……?」
「車で例えるなら、血はガソリン、魂がエンジンです。
動くために必要な動力が魂、その魂は血がなくては動くことができません」
「……もしかして、吸血鬼には、魂がないの?」
「いえ、彼らにも魂はあります。
ですが、その魂の動力が、肉体の持つパワーについていけないのです。
代わりに吸血鬼は、他者の魂を取り込んで、自身の魂と結合させる能力を得ました。
そのため彼らは、他人の魂を捕食し血を摂取するか、人間と「契約」という形をとり、活動することができるのです」
「へえ……幹人おじさん、すごく詳しいんですね!
もしかして、吸血鬼に会ったことあったりして?」
「ありますよ」
「へえ~…………、えっ!?」
事も無げに幹人は答える。
軽い冗談のつもりで質問しただけに、正太郎は一瞬フリーズし、素っ頓狂な悲鳴を漏らしてしまった。
まるで日常の一端を語るような口調のままに、幹人は言葉を続ける。
「彼らは
すれ違った見知らぬ人も、何食わぬ顔で過ごす友人も、実は吸血鬼かもしれない。
でもそれは、ありふれた日常にちょっとした秘密が隠れている、それだけのことなのです」
「……でも、吸血鬼にとっては、人間ってごはんなんですよね?」
「大昔、吸血鬼が人間側に誤解されていた頃の話ですよ。
彼らにも独自の生態があり、文化があり、律法があり、社会が存在する。
吸血鬼は身を守るためにも、極力人間を害さぬよう、共存の道を取っているのです」
「そ、そうなんだ……でも日本に吸血鬼がいるなんて、考えてもみなかったや」
「一般的に浸透している吸血鬼のイメージを考えれば、致し方ないやもしれません。
ですが正太郎くんも、身近な吸血鬼を知っているはずですよ」
「え?それって……」
正太郎はぱ、っと、手元を見下ろした。
渡された本の挿絵では、相変わらず怪物──鬼の絵が、人の血肉を啜って踊り狂っている。
「日本において鬼もまた、人の血を啜り肉を食らうという意味では、吸血鬼の仲間といえるでしょう」
「……なんかイメージ壊れるなあ」
「魂と血の両方を同時に摂取する、という意味では、人食は適した食事法といえるやもしれません。
彼らの尋常でない怪力、変身能力、幻覚、魅了といった特殊能力も、吸血鬼と類似しますし」
「……でもそれが、今回僕たちを襲ってきた吸血鬼とどう繋がるの?」
「それを調べるため、私が公太郎さんに依頼されたのです。
吉備津山ムツなる青年が、いったいどの鬼をルーツとして生まれ、凶行に走るに至ったのか。
おそらくは君も、吉備津山ムツと会ったのでしょう?」
「う……はい。でも、なんで知ってるんですか?」
「私は知らないことを調べることが得意なのですよ。大抵の人よりもね」
一瞬、幹人は唇の端を釣り上げた。
何もかもお見通し、という仕草。
さらっと「まあ、公太郎さんの証言と行動パターンから、貴方を襲った人物について推理したにすぎませんが」と種明かしした。
呆気にとられる正太郎のつむじを見やり、畳みかける。
「公太郎さんは色んな人を敵に回していますが、直近で彼に攻撃を仕掛ける相手は、くだんの吸血鬼もどきに違いありません。
彼は君が色々知ることを嫌がるでしょうが、君は身を守るためにも、知識を身に着ける必要があると、私は判断しました」
「幹人おじさんは……吉備津山ムツについて、どれだけ調べたの?」
「短い期間での調査でしたから、なんとも。
しかし、彼に繋がるであろう、ある伝承と地名を見つけました。
それがこの、鬼神温羅伝承。
中国地方のとある県、とある山中にある「吉備津山」に伝わる、鬼の伝承と、それにまつわる事件です」
そうして彼は、正太郎の持つ本のページを指でぱっ、と弾く。
ばらららっとページが遡っていき、ある紙面が開かれた。
◆
この物語の主人公は、鬼神と呼ばれた「
変身能力に長け、知略と軍術に富み、朝廷軍は温羅とその配下の部下たちに翻弄された。
崇神天皇は考えた末、吉備津彦という皇子を温羅に差し向けた。
吉備津彦武術と変身能力に長け、温羅との激しい死闘の末に縊り殺し、封印することに成功した。
しかし温羅は首を切られ晒し首にされようと、声を荒げ恨み呪いを口にすることはやめなかった
吉備津彦はあの手この手でこの声を止めようとしたが、かなうことはなかった。
そして暫くし、吉備津彦は夢で温羅の霊と対話することになる。
「われをお前の宮廷にある釜の下に祀れ。
そして妻「阿曽媛」とその一族に、わが魂を祀る巫女としての役目を与えるのだ。
さすれば我が魂がお前の使いとなり、吉凶を告げてやろう」
吉備津彦はこれを実行したことで、温羅の髑髏はやっと鎮まることが出来た。
これがのちに、雨月物語でも語られる「鳴釜神事」なる吉凶を占う神事に繋がることとなる。
◆
「吉備津山は、この吉備津彦が平定した土地の一つにある山で、吉備津彦の名からとった山だそうです。
この山には小さな集落が存在し、この「鳴釜神事」に関する伝承や、そこから発展した風習や神事も存在していました。
そしてその風習に深く関わる一族の名が、「吉備津山」という名字なのです。
この名字はかなり珍しいので、探すこと自体はさほど難しくありませんでした」
「! もしかしてムツは、吉備津山の一族かもしれないってこと!?」
「ええ、ですが悩ましい事実が一つ」
幹人はぼりぼりと頭をかいた。
「現存する記録において、この吉備津山という一族の中で、ムツという名の人物はたった一人。
その人、女性なんですよね。しかも、大正時代に死没している」
「え?でもあのムツって人は男で……」
「そこが問題なんですよねえ。しかもこの集落の人たち、大正時代に全滅しているんです。たった一人の男性によって」
「……殺された、ってこと?集落の人たち全員が?」
「そうです。さて、ここからはあまり関係のない話かもしれませんが……。
この集落の風習というものが、少し変わっておりましてね」
ぱらぱらと、またページをめくる。
また異なるページには、おぞましい量の毒虫と真っ赤な血が、釜の上の巨大な鍋めいたもので煮詰められる図が描かれている。
「うわっ、ぐ、グロッ……」
「釜鳴神事。本来であれば釜の上に蒸篭を置き、米をいれて釜を炊いた際に出る音で、吉凶を占っていたそうですが……。
この吉備津山では、毒虫と牛の血を米のかわりに入れて、釜で炊くという風習があったそうです」
「な、なんでそんな気持ち悪い風習に?」
「記録によれば、山中では牛鬼の怪異が暴れており、それを追い払うためにこのような風習に変わったそうです。
虫の毒と熱された血の臭いで、牛鬼という厄災から身を守っていたというわけですね。
残念ながら、詳しい資料は殆ど残されていないようですが……」
「これを見ている限り、効果なさそうに思えるけどなあ」
正太郎は怪訝な表情で、挿絵と記された文章を見つめた。
毒々しい色で煮られる虫と真っ赤な血の臭いを放つ鍋を、牛鬼が見つめる図は、むしろ彼にとっては御馳走をふるまう図のようにも見えてならなかった。
◆
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