私の実家

 期末試験もすべて終わり、大学生の長い夏休みが始まった。

 もう去年のような実質二日分――濃度一%カルピスのような夏休みを送る気はない。

 私とまるちゃん、今村ちゃんの三人は免許合宿のため、私の実家に滞在していた。

 当初はまるちゃんの実家に滞在する予定だったのだが、教習所の予約がいっぱいだったため、急遽空きがあった私の実家近くの教習所に通うことになったのである。

 両親も飼い犬のマーとソフィーも大喜びだ。

 私の実家は私以外の全員が社交的であり、私だけが唯一オカルト、アイドル好きの変わり者なのである。

 実家暮らしの弟は友だちと自転車で日本一周の旅に出ているというのもタイミングがよかった。



「私さ、二人に謝らなきゃいけないことがあるかも」


 夕食と入浴を済ませ、リビングで二匹の小型犬――プードルとチワワ――と戯れながら雑談に興じていたのだが、私は二人にどうしても言っておかなければならないことがあった。

 正直、二人にはあまり言いたくなかったのだが、このまま黙っておくわけにはいかない。いずれはバレることだ。


「え、なに?」

「なんですか? ちょっと聞きたくないんですけど」


 まるちゃんが眼鏡を持ち上げながら眉を顰め、今村ちゃんも怯えたような目つきでこちらに視線を送ってくる。

 二匹の犬もただごとではない気配を察知したのか、咥えていた骨のオモチャを揃ってポトリと床に落とす。


「あのね……私、マニュアル無理っぽい。明日、オートマ限定に変更してこようと思って……二人と一緒に卒業できない。ごめんね。私だけちょっと先に卒業しちゃう」

「はぁ? 知らないよ、そんなの。勝手にしなよ」

「あ、あたしもマニュアル難しくて、高速道路走るの怖かったんで、オートマにしたいなって思ってたんですよー。じゃあ、一緒に明日変更の申請出しましょう!」


 私はマニュアルのクラッチが繋げず、教官に叱られたことがトラウマとなっており、どうせマニュアル車になど死ぬまで乗るつもりはないのでこっそりオートマ限定に変えようと思ったのだが、卒業日程が早まってしまうということを知り、ここで告白することにしたのだ。

 そして、キッチンで晩酌する父のおつまみを作っていた母が余計なことを言う。


「この子、昔からどんくさかったからねー」


 そして、母に私のどんくさエピソードを暴露され、同期と後輩の前で恥をかかされ、屈辱的な思いをした。

 しかし、これでなんとか私のようなどんくさい人間でも免許を取得することができる目途がたった。



 そして、犬より先に疲れてしまった女子大生三人は布団が三つ並べて敷かれた和室に移動し、イベントについての会議を行うことになった。

 まるちゃんには大谷先輩の許可をもらった後すぐに連絡をしたところ、【百鬼夜行】のファンでもある彼女も大いに喜び、協力を申し出てくれたので実行委員の副委員長をお願いしたのである。

 イカ宗教メンバーだけで楽しいことをやっていると思われるとサークルが派閥に分かれ、分断を招いてしまうかもしれないと危惧していたので、彼女が引き受けてくれたことは僥倖だった。

 サークル全体の治安についてはイカ憑きの連中はかなりセンシティブに気を遣っており、今のところ企画不参加の人間からも不満の声は上がっていない。


「いやー、しかし、あんたの行動力をナメてたよね。話聞いたとき嘘かと思ったもんね」


 まるちゃんが掛け布団の上に仰向けに転がりながら言った。


「私じゃないよ。今村ちゃんが殆ど一人でやってくれた。なんか私が仕切ってるっぽい感じになってるけどね」

「でも、鵺に話ししたりしたのはあんたでしょ」

「そうだけど、それは鵺君に喜んでほしくて咄嗟に適当なこと言っちゃったからだけどね。今村ちゃんに色々頑張ってもらったし、お飾りの委員長くらいはやんなきゃダメでしょ。いくら面倒くさがりの私でも」

「そうね、もし実行委員長まで今村ちゃんに押し付けてたら……」

「押し付けてたら?」

「鵺のチェキ券買って、後輩に仕事押し付けてるってチクるかな」


 恐ろしいことを言う女だ。私が一番嫌がることを知っている。


「いくらなんでもそんなことはしないから」

「顔が引きつってるぞ」

「まぁまぁ。ともかく実現できそうでよかったじゃないですか。まるちゃん先輩も狐火君と打ち合わせできますし」

「あんたたちみたいにガチ恋勢じゃないけど、それでもやっぱり嬉しいは嬉しいよね。二人には感謝してるよ」


 まるちゃんはクールなので私たちのようにアイドルと付き合いたいとか結婚したいというようなことは言わないが、それでもやはりファンではあるのだ。


「でも、もうだいたい今できることはやっちゃったよね」


 私が言うと二人は何かやり残しがないか中空を見つめながら考える。


「後はあたしが全体の台本書くくらい? 今村ちゃんが【百鬼夜行】の運営と竹林監督と河合先生には出演オファーのメールしてくれたんだもんね?」

「はい、それはもう終わってます。【百鬼夜行】はメール送って一時間で全員参加オッケーの返事きてます」

「売れてないメン地下って感じだよね。せめてスケジュール調整してるふりで一日くらい寝かせてくれてもいいのに」


 三人で相談した結果、怪談パートは【百鬼夜行】のメンバーにやってもらうので別で怪談師を呼ぶよりはオカルトジャンルの著名人を呼んだ方がいいだろうということで、最初から予定していたホラー映画で有名な竹林監督は予定通りで、あとはホラー作家の河合先生にオファーを出すことにしたのだ。


「あ、返事来てますね」


 今村ちゃんがスマホからメールを確認したところ、あとの二名からも返事が戻ってきていた。


「竹林監督も河合先生も大丈夫だそうです。出演料も提示額で問題ないそうです。あと動画撮ってyoutubeに上げるのもオッケーでした」

「じゃあ、もう開催自体は完全に決定だね」


 憧れのアイドルを呼んで文化祭イベントを開催できるなんて夢のようだ。


 ――もう死んでもいい。いや、死なんけど。死ぬとしても文化祭の後だけど。


「じゃあ、機材の発注もしときますね」

「何から何まで悪いね」「入学して半年の一年生が一番詳しいってねぇ、わたしたち情けないよ」上級生二人が口々に言う。


 音響設備については演劇サークルの方でいつも頼んでいる業者に連絡してくれるという話になっていたのだ。

 イベント開催のノウハウなど皆無のオカルト研究会のメンバーは本当に役立たずだった。

 今村ちゃんに指摘されるまで人数分のマイクや会場後方まで音を届けるためのスピーカーやBGMやSEを流すミキサーが必要であることなど思いつきもしなかった。

 単発の結婚式やライブ、講演会などのイベントバイトの経験が欠片ほども活きていない。

 役立たず度合いでいけば頭の中にいるイカとどっこいどっこいだ。

 ただ、そこにいてたまに脚をもぞもぞさせているのと変わらない。


「でも、私たちはイベントってその場で観ていいのかな?」

「そこは非常に難しいところですね。他のファンも観に来るでしょうから、スタッフとして立つと色々と勘繰られたりしますし配慮したいところですよね」

「だよね」

「一般客のフリして客席から観るしかないんじゃない?」まるちゃんが言う。

「現場の仕切りは先輩とかに任せるかぁ」

「あんまり目立って、二度とライブに行けないってことになるよりはいっそ会場には行かずに、事前の打ち合わせとか楽屋で話したりするだけでよしとするしかないね」


 それはもう仕方のないことだ。

 覚悟も納得もしている。

 自分たちがプロデュースしたイベントに大好きなアイドルが出演してくれるのを観られないのは辛いが、そのための準備や打ち合わせで他のファンには見せない部分を自分たちが見られるという喜びに勝るものはない。


「そこは断腸の思いですね」

「今村ちゃんは一年だし、一般客のフリして客席で観ていいよ。最悪、お留守番は私がやるから」


 ここまで頑張ってくれた後輩が現場を観られないのはあまりに可哀想だ。


「本当ですか? やったー」



 その後、情報公開日や特設サイトのオープン日程やチケット抽選について話し合い、後は粛々と準備を進めていくだけとなった。


「なんだか広い会場とれちゃったみたいですけど、お客さん来ますかね? チケット代の設定金額の千円も本当に適正なのか悩ましいところですが」

「まさか二百人入る大教室とれるとはねー。まぁなんとかなるでしょ。応募数見て、全然人来てくれないっぽかったら、機材で後ろの方埋めたり、サクラ呼んだらいいよ」


 私は適当なことを言っただけだが、今村ちゃんは「そうですね」と明るく返してくれた。

 文化祭についての話がまとまったところで、各自未発表の怪談――実話、創作問わず――を発表してから床についた。

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