俺の席に白菊の花があった理由≪ワケ≫【拙作】
日夜 棲家
はじまり
「○○市○○にて殺人事件発生。至急応援を――」
要請が入り、刑事・
夜中。もうすぐ日付も変わるという頃だ。
けたたましいサイレンの音を響かせながら着いたのは闇夜に浮かぶ学校だった。
車から降り、校舎を見上げる冬城の顔に影が差す。
「……っ」
息を呑む冬城。いつもと違う彼女の様子に七五三掛が気づいて尋ねた。
「先輩? どうしたんですか? いつもならもっと落ち着いてるのに、今日はなんか緊張してるみたいっていうか……」
七五三掛の問い掛けに冬城は一度ゆっくりと息を吐いてから答えた。
「……ここ、私の母校なのよ。……もうあれから十二年になるのね……」
感慨深いというよりは、苦々しい表情を彼女はしていた。それを七五三掛は「通っていた学校で殺人事件が起きてしまったことへの憂い」だと受け取ったが、そうだと言うには冬城の表情は少し複雑だった。彼女の顔には怒りの感情も滲み出ていたのである。まるで「思い出したくもない過去を思い出してしまった」というような顔を彼女はしていた。
彼女たちの元へ青い制服に身を包んだ一人の警官が近づいてくる。
「お疲れ様です! 冬城警部補!」
青い服の彼はびしっと敬礼をして、冬城たちを案内し始めた。彼女たちは決定的な証拠を潰してしまわぬよう白い手袋を嵌めながら彼の後についていった。
案内されたのは校舎裏の方。
規制線として張られているロープの前までくると、そこにも青い制服の警官が一人立っており、冬城のことを視認すると彼女に向けて挨拶をした。冬城は「ご苦労様」と声を掛け、見張りのために立たされていた警官が通れるようにと持ち上げてくれたロープを潜って制限された区域に入った。
そこは照明でひときわ明るく照らされていた。様子が一目でわかった。
「うっ。これは、ひどいわね……」
冬城は顔を
そこには、人が一人俯せで横たわっていた。
――体中の骨という骨が砕かれた状態で――。
どれだけ殴ればこうなるのか?
頭部は完全に凹みきっており、身体はぐちゃぐちゃ。筋肉の繊維がぶちぶちに切られていて、立体感のなくなった身体は原形をとどめていなかった。
顔などは特にひどかった。目も鼻も口もなくなるほどに叩かれていたのだ。
周辺には何度も何度も同じ個所を殴られたことで千切れたと思われるその人の一部だったものや赤い液体が飛散していた。
これではもはや元がどんな姿だったのか想像することは不可能だろう。
現場に服の類はなかった。犯人が脱がせたのだろうか?
兎に角、その所為でこの遺体は身元を確認できるものを何一つとして身に着けていない状態だった。この人物がどこの誰なのか調べることが困難であることが、冬城には想定された。
「――ひっ!? な、なんですか、これ!? なんでこんなひどいことが……っ! うっぷ」
遺体を確認した七五三掛が顔色を蒼くする。彼はこの年所轄から上がってきたばかりでまだまだ経験が浅かった。まだ慣れていない状態でこのような常軌を逸した殺され方をした遺体を見れば
「頑張って慣れて、七五三掛くん」
冬城は七五三掛の教育係を務めていた。そのため、厳しめに指導した。冬城たちは主に殺人事件を担当する係に配属されている刑事なのだ。いくらひどい状況だからと言ってそこから目を背けることなんてしてはならない。
二人は被害者に向けて手を合わせた。
それから冬城は辺りを見渡す。殺人現場の周りには多くの警察官で溢れていた。そのほとんどは鑑識と呼ばれる人たち。彼らは被害者の写真を撮ったり、犯人の靴跡が残っていないか、または髪の毛や服の繊維などが落ちていないか、と地面に張り付くようにして隈なく調べていた。こんな惨たらしい事件でも職務を全うしているあたり彼らは警察官の鑑と言えよう。
冬城はその中でクリップボードに挟まれた用紙をまじまじと見つめながら考え込んでいる鑑識の一人に話し掛けた。
「お疲れ様です、
冬城に声を掛けられたのは筋骨隆々でどこかの漫画で暗殺者として出てきそうな厳つい印象を与える外見をしている鑑識のエース・恵比寿
「……冬城に七五三掛か。まあ、見ての通りだな。こんな状態だから被害者の身元はおろか名前すらわかっていない。指紋も耳もぐちゃぐちゃ。歯も同様で治療歴から探ることも儘ならない。調べれば性別と血液型くらいは判明するが、本人を特定するにはかなりの時間を要しそうだな」
恵比寿は盛大な溜息をつき、頭をガリガリと掻きながら冬城の質問に答えた。それを受けて、冬城は更に質問をした。
「死因や死亡推定時刻、凶器などはわかっていますか?」
「死因は脳挫傷。……といっても、これだけ殴られて頭蓋も脳もめちゃくちゃにされてるから挫傷ってレベルか? って話になってくるが。死亡推定時刻は今日の午後五時から午後七時の間とみている。……まあ、これも状態が悪いから正確には監察医に委ねることになると思うが。それから凶器、だったな。凶器は鉈だ。もはや鈍器といってもいいくらい切れ味が悪くなった
――犯行現場にいた人物が持ってた」
「――え」
冬城は耳を疑った。彼女の複数の質問に順を追ってなされた恵比寿の説明。その最後があまりにも不可思議で。
凶器を持って現場にいたということはその者は犯人である可能性があるということ。
これほどまでに損傷を与えている犯人なのだ。計画的にしろ突発的にしろ、相当な恨みを抱えていたのは自明の理である。……いや、ここまでのことをしておいて、犯行に及んだのが衝動的だったとは考えにくい。衝動的であったなら、原形をとどめなくなるなるまでその手を止めなかったのが不可解だからである。少なくとも、肉や骨をバラバラにして顔をわからないように凹ましても構わない、と認識していたに違いない。そうでなければ、このような惨状にはなっていないだろう。
それに凶器は鉈だと言うではないか。それは、およそ学び舎というこの場所には似つかわしくないものだ。犯人が持参したと考えるのが妥当なのではないだろうか。
犯人が凶器を持参していた場合、それは計画性があったということに他ならない。ともすれば、逃げるところまで算段を立てているはずで、犯人が現場に残るなど誰が想定するものか。
「は、犯人が現場に残っていた、ということですか!? これほどのことをしておいて――!?」
冬城は声を荒げる。彼女もこのような謎の多い事件を担当するのは初めてのことだった。
取り乱した冬城を恵比寿が制す。
「まだ犯人だと決まったわけじゃない。……最重要参考人ではあるが」
恵比寿からの指摘を受けて、冬城は乱れた心を落ち着かせて言った。
「す、すみません。……それで、その重要参考人はどちらに?」
「この学校の職員室で取り調べを受けてる。正直、あんな状態では得られるものは何もないと思うがな」
冬城の尋ねられて、恵比寿はまた溜息をつき、頭をガリガリと掻きながら教えてくれた。
冬城は恵比寿に礼を言い、放心していた七五三掛に声を掛ける。
「行くわよ、七五三掛くん」
「――! は、はいっ!」
そうして彼女たちは職員室へと向かった。
職員室を訪れて見た光景に、二人は絶句した。
そこにいたのは、一人の少女。
何も捉えていない虚ろな目。
頬に残された拭われた形跡のない涙の跡。
力なくぽかりと小さく開けられたまま閉まることのない口。
一ミリたりとも動きはしない椅子に座らされたままの彼女の身体。
その少女はものの見事に、
――抜け殻になっていた――。
それでいて、手にはしっかりと血濡れた凶器が握りしめられていて。
冬城は状況を何も掴めなかった。
わけがわからなかった。
どうしてこんなことになっているのか、何一つとして理解できるものがなかった。
肉片がこびりついていた鉈を見て、七五三掛がまた口を押さえる。あの一部を見て、先ほどの光景を思い出してしまったのだろう。そのスポーツ少年を少し大人っぽくしたような顔を歪ませていた。
「うっぷ……っ」
胃から込み上げてくる酸っぱいものを出してしまわぬように努めて押さえつけているその様子を見て、冬城は、新人には特につらいだろうと考えた。別に冬城だって平気というわけではない。ただ、凶悪犯を捕まえるという刑事の稔侍にかけて耐えているだけなのである。
冬城は先ほど恵比寿が言っていたことを思い出した。
『あれでは何も得られる
冬城から見ても確かにそうの通りだと思える。仲間の刑事があれやこれやと試しているが、あの少女は全く反応を示していなかったのだ。話し掛けられても、目の前で手を振られても、両方の肩を掴んで揺すられても。本当に魂がなくなってしまったみたいに。
あの調子では彼女は警察病院へ送られることになるだろう。自分たちでは彼女に対してどうすることもできない、と結論付けた冬城はグロッキーになっている七五三掛を保護する意味も含めて、彼を連れて外に出ることにした。
「す、すみません、先輩……」
校舎の正面に出た瞬間、七五三掛が謝ってくる。それに対して冬城は、刑事を続けていくならこのことを糧にして凶悪犯を捕まえるという意欲に変換できるようにしていけばいい、と諭した。
冬城の言葉に、七五三掛は申し訳なさを強く表して呟く。
「……何やってんだよ、俺。先輩は通っていた学校で殺人事件が起きて悲しんでるっていうのに……!」
「……え? どういうこと?」
七五三掛の小さいぼやきは冬城の耳に届いており、彼女は七五三掛に聞き返した。確かに冬城は母校で殺人事件が発生したことに残念な気持ちを抱いてはいたが、そこまで切羽詰まってはいなかったから。
冬城の疑問を受けて、七五三掛は呆けた声を出した。
「……へあ? え? だって、先輩、ここに来た時、すごく落ち込んだ表情をしてたじゃないですか?」
七五三掛は何か勘違いをしていたのだと冬城は気づいた。
「……ああ、あれ? あれはそういうのじゃないのよ。ただ、ここにはいい思い出がなくてね。あまり来たくなかった、それだけのことなの」
「……いい思い出がない?」
冬城がこの場所へ来た時に何を思っていたのかを明かすと、七五三掛は踏み込んできた。
「そう。私、ここで初めて告白されたんだけど――」
「ええ!? こ、告白!? あ、いや、先輩なら不思議なことじゃないですね……! で、でも、それのどこがよくない思い出なんですか? まさか、相手が最低なクズの嫌われ者だったり!?」
話の腰を折ってくる七五三掛。冬城は右手を彼の顔の前に持っていって落ち着かせる。
「違うわ。彼はとてもいい人で優れた人だったの」
「じ、じゃあ、なんで……」
七五三掛は再三に渡って口を挟んでくる。冬城は溜息をついて答えた。
「……私は振っているのよ、そんな人を」
「……え」
七五三掛が言葉を失った。冬城は彼が詳細を求めないよう、先んじて説明をしてこの話を切り上げようとする。
「彼はあまりにも優れすぎていたの。なんでもできてしまうから周りから気持ち悪がられていた。そんな人と付き合うなんてことになったら私まで気持ち悪がられるかもしれないって思った。だから、断ったの。そんなつもりはなかった、って。……最低よね。引っ越したばかりで知らなかったとはいえ、孤立していた彼に接して希望を抱かせてしまったのだもの。一度は優しくしたのに、最終的に私は自分可愛さに彼にかけた梯子を外したのよ」
「え、えっと、その、そ、それは――」
七五三掛が何かを言おうとしたけれど、冬城はそれを手を叩いて遮り、予定通り会話を終了させた。他の仲間たちも本部へ向かおうとしていたので切り上げるにはちょうどよかった。
「それじゃ、本部に戻りましょうか。今日は遅くなりそうだから覚悟しておかないといけないわね、七五三掛くん」
冬城が車に乗ると、七五三掛は慌てて続いてくる。
そうして二人は車を発進させ、事件現場をあとにするのだった。
その後。
刑事・冬城の元に更なる不可思議な事件が舞い込んでくることになる。彼女が、その事件があの出来事から始まっているということに気づくのはまだ少し先の話である。
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