踏切にて【7】夏向
自分の意志で、狙って踏切に来ることは初めてだった。いや、普通寝る時でないと夢は見ないのだから、それ程までイレギュラーかそれともイカれていないとできないものなのだろう。
だからきっと、夏希は目の前に俺がいる状況を上手く呑み込めていないのだと思う。表情からその心境は窺えた。
しかしそれと同時に、俺はこの状況を受け入ることができていなかった。
「雪っ!」
俺は大声で叫ぶ。
夏希が、雪の上に覆いかぶさるような形で彼女の首元を抑えていた。
踏切の遮断機は、無理やり曲げて中に入ったかのように歪で、俺はその間を縫って線路に入り、急いで雪のもとに駆け寄った。
すでに距離を置いていた夏希は、踏切の中へ入ってきた俺に問いかける。
「もしやと思ったけど、麻月結衣を使ったのかな?それ以外に考えられない」
声色はこちらを煽っているように聞こえるが、その表情に余裕は感じられなかった。
「俺のせい、なんだよな」
高ぶる感情を抑え、互いに見つめあった状態で慎重に尋ねた。
「いいや、お兄ちゃんは悪くないよ。ただ、縁があっただけ。この団体と、私に秘められていた特別な才能がね」
そう言うと夏希は一歩ずつ後ろへ下がり、奥の遮断機の手前で立ち止まる。
「それよりも、彼女の容態を心配した方がいいんじゃない?」
いたずらっぽくはにかんだ彼女の笑顔は、疑いのない程に俺の知っている妹と全く同じものであった。
目下で激しく嗚咽をする雪は俺の姿を見て安心したのも束の間、すぐに俺の腕を掴む。
「はやく、にげて。ここで共倒れするのが、一番...」
そうかすれた声で呟いた雪は俺の服を掴んだまま目を閉じる。かろうじて息をしている状況に、俺はただ彼女を見つめることしかできない。
「...夏希が行方不明になった時、少し違和感があったんだ」
顔を夏希の方へ向ける。彼女は腕を組んで遮断機の柱に寄りかかり、俺に続きを促している。
「確かに俺は、あの時サッカーに熱中していたよ。でも、さすがに周りの声が聞こえなくなくなるまで集中はしていなかったし、その時公園には大人含めてかなりの人がいた。
結論としては、夏希は声を上げる隙すらなく周りの目を盗んで連れていかれたということになったけれど、さすがに無理があるんじゃないかって思っていたんだ。
そして夏希が行方不明になって、警察の捜索にも限界が来た時に、お母さんもいなくなってしまった。夏希を探しに行くってね」
そこで俺は一息ついて本題を話そうとした瞬間、夏希が痺れを切らしたのか続きを制した。
「あーもういいよ、面倒くさい。別にその過程は私にとってどうでもいい。でもその疑問に答えが欲しいなら簡潔に答えてあげる。
あの時私を連れ去ったのは見ず知らずの不審者じゃない。お兄ちゃんの推論通り、母親だよ。私たちの」
そう吐き捨てるように呟いた彼女は、雪を見つめながら俺の方に歩みを進める。
「お兄ちゃんはどうして、自分の世界じゃない人を信頼しているのかな。こんなところに現実逃避したって、それは仮初にすぎない。いずれ崩壊する不安定な空間で、お兄ちゃんは何を望んでるの?
もう、こんな遊びはやめようよ。こっちは真剣にやってるんだから、普通の生活で普通に暮らして、いつの間にかあんだけ妄想してた夢の世界から離れていくような、お兄ちゃんにはそっちの日常の方がお似合いだよ」
距離が数センチのところまで縮まり、夏希はそっと俺の頬を撫でる。その感触は幼い頃から変わらず、ほんのりと冷たくそのままどこかへ消えていきそうな儚さがあった。
しかし、感じるものはそれ以外にもあった。
その目の奥にある夏希じゃない何かが、こちらを覗いているような気がして、俺はその手を振り払う。
「いい加減にしろ、夏希。お遊びをしてるのはお前らの方だ。そんで、お前は幼いながらに集団の一番になれたことが嬉しくて悦に浸ってるだけだ。いい加減にしろ、確かに夏希があの時さらわれたのは俺のせいだ。でも、母さんがこれを企てたってことは遅かれ早かれそうなってた。
だからもう、夏希の言う通り俺は悪くないってことにして切り替えるよ。もう、過去は引きずらない。
だからもう、この一件が終わるまで俺は夏希を妹だとは思わないようにするよ」
らしくない言葉だった。自分でもこんな言葉がすらすら出るのかというくらい。
その意外な言葉は彼女にも届いているようだった。
「...やっぱり、私は、私を理解してくれる人に頼るしかないみたいだね」
そう見開かれた夏希の目には涙一つ零れていなかった。
そんな彼女と俺に影がかかる。
「今だ、結衣」
その掛け声とともに、夏希の背後に立っていた結衣は飛び掛かる。
予想外だったのか、俺に気を取られていたのか、ワンテンポ遅れた反応に結衣が追い付く。
「こいつが実態ってことで良いんだよね?」
がっしりと手を交差して締め上げる形を作った結衣は俺にそう尋ねる。
「いや、厳密には実態ではない。でもこの夏希が主人格であることは間違いないよ」
なるほどねと結衣は頷き、視線を俺の足元へと向ける。
「一段と大人びた上に可憐な姿になったものだ、このお姫様は」
そう彼女は一言呟く。
今雪が意識を戻せば、目の前の光景にどんな反応をするのだろうか。失ったはずの友が、目の前にいて窮地を助けてくれている。まるでアニメの終盤のようだ。
そしてそれを今すぐにでも見せたいと思うと同時に、躊躇う自分もいた。
ここで出会えたとしても、それは雪のいる世界ではない。完全に目を覚ませば、そこにあるのは現実。だからこそ、俺に未来を託したのだ。
「事が終わって、もし踏切が残っていたとしたら、その時にちゃんとした形で会わせてあげたいな」
「...そうだね、と言っておくよ」
目を逸らした結衣の表情がほんの少し変わったような気がした。
「まさか麻月結衣までこの空間に入れるとはね、そこまでの素質を持ってして私たちと相対してしまうのはとても惜しいわ」
夏希は特に抵抗する訳でもなく、ただ俺に顔を向けて微笑んでいた。
「親の背を見て育ったんだよ、私は。恨むなら馬鹿な信者にしてくれ。ところでリーダーさんよ、今、どこの上に立ってると思う?」
その問い掛けを聞いた夏希は急いで下を見る。変わった表情が、彼女の動揺を示しているのだと俺は感じ取った。
「結衣の言う通り、この世界の主導権を握ってる人物を消さない限り願いは破棄されないってことだな」
そう俺は呟きながら、遠くから迫ってくる光を見つめる。
「最初は本当に死ぬかと思ったが、案外大丈夫なもんだよ」
夏希は俺が見た先に写る電車を呆然と眺めていたが、やがてこちらに向き直った。
「私たちがやることは変わらない。私は選ばれたんだ。なのに、どうして選ばれなかったお兄ちゃんに、こんな。
...絶対に、お兄ちゃんを止めるんだ。それで、お母さんを」
「選ばれたのが俺じゃなくて夏希だったことがとても嬉しい様で何よりだが、それは違うよ」
俺の発言に、夏希は再度強く睨みつけた。しかし、今となっては心に何も響いて来ない。
だからこそ、これだけは言いたかった。
「選ばれたのが夏希じゃなくて、俺だったらって、今は思うよ。お兄ちゃんは、やっぱり夏希に普通の幸せを送って欲しかった。
こんな役目背負わせてしまって、本当にごめん。気付けなくてごめん、守れなくてごめん。もう手遅れにも程があるけど、俺、取り返して見せるから。待ってて」
言い切る俺に夏希は先程とは違い、何とも言えない表情を見せる。
「そんなこと言われても、こうなってしまった以上、役目を果たさなきゃいけないんだ。
でも...うん、やっぱりこうなっちゃうんだね」
彼女が最後にそう呟く。その瞬間、俺たちの二回りも大きい閃光が永久の残夜を轢き割いていった。
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