名探偵は迷宮を解明する

tacker10

第1話:プロローグ/詩的模倣(1)

 もう殆ど深夜に近くなり、利用者が帰宅して閑散とした冒険者ギルドの扉がカランカランと何処か物悲しげに響くベルを鳴らしながら開かれる。

 どうせもう訪問はないからと言う先輩達に押し付けられ、最低限の照明だけ灯したギルド・ハウスにただ一人で居残って夜間業務を行っていた新人受付嬢が作業机から視線を上げると、入口にじっと立っていたのは冒険者ギルドという荒くれ者ばかりの場所にはおよそ似つかわしくない、小柄な人影であった。暗がりに立つ小柄な人影はローブのフードを目深に被っているせいで、受付嬢の側からその顔を確認することは出来ない。


「ぼ、冒険者ギルドへようこそ。何か御用ですか?」


 人影に対して、新人受付嬢は恐る恐る声を掛ける。

 だが、相手側からの反応はない。

 それを見ながら、新人受付嬢は、自分に仕事を押し付けて先に帰宅した先輩たちの顔を恨めしく思い出した。

 噂話に花を咲かせるのが好きな彼女たちが好む雑談の一つとして、冒険者ギルドの受付嬢たちに伝わる都市伝説がある。例えば、居残り仕事を一人でやっている時に、クエスト中に亡くなったはずの冒険者が訪問してくるとか、そういった類のものだ。彼女も、この職場で働くようになってからまだ日は浅いが、実際に何度もそんな話を先輩たちから聞かされてきた。

 明らかにそれは先輩たちが新人である自分を怖がらせようとする目的のものだし、更に遡れば元々は冒険者たちが数少ない身近な女性である受付嬢たちを揶揄うための作り話だと分かってはいる。頭では分かっている上でも尚、いざ自分が一人っきりで深夜に居残りしている最中に、滅多にない深夜の訪問を実際に受ければ、どうしても思い出さざるを得ないのも事実だった。

 特に、今日は新月の夜。いつも以上に暗い建物内の雰囲気が、余計に恐怖心を駆り立てる。

 嗚呼、あんな話に耳なんか貸すんじゃあなかったと、新人受付嬢は実際には出来もしなかった可能性に思いを馳せながら後悔していた。


 とは言え、幸い受付嬢の座っているブースは、仮にマナーのなっていない冒険者が暴れ出したとしても安全が保障されるよう当代随一と謳われている賢者の手で堅固な結界が幾重にも張ってある。もし人影が怪異譚に登場する類のものだったとしても、その結界を破ることは容易ではない。

 また、結界を破ろうと攻撃が行われた瞬間、警報が鳴り響き、冒険者ギルドのすぐ近くにギルド登録済み冒険者限定で安く利用可能な宿泊施設から冒険者たちが飛んできてくれる手筈になっている。彼らは皆、ある時期から各地で増殖し始めた危険地帯、いわゆる迷宮ダンジョンでの戦闘を繰り返してきたプロのプレイヤーである。そして、迷宮内部からスポーンする様々な種類のモンスターには、ゴースト系の敵も存在したはずだった。

 冒険者ではない新人受付嬢は、当然ながらゴースト系モンスターを自分で目にしたことこそないものの、知識としてならその存在を認識しており、またそれを討伐してきた際の証明に用いられる遺物も見たことがあるので、きちんと把握している。それ故、仮に怪異だったとしても過剰な恐怖を覚えるべき相手ではない、と自分に言い聞かせる。

 そうした基礎知識に何とか背中を支えて貰う形で、新人受付嬢はなけなしの勇気を振り絞り再び人影に声を掛けた。


「あ、あの……?」


 すると、先程とは違い、今度は人影に反応が生じた。

 ギシギシと軋む木造の床を一歩ずつ、ゆっくりとブースのほうへ歩いてくる人影。深夜で静かなせいだろうか、新人受付嬢の耳には、普段よりも足音が不気味に響いて聞こえてしまう。


 そして、さながら時間が引き延ばされたかのような感覚と共に新人受付嬢が固唾を飲んで見守る中、人影が作業机に置いてある照明の届く範囲にようやく足を踏み入れる。

 しかし、人影が着ていたローブのフードを脱ぐと、その下に隠されていた輝くような銀髪と共に現れたのは、まだ幼さやあどけなさが何処か残る少年の顔だった。少年の顔は、ベテラン冒険者に特有の険がなく、恐らくまだ冒険者登録したばかりで実際のクエストには出た経験がないだろうことが窺える。実際、傷の一つもまだ受けたことのない顔は美しく整っており、真っ赤に輝く瞳にも擦れた淀みは感じられない。受付嬢はその風貌を見て、どうやら怪異の類ではないらしいと直感的に少しほっとした。


「その、これ……。」


 しかし、ほっとしたのも束の間、次の瞬間には、少年がローブの懐から取り出したものを見た新人受付嬢の表情が、一転して暗く曇らざるを得なくなる。

 少年が手にしていたのは紫色の封蝋をされた漆黒の手紙封筒。それが意味するのは、クエスト中の冒険者に死者が出た際、知人等に遺体確認を行って貰うためにギルドから送られる督促状。

 確かに、いまギルド内には街からほど近い街道沿いに突如として出現した迷宮からスポーンしたモンスターの討伐クエスト中に落命したパーティーが安置されている。その事実自体は新人受付嬢も事前に情報共有されているので把握していた。そもそも先輩たちが新人受付嬢に夜間仕事を押し付けて帰った理由が、安置された遺体と同じ屋根の下で一夜を過ごすのを嫌がったためである。


(だけど、その確認に訪れるのが、こんな幼い子だなんて……。)


 まだ新人の受付嬢には遺体確認の案内経験がなく、尚且つその相手が自分より年下などという状況を想定していたはずもない。そして、実際にそんな状況と唐突に遭遇させられれば、言葉を失ってしまうのも仕方のないことではあった。

 とは言え、そんな泣き言ばかり言ってもいられないと、受付嬢は即座に思い直す。

 訪れてしまった現実は変えようもない。何より、いま自分の前にいる少年は知人が亡くなってしまったかもしれないという残酷な事実に向き合おうとしている。自分と少年のどちらが辛い立場にあるのかは火を見るよりも明らかであった。であるなら、彼より年上である自分がしっかりしないで、どうするというのだ。

 年上としての矜持からメンタルを持ち直した受付嬢は、ひとまず姿勢を改めると、机の上に積まれている資料の中から該当する呼び出しに関するものを探し当て、なるべく平常心を保つように努めながら手順通りの対応を始める。


「この度は、ご足労を頂き、誠にありがとうございます。まず確認ですが、貴方様はお亡くなりになったと思われるパーティーの残留メンバーで間違いありませんか。」


「は、はい。そうです。あ、いや、一応、パーティーのメンバー……でした。」


「でした?」


 しかし、少年の一言によって、事務手続きは初手から躓きを見せてしまった。

 過去形での発言という相手の反応に、受付嬢は疑問符を浮かべる。

 資料では、ギルドから遺体確認依頼の督促状を送ったのは、確かに討伐クエストに同行せず残っていた仲間の一人だと明記されていたからだ。

 そのような残留メンバーがいるのは大所帯のパーティーなら珍しいことではないと受付嬢は新人研修で教えられていた。大所帯パーティーの場合は、クエストの種類によってパーティーの内から参加メンバーを都度で変更を行うことが多いからだ。

 また、そうした資金力にも余裕がある大手なら、若い冒険者の才能を見込んで青田買いすることも一般的な行為であるために、彼のような幼いメンバーがいることにも違和感はない。


 しかし、どうやら今回はそうすんなりと事務処理が終わる場合とは事情が異なるのかもしれない。少年の反応に、新人受付嬢は何となくそんな直感が働く。


 どういうことか、受付嬢が返答を待っていると、少年は些か言い辛そうにしていたものの、意を決したように再び口を開いた。

「……はい。実は先日、パーティーの皆さんに戦力外通告を受けてしまって。所謂、追放処分という形でギルドにも既に手続きが行われているはずなのですが、受領処理までには至っておらず、結果的に登録情報上はまだメンバーになっている自分がただ一人で残ったパーティーのメンバーとして呼び出されたのだと思います。」


 なるほどと、ギルドの各種資料から該当のものであろう届け出を受付嬢も今度こそ見つけた。

 確かに、提出されたメンバー変更の届け出は、承認の判子が押されていない状態のままになっていた。


 しかし、だとすればあまりにも過酷ではないかと、受付嬢は思う。

 まだ若い少年が、自分を追放処分した元パーティーの遺体確認をさせられるなんてことに、何も思わないということがあるだろうか、と。


「……ごめんなさい。これはマニュアルにはない質問なんだけど、君はこれから少し前に自分をパーティーから追放した人たちの遺体を確認しなければいけないことに、何の拒否感もないかな? もしも嫌だったら誰か他に可能な人を探して貰えるよう、手続きをしてくれても構わないんだけど。そもそも確認自体、遺体を見慣れていないなら凄く辛いと思うし──」


 先程まで使っていた仕事モードの口調を普段の喋り口調に変えた受付嬢は、乱れた感情と共に歪みそうになる表情を理性で保ちつつ、親切心から少年に提案する。

 しかし、意外にも少年はそれをすぐさま明確に否定した。


「いえ。大丈夫です。戦力外通告には、自分も納得はしていて、退団自体も円満……まではいかないにしても、自分的には特にそこまで遺恨はないんです。寧ろ、彼らの遺体に会えるのなら、是非とも会っておかなければならないくらいで……。」


 少年は、自分の能力不足自体は認めていると言う。

 しかし、通常、冒険者になる人間というのは教会での洗礼時に授かった固有生業ジョブを持ち、何らかの有用な技術スキル・アーツの才能に恵まれた人々に限られるはずだった。

 そして、それは少年がどれほど若いとしても、変わることのない事実である。寧ろ若くして資格が取れているのであれば、教会の鑑定結果で類稀な才能上限ポテンシャルを認められた冒険者ということでもあるはずであった。

 そんな少年が、一体どんな理由でパーティーから追放になったと言うのだろうか。

 しかし、受付嬢が疑問に感じた謎は、次に少年が放った言葉で、即座に解決されることになる。


「それに、僕は固有生業上、遺体にも慣れておかなきゃなりません。何故なら、僕の固有生業は、屍操術士ネクロマンサーなんですから。」


 その言葉に、今度こそ新人受付嬢は本当に言葉を失った。


 屍操術士。

 それは、かつて行われたという国家間戦争においては甚大な戦果を挙げたものの、戦後に新しく締結された条約により使用制限が導入され、更に人間同士の争いよりも迷宮からスポーンしてくるモンスターとの戦闘が主流になった現在では運用が極めて困難となったが故に、閑職へと追いやられた固有生業。

 人間の屍体に偽りの魂を与えて操る屍徒しとを用いて戦闘を行う者。

 それを知った受付嬢は、すぐさま事情を察した。それは、実はこれまでにも何度かギルドで起きた事案だと、事前に知らされていたから。

 少年は、教会での洗礼時に極めて優秀な才能上限を認められたが故に、若く意識と上昇志向の高い冒険者パーティーから可能性を探る形で一旦はパーティーへの参加を赦されたものの、結局は先達たちの思考錯誤を越えて有効な運用方法を見出すことが出来ずに、すぐさま見限られて放逐されたのだ。


(そんな筋の通らない状況に置かれた、まだ年端もいかぬ少年が、何の遺恨もないと言うだなんて……)


 それから先のやり取りを、ショックを受けた新人受付嬢は殆どよく覚えていない。

 少年の置かれている状況があまりにも過酷すぎたが故に、何と声を掛ければ良いか分からなくなった彼女はただひたすらマニュアル通りに案内を行うことしか出来ず、その案内通りに遺体安置所へ一人で入っていった少年が少し経って再び部屋から出てきて、身元に間違いはないと言って去っていく背中を見送ることしか出来なかったのだから。


 それを後悔した新人受付嬢は、もしも再び彼と接する機会があったならば、もっとしっかり対応してあげなくてはならないと、心に決めたのだった。




 しかし、半ば放心状態だった彼女はこの時、ある事実に気付いていなかった。

 

 そして、それは後に、遺体を回収してきた他のパーティーによる連絡不足があり、モンスターとの戦闘時点で既に失われていたものとして、誰に修正されることなく、処理されていくことになる──。




 そうして、誰に知られることもなく、物語の幕が上がる準備は整った。

 それが、あの少年にとって幸いだったのか、そうでないのか、現段階では知る者は誰も存在しなかった。否、もしかしたら、どれだけ経ったとしても知ることの出来る者は存在しないだろう。


 ただ、後に名探偵ディテクティヴの名で呼ばれることになる屍徒だけが、こう言ったかもしれない。


「確かに、それを直接的に知ることが出来る者はいない。しかし、推し量ることなら出来るとは思わないかい?」、と。

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