-6- 世界で一番有名なアンドロイド
結局マリエッタは、フォトグラファーの仕事をするために再び凪の街へ戻っていった。
俺はアリスと二人で暮らしながら、少しずつだがアンドロイドへの苦手意識を克服しつつある。
とはいえ、いつも一緒にいると胸が痛くなる。そういう時に決まって向かう場所がある。それは、雨の街の中央公園だ。大きな湖のような池があるこの公園は、街のシンボルにもなっている。
そして、公園を歩く人は極端に少ない。その雰囲気が静かで心地がいいのだ。
今日も雨の中の中央公園を散歩する人影はない。この街はいつもそうだ。
「……あれ……人か?」
東屋の向こうに誰かいる。
人影はないと断言したところで、すぐ人らしき姿が現れるとは。思わず呟いてしまった独り言を聞き取ったのか、その人影はくるりとこちらを振り向いた。
その人は背中を少し曲げた老人だった。傘を差している。紺色の大きな傘だ。傘下から覗く老人の表情は少し虚ろで、どこか遠くを見つめるかのような表情をしていた。まるでここにはいない何かを追いかけるような、そんな目。そう、アリスがたまにする目に似ていた。
老人はこちらに歩いてきて、そのまま東屋に入ってきた。傘を閉じてその素顔が見える。シワの満ちた顔立ちに深い笑みをたたえているような穏やかな印象があった。しかしよく見ると、その笑顔は弱々しく今にも消えてしまいそうなものだった。彼はゆっくりと口を開いた。
「こんにちは」
しわがれた声には聞き覚えがなかった。しかしどこか懐かしさがある。俺は軽く会釈して挨拶した。
「こんにちは。雨の中お散歩ですか」
「まあね。医者に体を動かせって言われちゃってさあ」
どうも話し方が独特というか、独特なテンポ感の会話をする人だった。
そして彼の手を見ると、小指が欠けていた。いや、正確にはないように見えたのだ。左手の小指だけが不自然に短い気がする。気づかなかっただけで元々欠損していたのか?それとも……。
「はは、この指かい?」
視線に気づいた老人は、ベンチに腰掛けながら黄色い歯を見せた。
「ああいやー、あの、すみません」
「若いなあ君は。いくつだい」
「えっと、23です」
「ひえあー、そうかいそうかい。で、ワカモンがなんでこの街に? ここは老いぼれか機械人形しかおらんよ。若い人なんざあ珍しいこっちゃね」
興味深そうに体を揺らす老人。機械人形とは、昔の言い方でアンドロイドのことだ。俺はなんとなく姿勢を正したくなって、自然に背筋を伸ばした。
「ちょっと、いろいろあって。静かなところで住みたくなって」
「そうかい、大変だったねえ」
「ああ、どうも」
「人生にゃ、そんな時もあんよお」
雨が地面を叩いている。風で木々が揺れる音が聞こえる。遠くからかすかに雨の音とは違う、ピアノの演奏が聞こえてくるようだった。雨が降っているはずなのに不思議だ。まるでこの場所だけ切り取られているかのような感覚で。
「君、恋人はいるのかい?」
「え、え?」
「だーから、こ、い、び、と」
おぼつかない口どりで質問してきた。突然の話題に動揺しているうちにどんどん答えにくい方向へ進んでいるようだ。なんて答えるべきだろうか。
「だは、いいよいいよ、そんな顔しなさんなあ」
老人は笑っている。どうやら顔に出てたらしい。俺も苦笑いしながら返した。
「いませんよ」
「ふむ。じゃあ一人暮らしかい?」
「いや、居候してます。その、ふ、二人で住んでるんですけど……」
少し言葉に詰まりつつ答える。
「ほほう。そいつはまた奇遇だねえ。ワタシも同じだよ。もうずっと1人暮らしだったんだけどねえ、最近来たんだよ。あのー、あのね、あれ」
老人は何か思い出そうと空を見上げたり腕組みをしたりしていたが、しばらくすると何か閃いた様子でぽんっと手を打った。
「そう! あんどろいど。まあね、機械人形、のほうが言いやすいね」
「へえ、アンドロイドですか」
「そう。うちに来るようになったんだわ」
……ふむ。
きっと老人を世話することに特化した介護型のことだろう。俺がいた研究所にも介護型を開発・研究するチームがあった。
「機械人形って方がいいよなあ。横文字はもうねえ、入ってもすぐ抜けていくわあ」
はっはははは、と笑う。
「ところで君い」
「はい」
「居候しているんだって?」
「まあ、そうですね」
「アリスか?」
「ええ、そう……」
……え?
「はっ、相変わらずだ。だから機械人形は好かん」
「ちょっと、どういうことですか? アリスのこと知ってるんですか」
「なんだい、そりゃ知ってるさ。雨の街で――いや、この世界で一番有名な機械人形」
大袈裟に声を張り上げて話す老人に、俺は戸惑った。この世界で? 一番有名?
「どういうことですか!」
「ははは、そんな大きい声出すんじゃないよ。さ、私は疲れたからそろそろ帰るよ」
老人はゆっくりと立ち上がる。ベンチに置いたままになっていた帽子を被ろうとする。俺は老人の腕を掴み、引き止めた。
「教えてください。あなたはアリスのことを知っているんですよね。もしよければ、全部話してくれませんか」
「一緒に住んでいるんでしょお? 本人に聞きなさい」
ごもっともな返答とともに、老人は俺の手を払う。そのまま踵を返して傘を差し、ゆっくりと足を進めていった。
俺の心のざわめきを表すかのように、雨は大振りに降り続けていた――。
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