-7- カモミールの真相
お皿を片付けた後、彼は再びダイニングテーブルに戻った。私がカモミールティーを飲むことを提案すると、彼は飲んだことがないと言っていた。
成り行きで試してもらうことに。
ポットのお湯を入れて蒸らす間に彼の話を聞いた。彼は自分のことをあまり話したがらない様子だったけれど、それでも私が聞き出すまで待ってくれていた。
「アンドロイドの心を育むために、自然に触れさせるのは珍しくないわよね。私も最初の頃は山を登ったり、海を見たりしたわ」
カップを渡しつつ、私は彼に話した。彼はありがとうございますと言いながら受け取る。
「そうだったんだ。アリスさんらしい。あ、ハーブの良い香り。美味しいです」
……本当によく表情が変わる子。見てるこっちまで嬉しくなっちゃう。
「心を持ったアンドロイドを作ったのは、ピアノスが初めてでした。心を育てようと思ってまず考えたのは、芸術――特に音楽と読書でした。プロトタイプは思っていたよりも吸収力が高くて、俺が教えたことはすぐに覚えてくれたし、すぐに実践してみせた。とても賢いアンドロイドでしたよ」
「そう、凄いじゃない」
「ただ、一つだけ問題があったんです」
ラオレはカップを静かに置いて、視線を落とした。何か悩み事があるみたい。少し心配になって彼を見つめた。
「問題? 一体何があったの?」
「ピアノスの心は、他のアンドロイドシリーズと比べてもかなり繊細でした。感受性が豊か過ぎたんです。感情表現も豊かで、感情移入しやすい性格でした」
「ふうん、それで?」
いまいちピンときていない私に、彼は苦笑した。
「感情的になりやすくて、情緒不安定なんです。喜怒哀楽が激しくて、感情をコントロールするのが難しい。見るもの読むもの聴くもの全ての影響を受けすぎて、何を与えるかでかなり性格が変わってくるんです。まるで人間の子どもみたいに」
そこまで聞いて、ようやく理解できた。
「ピアノスにどう接するべきか、困りそうね」
ラオレはこくりと首を縦に振った。
「困りました。でも諦めたくはなかった。ピアノスはかなり先進的で高性能で、心を持ってから日が浅かったこともあり、まだ発展の余地があると考えたんです」
「人間の子どもを育てるのと似てるわね」
「そう。だから色んなものを見せて、触れさせてやりたかった」
ラオレはそこで一旦言葉を切ると、窓の外の曇天を見上げた。
「それが、間違いでした」
「……というと」
「人間には、必ず生死について考えるタイミングがあるんです。誰だって考えるじゃないですか。死んだらどうなるか。死が確定しているのに、どうしてずっと永遠に暮らしたい、生きたいと願うのか」
アンドロイドにも寿命はある。だからこの点は理解できる。私は頷いた。
「それで、アンドロイドにも同じ権利を与えてもいいのではと思ったんです。しかもピアノスは感受性豊かなアンドロイドだ。きっと興味深い研究結果が出るはずだ、とね」
ラオレは苦そうな顔をしていた。きっと彼なりに悩んだ結果なのだろう。そんなラオレの気持ちを考えると、何も言えなかった。
「アリスさんに再会して、改めて気付きました。アンドロイドにも命はある。俺たち人間と同じ様に生きる権利があって、幸せになる権利もある」
「あら、そんな風に思ってくれたの?」
「だって、とても幸せそうですから」
私は自然に微笑んだ。
「ありがとう」
素直に感謝を伝えると、彼は落ち着いた表情で話を戻した。
「それで俺は、ピアノスに生死について考えるように教えたんです」
「そう、それは……」
どうなんだろう。
アンドロイドにとって、死に対する恐怖は不要なものだと思う。感情や精神が成長すればするほど、それは大きく邪魔しちゃうんじゃないかな。
私が戸惑っているのを見て、彼は言った。
「そう。その反応は正しいんです。しかし俺は、仲間達の反対を振り切ってまでも、ピアノスに教育プログラムを施した」
「それで、ピアノスは」
「恐怖に耐えられず、壊れました。全身を痙攣させて、機械の体からオイルや電磁波が溢れ出して。全壊です」
……ああ、なんてこと。
「彼女たち、何か言ってた?」
「…………………しにたく、ないって」
氷のように冷たい沈黙の時間が、私たちの間を駆け巡った。
「ラオレ、あなたは」
「えぇ、わかっています。俺が悪いことをしたのは」
ラオレは目を伏せながら答えてくれた。
「考え方は悪くなかったはずなんだ。でもタイミングがまずかった。彼女はまだ産まれて間もない赤ん坊のように柔軟な思考の持ち主だった。きっとこれからも沢山のことを吸収していったことでしょう」
「……ええ」
「それを俺の手で止めてしまった。彼女たちを破壊したという事実を受け止められず、この街まで逃げてきてしまいました」
「ラオレ……」
「以上が、俺が研究所を辞め、この街にやってきた経緯です」
ラオレの表情がどんどん暗くなっていく。まるで自分がしてしまった罪の大きさに押し潰されそうになっているようだった。
アンドロイドの開発者が、アンドロイドを破壊するなんて。こんな悲しいことが、あっていいのだろうか。
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