-8- 機械、でも、温もり
ラオレは絞り出すような声で続けた。
「……俺にアンドロイドに関わる資格なんてない。そう思っていたんですけどね」
「そんなことないわ。まだやり直せるわよ」
そう答えると、ラオレは失笑した。
「ふ、もうあそこには戻れない。ピアノスの研究は中断、研究チームはほぼ解散状態。研究室も今じゃ別のチームが使っているみたいだし」
「…………」
沈黙が流れる。
ラオレは自分の犯した罪を、重く受け止めているのだろう。アンドロイドを破壊してしまったこともそうだし、何より自分の手で生み出したアンドロイドを自ら壊してしまうという行為自体が、彼にとって一番許せないことだったのだ。
ラオレが黙り込んで机に体を預けるのと同時に、雨の音が強くなりはじめた。私はテーブルの上に力なく放られたラオレの右手を、両手でそっと包み込んだ。
「……え」
ラオレはこちらに気づいて、目を丸くしている。カレーを食べて温かいカモミールティーを飲んだはずなのに、彼のごつごつとした手はとても冷たかった。体温が低いのかしら。
私はラオレの右手を温めるように優しく撫でると、ラオレは少し驚いた様子で顔を上げた。
「アリスさん……?」
「あなたの手、すごく冷たい」
ラオレは私の手をじっと見つめて、困惑している様子だった。
「冷え性なのかな?いつもこうなの?」
「いや……。そんなことないけど」
「雨が降った日とか、今日みたいな寒い日にはよく手が凍えるように痛くなること、ない?」
ラオレは少し考えて、静かに頷いた。
「それって自律神経が乱れてるんじゃないかなぁ」
「じりつしんけいですか?」
「ええ。人間は自律神経を乱すと体が上手く機能しなくなって、様々な不調を引き起こすの。例えばほら、頭痛がしたり吐き気がしたりするでしょう。それは脳からの指令がうまく体に伝わらなくなっている証拠だと言われているのよ。あとは眩しさを感じた時に目が開けられなくなったりするのも、このせいじゃないかと言われていて」
「あ、アリスさん」
ラオレの声で我に帰る。どうやらつい熱く語ってしまったらしい。いけない、これではまた彼に引かれてしまう。自重しなければ。
咳払いをして気を取り直す。それから彼の左手にもう片方の掌を重ねた。
「……ま、要するに!寒くて冷たい時には血行をよくすればいいわけです。だからこうやって、ね」
「アリスさん……」
「もう、アリスでいいわよ。私の手にはヒーター付いてるから。いつもあったかいのよ」
ラオレの冷えた手に少しでも温もりが移るよう、両手をすり合わせる。彼は相変わらず呆気にとられていたが、やがてその口元がほんの少し緩み、目元は優しげに垂れ下がる。
「ははっ。確かに。温かいな」
「でしょう」
「……俺はどうしても、アンドロイドとは縁が切れないらしい」
ラオレが呟くようにそう言ったのを、私は聞き逃さなかった。
ラオレの顔を見上げると、先ほどまで伏せていた瞼を持ち上げてまっすぐに前を向いていた。その表情はどこか哀愁を帯びているように見える。
「ピアノスのことが頭から離れなくて。どうしても思い出すんです。あの日のことを」
ピアノスのプロトタイプが全壊する前に叫んだ言葉について、彼は改めて言及した。
「『しにたくない』って、本当に言ったんです」
「しにたくない……」
「俺が死を教えてしまったばかりに、要らない恐怖を背負わせてしまった」
「それで、耐えられなかったのよね」
ラオレは私の言葉に反応するように、私の手をぎゅっと握ってきた。アンドロイドであるはずの自分の胸に、何か鋭いもので刺されたような痛みが走る。アンドロイドは人間と違って痛みを感じることなどありえないのに。不思議だ。
ラオレの手は冷たいけれど、少しずつ、私の熱が伝わってきているのを感じる。私はそれが嬉しかった。
「ねえ、ラオレ」
「はい」
「あなたが感じているアンドロイドへのトラウマ。私なら解消できるかしら」
「……アリス、が……」
ラオレは驚いた様子だった。私は彼のバックグラウンドを聞いて、いてもたってもいられないのだ。何かしてあげたい。その気持ちは、彼に伝わっているはず。そして彼自身も理解しているはずだから。現に彼は、手を離さない。ずっと繋いでくれている。
「言ったでしょう。長生きの秘訣は……」
「……努力と、許すこと」
「そう。ちゃんと自分のこと、許してあげるのも大事よ」
ラオレは俯いて黙り込んだ。それでもうんうんと頷いているのがわかる。
「やはり、あなたは優しい心の持ち主だ」
ラオレは私の瞳をじっと見つめてくる。この目に嘘偽りはないようだ。ラオレの目の中に映る私が見えた。なんて、綺麗な黒い瞳をしているんだろうか。
これがラオレの心なのかもしれない。そう思った瞬間、手や顔のヒーターが急に熱くなり始めた。
「あ、あれっ」
ヒーターの故障?と思ったけど、それはすぐにおさまった。一体何が起こったのだろう。私の手が熱くなったのをラオレも感じ取ったらしく、彼は静かに微笑んでいる。
「どうやら俺たち、似たもの同士みたいですね」
「え、ええ?」
「ありがとう。元気が出ました」
「そ、そう。それはよかった」
「シャワー、お借りしても?」
「あ、はい。お風呂は?」
「十分リラックスできたので、シャワーで大丈夫」
ラオレはそう言って部屋に戻っていった。私はしばらく呆然としていたが、我に返ったあと一階の自室に入り、ベッドに倒れ込む。
なんだこれ、胸のモーターがとてもギュルギュルする。今までこういうことがなかったわけじゃないけど、ここまで高鳴ることはここ最近ではなかったことだ。あの人と暮らしていた時は、何度かあったけれど。
「……はあ、落ち着こう。私らしくないわ」
私は自室から2階のピアノ練習室へ移動して、ピアノの前に座り深呼吸をする。いつものように鍵盤を叩いていく。
私の指から流れ出すのは、甘い蜜のように優しく素敵なメロディ。いつもとは違うその旋律は、私の人工大脳を深く悩ませた。
【第一章 完】
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